哀れなる姫菊

「そうしていると『氷の公爵』のようだな」
 父親に言われてペルシは微苦笑を浮かべる。
 レインドルク城とマイルーク城を行き来していれば、そういったことを言われても仕方がない、とは分かっている。
「そこまで立派な方ではありませんよ」
 ペルシは言った。
「似ているというなら、従弟のレフォール殿の方が似ているでしょう。
 残っている肖像画から推測ですが」
 『氷の公爵』と呼ばれたかつてのローザンブルグ公爵の私的な文献は意外にも、生を終えたローザンブルグ城でもなく、青春時代を過ごしたマイルーク城でもなく、レインドルク城ばかりだ。
 どちらかというと二つの城には記録に近いものしか残っていない。
 『氷の公爵』と影でも日向でも囁かれた公爵であったせいだろう。
 王家に忠誠を誓った公爵家だからこその政治的な敵ばかりではなく、身近であったはずのローザンブルグ一族の中でも敵が多かったようだ。
「私は『氷の公爵』に感謝しているぐらいですよ。
 でなければ私はレフォール殿と切磋琢磨をする羽目になりましたから。
 それに私が好きな花の色では白ではありません」
 ペルシは青鈍色の瞳を和ませる。
 改革的な公爵は、かつてローザンブルグの姓を持つ者であれば、実力でもって子爵位を継げる、という暗黙の了解を取り払ってくれたのだ。
 直系嫡男にから優先的に選び、実力不足であれば、順当に候補者を探す、と。
 本家に程近いペルシは第三位の継承権を持つが、暗黙の了解が残っていたら、子爵位を巡っての争いに巻き込まれていたであろう。
 本を読む時間が減るのは楽しくはなさそうな人生だった。
「ところでラメリーノが数冊の本を持ってマイルーク城に遊びに行ったのは知っているか?」
 リークは息子に尋ねた。
「もしやタノヴェルの詩集ですか?」
 ペルシは嫌な予感を覚えながらも訊いた。
 エレノアール王国で知らない人物の方が珍しい有名な詩人だった。
 周辺諸国であっても人気があって、訳された詩集が出回っている。
 ここ数代、英邁な主君に恵まれているエレノアール王国だからこそ、平民であっても代表作は暗記しているぐらいだった。
「その通りだ」
 リーク伯爵は重々しく頷いた。
 タノヴェルは姉である茨姫が好きな詩人だった。
 『氷の公爵』と同時代の詩人だったが、ローザンブルグ地方では好まれる詩人ではなかった。
 特に本家に近いローザンブルグの姓を持つ者にとっては。
 今であっても、詩集はともかくとして、関連した文献はレインドルク城の図書室から持ち出すことは禁止されている。
 貴重な資料が散逸するのを恐れているからではない。
「マイルーク城は雨になりそうですね」
 ペルシは頭痛を感じながら、微笑んだ。
「というわけで使いだ。
 レンドルク伯爵家の禁帯本を持って、マイルーク城に行って欲しい。
 還俗したばかりの白薔薇姫と侯爵令嬢はタノヴェルを知らないであろう。
 誤解を与えてはいけない」
 リーク伯爵は言った。
「かしこまりました」
 ペルシは厄介なことになった思いながら読みかけの本を閉じた。
 文学作品というは、作者はもちろんのこと、その時代の社会的風景を考慮しなければ危険極まりない。
 特に詩というジャンルは、多大な脚色がされているものだった。
 茨姫がそういった謎解きにも似た鑑賞をするのを嫌っているのは知っている。
 謡われた詩を心のまま読むことを好んだ。
 ローザンブルグ娘だというのに。
 タノヴェルの詩集を持ち出して、マイルーク城に行ったというのだから、もちろん代表作を白薔薇姫やガルヴィ嬢に読ませるため、とか思えなかった。
 どうやって挽回をしようかと、ペルシは頭を悩ませた。


