氷の侯爵が愛した庭

 セルフィーユが部屋でくつろいでいたら、女官がやってきた。
 就寝前の静かな時間だった。
「このような時間に申し訳ございません」
 きっちりと子爵としての長衣を着ている姿のレフォールが謝罪を口にする。
 まだ執務中で、これからも続くのだろう。
 どれほどの激務なのか。
 セルフィーユには想像がつかなかった。
「いえ、お時間を作っていただきありがとうございます」
 セルフィーユは微笑んだ。
 普段通りのドレス姿でゆっくりとしていたのが申し訳ない気分になる。
 父たる神の言葉を深く読み解くために、聖典を広げていたのだ。
「お茶会は楽しかったでしょうか?
 今日はラメリーノ嬢のいらっしゃったようですが」
 灰青色の瞳が一瞬、迷ったように見えたのは勘違いではなかったようだ。
 セルフィーユは顔が熱くなるのを感じた。
 マイルーク子爵としての仕事をしていたレフォールにも、容易に天候が崩れたことがわかったのだろう。
 そのための確認にわざわざ訪れたのも、理解できた。
 本当に『ローザンブルグ娘』というのは厄介だということがわかる。
 また困らせてしまったのだ。
 受け入れてくれる場所があるだけ幸いだと言うことを常に感謝しておかなければならない。
 故郷にできる場所があり、帰る場所がある。
 その自由さを当たり前のように享受してはいけないのだ。
「ラメリーノさまは感動的な詩を教えてくださいました。
 タノヴェルの代表作です」
 セルフィーユは正直に答えた。
「そういうことでしたか。
 胸を打つような詩だと、私も思います」
 レフォールは柔らかに言った。
 どのような詩か知らないはずがない。
 そして、それを読んだセルフィーユが天候を乱したことも理解している。
「レフォールさま。
 白姫菊はどちらに咲いていらっしゃいますか?
 一番、美しく見られる場所はどこでしょう?」
 セルフィーユは意を決して口を開いた。
 ペルシから言われた言葉を思い出したからだ。
「マイルーク城では、白姫菊はどこにでも咲いています。
 最初は一角だけだったらしいですが……今ではどこを見ても。
 一番、と言うと最初に植えられた場所でしょう。
 ……セルフィーユさまがよろしければ、ご案内いたします。
 ただこの時間からだとだいぶ暗く、確認するだけになってしまいますが」
 レフォールは申し訳なさそうに言った。
「よろしいのですか?」
 夜がだいぶ更けた時間。
 いずれ夫になるとはいえ、まだ婚約者の男性と外へ。
 二人きりで。
 否が応でも緊張感は増していく。
 ドキドキとする心を落ち着けるために、セルフィーユは指を組む。
 いつものように神に祈りを捧げるように、きっちりと。
「もちろんです」
 レフォールは頷いた。


   ◇◆◇◆◇


 マイルーク城にだいぶ慣れたと思っていたが、セルフィーユにとって初めて訪れる場所だった。
 庭と呼ぶには狭い一角だった。
 まるで置き去りにされたような場所ではあったが、定期的に手入れされていることがわかった。
 白姫菊以外の花が咲いておらず、丈が揃っていた。
「もうすぐこちらも雪が降ってきます。
 見納めになってしまうでしょう。
 いくら寒冷な地でも咲く、とはいえ雪に閉ざされてしまえば見るのも難しくなります」
 レフォールは穏やかに言う。
 星の瞬く中、静かに白姫菊が咲いていた。
「……こちらは?」
「ローザンブルグ家だけの仕事をする書斎に面している庭です。
 一族の者でも、子爵位を継いだ者しか入れない。
 かつてはそう決められていた書斎から見える場所ですね。
 今では自由に庭に入ってもかまわないことになっているのですが、神聖な場所としての認識が強いのか、一族の者でも滅多に立ち寄りません」
「神聖な場所ですか?
 礼拝堂のようなものでしょうか?」
 セルフィーユは背の高い男性を横顔を見上げた。
「『氷の公爵』と呼ばれたオルティカ公爵が子爵位を勝ち取った時に、このような姿になるように庭師に依頼した庭です。
 当時、公爵夫人になられたアニス王女との婚約は調っていませんでした。
 それでもオルティカ公爵は小さな庭を見ながら、仕事をしていらしたそうです」
 レフォールは静かに語る。
「……婚約する前ですか?」
 セルフィーユは目を瞬かせる。
 ラメリーノが持ってきた本にも、ペルシが持ってきた本にもない知識だった。
 だいぶ乖離した話だった。
 歴史の教師が語ったのは第三王女と当時子爵だった公爵との婚約が調ったのは王女が15歳の時。
 成人直前だったはずだ。
 子爵は19歳になっていたか。
 16歳で成人してすぐさま子爵位を継いでいるはずだから、齟齬がある。
「公爵自身の日記には感情的なものは一切、残っていません。
 ですから記録が残っていないので、推測になりますが公爵は王女が降嫁されるとは思ってはいなかったようです」
「お二方は顔を合わされていた、と言うことですか?
 それも公爵が成人する前から」
 セルフィーユは考えながら質問をした。
「やがてはお目にかかることはできなくなる王女を想い、日常的に目にする庭だけでも象徴としての花を植えるように庭師に依頼した。
 と、私は考えています」
 レフォールは穏やかに微笑んだ。
 セルフィーユは息を吸いこむ。
「素敵な場所ですね。
 ここが一番だと言われる理由がわかりました。
 お二方が結ばれてよろしかったです」
 この庭は、切なくなるまでの想いの結晶だろう。
 白姫菊は城館のどこでも見られるような花になった。
 自由に広がって、探す必要がないほど咲いている。
 それが答えなのだろう。
 星の瞬きが聞こえてきそうな、美しい晴れの夜だった。





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