   ◇◆◇◆◇


 セルフィーユはタノヴェルと詩人の名前は知っていたが、その詩集を読んだことがなかった。
 教師が有名な詩人だからと体系的に教えられただけの名前だった。
 マイルーク城の図書室にも置かれていなかったのも大きかった。
 だからこそ、感動的な詩があるのに知らないともったいないとラメリーノが言った時には、不勉強さに恥ずかしさを感じたのだった。
 陽気な貴婦人は居城のレインドルク城から持ってくるから、一緒にお茶をしながら楽しみましょう、と言った時はありがたく思ったものだった。
 タノヴェルの代表作ともいえる詩集は、素晴らしい詩であった。
 古典文化を復興させようとした詩人だったせいか、技巧は少なく、装飾的な言葉遣いは少なかった。
 だからこそ、その荒々しいともいえる情熱的な詩の数々は真っ直ぐと胸を打つものだった。
 代表作である『ああ、哀れなる姫菊』は、ついつい自分の身の上と比べてしまって、思わず感涙してしまった。
 題材にされた白姫菊姫が、あまりにも『悲劇的』だったのが、どうしてもセルフィーユにとっては他人事とは思えなかった。
 聖王妃アネットの末姫がローザンブルグ家に降嫁されたのは系譜によって知っていたが、哀れと謡われているは知らなかったのだ。
 世俗であれば、王侯貴族というのは身分にあった責務があることは、勉強をしている。
 婚姻も政治的な駆け引きの上に成り立つ場合もある、とはおぼろげには分かっていた。
 セルフィーユとて、傍目から見たら、政略的な婚姻だろう。
 婚約が決まったのは自分の意思ではなかった。
 姉にも似た親友であるガルヴィとは異なるし、自分の意志を貫いたラメリーノとも違う。
 ただレフォールが誠実であり、好ましく思える婚約者であることは変わらない。
 献身と深い愛情で、結婚生活を送れそうな予感はしていた。
 けれども王家からローザンブルグ公爵家に嫁した白姫菊姫は、ラメリーノが持ってきてくれた関連の文献をどれだけ好意的に解釈しようとも『悲劇的』だった。
 セルフィーユが『ローザンブルグ娘』という呼ばれる存在であることをすっかり忘れてしまうほどには。
 おかげさまで晴天に恵まれたマイルーク地方がにわかに曇り、大雨一歩手前。
 そんな折にレインドルク伯爵公子ことペルシが訪問してきたのだった。


   ◇◆◇◆◇


「何を考えているんですか!? 姉上」
 お茶会に乱入した青年は開口一番に言った。
 貴婦人に対する挨拶もなく、非礼を詫びることもなく。
 自分の姉を問い詰めたのだ。
「ペルシ、愛しの婚約者に会いに来たの?
 それも馬車を使わらずに。
 ずいぶんと情熱的ね」
 優雅に象牙の扇を広げてラメリーノは嫣然と微笑む。
「もちろん、ガルヴィ嬢にお目にかかるのは、大変喜ばしいことです。
 今日のような悪天候でなければ、と注釈をつけたくなります。
 季節柄のこともありますし、気候的なものもあります。
 けれどもこのような天気はわざと作り出されたかと思うと頭が痛くなる案件です」
 ペルシは言った。
 窓の外は暗く雲が垂れこめいていた。
 今にも大粒の雨が降り出しそうな天気だった。
「申し訳ございません」
 セルフィーユはハンカチを握りしめる。
 この地方に来て『ローザンブルグ娘』とはどういうものか知ったつもりだった。
 大神殿ほどではないが、マイルーク城にも制御する力があるのも教えられていた。
 実際に、王都では悪天候になったというのに、マイルーク城が嵐に見合われたのはほとんどなかった。
 季節外れの雨など降らなかったのだ。
 もちろんラメリーノを追って、嵐がやってきたのは見ていた。
 突風と落雷を見て、これが『ローザンブルグ娘』なのだと肌で知ったのだ。
 今回の天候不順はラメリーノのせいではなかった。
 陽気な貴婦人は楽し気にお茶を飲んでいたのだから。
「白薔薇姫、謝罪は結構です。
 こちらこそ姉が失礼しました。
 ローザンブルグ一族のことは、少しずつ話していけば良いと思っていた私どもの失態です」
 ペルシは丁寧に謝った。
 セルフィーユは目の端にたまった涙をハンカチで拭う。
 ずっと涙を流していたガルヴィも不思議そうに目を瞬かせる。
「書き残された資料というものは、どんなものでも主観が入ります。
 歴史、と呼ばれるものであってもそうです。
 ましてや芸術と呼ばれるものは、そちらの傾向が強いぐらいです。
 詩を観賞する際に、書かれた時代や筆者がどんな人物か知るのは大切です。
 タノヴェルは偉大な詩人ではありますが、やや悲劇的な題材を好むので有名です。
 平易な文章だからこそ、広く伝わり、平民にも愛されています。
 その代表作は政治的に利用されている、と言うことを念頭に置いていたいただきたいのです」
 ペルシは教師のように告げる。
 還俗して間もないセルフィーユにもガルヴィにとっても、難しいことであった。
 大神殿は政から遠いところにあったのだ。
 王女という身分も侯爵令嬢という身分も関係がなかった。
 みなと同じように起床をして、神殿を磨き上げ、その日のための食事の支度をして、父たる神に祈る。
「そんなつまらない講義をするためにレインドルク城から来たの?」
 ラメリーノは形の良い眉を顰める。
「姉上がわざとレインドルク城の禁帯本の一部を持ち出しからです。
 タノヴェルの詩集だけでしたら、文句は言いませんでした。
 関連書籍の禁帯本のすべてを持ち出したのでしたら、同様です」
 ペルシは力強く言った。
 そして持ち抱えていた分厚い本をテーブルの上に数冊、置いた。
「悲劇的なものはより悲劇的だと思って楽しむから良いのに。
 わざわざ時代背景を考えながら鑑賞するなんて退屈だわ。
 そんなものは歴史の授業だけで充分よ」
 ラメリーノは心底、うんざりとした顔で言った。
「ペルシさま。
 姫菊と呼ばれた第三王女は、『悲劇的』ではなかったということですか?」
 あふれる涙を拭って、ガルヴィは尋ねた。
「すでに亡くなっていらっしゃいますから、本人に訊くことはできません。
 私の主観が入りますが、父上たちの話なども考慮するなら、子孫の中で最も似たのは姉である茨姫だそうです。
 型に囚われない自由な方で、『氷の公爵』と呼ばれた公爵もそういった点も好ましく思っていたようです」
 ペルシは穏やかに微笑みながら言った。
「では、ラメリーノさまが持ってきてくださった本は?」
 セルフィーユは控えめに問う。
「当時の政敵が記した文献になります。
 すでに爵位が取り上げられたり、適切な処罰を受けています。
 ただ子孫が全く残っていないわけではなく、他国で難を逃れた方もいらっしゃいます。
 何かの折に、ハーティン王家の敵に回る可能性もあります。
 その時にローザンブルグ家が全力で王家を守るための、覚書のようなものですね」
 ペルシは説明をした。
「『氷の公爵』が子爵の時代から派手なことをしたから、哀れと白姫菊姫は呼ばれるようになったのよ。
 美貌で名高かった聖王妃アネットに似た王女で麗しい貴婦人であったから、中立派や親王派であっても、多少はやっかんだことでしょうけど。
 さぞかし、反対勢力はローザンブルグ家が目障りだったのでしょうね。
 ただ女の私の目から見えても『氷の公爵』はやりすぎだわ。
 法律に抵触していなければいい、と言わんばかりの数々」
 ラメリーノは象牙の扇を閉じて、分厚い本の表紙を撫でる。
「お二方とも詳しいのですのね」
 感心したようにガルヴィは言った。
「何故、レインドルク城に保管されているのですか?
 ローザンブルク城でもマイルーク城でもなく。
 政敵、というのならば、価値観が違って、相容れない方々ばかりで、話し合いでは解決しないような家ということですよね?」
 セルフィーユは不思議に思った。
 父たる神の前では、誰もが平等だった。
 けれども、人にはそれぞれ守る領分があって、意見が対立することもある。
 大神殿であれば何度も話し合い、解決していくような事柄ではあったが、俗世はすんなりとはいかない、と言うことも学んでいる。
 しかも『氷の公爵』は政敵を中央政権から退けた……というのだから、当時の王家としては助かることだったのだろう。
 それなのに悪評として広がっていて、詩人が謡うほどのものにしておいたのが疑問だった。
「話すと長くなるのですが、エレノアール王国で一般的に知られている話とローザンブルグ本家に伝わる話ではだいぶ食い違っているのです。
 それこそ姉がわざと関連文献を一部しか、こちらに持ってこなかったように。
 タノヴェルの代表作を利用したのは政敵だけではなかった、ということです。
 『氷の公爵』と呼ばれた方も利用したことになります」
 ペルシは困ったように告げた。
 大神殿で巫女として15年も過ごしてきた女性たちの前で話すような話ではないと思う。
 清濁併せ呑むぐらいの強さがなければ、政治の世界では標的にされてしまう。
 ましてやローザンブルグ家は神から授けられた印を持って生まれ落ちるのだから。
 隠すことのできない赤痣は恩寵であり、災厄であった。
 『ローザンブルグ娘』を利用とする者が大量に現れるだろう。
 感情で天候を左右させるまでの力。
 泣かすために暴力が振るわれ、精神的にも痛めつけられる。
 聖リコリウスの血が最も濃いとされるレインドルク家は男にも異能が現れる。
 ローザンブルグ地方から出ることのできない呪いのような祝いだった。
「では白姫菊姫はローザンブルグ地方で幸せな暮らしを送られた、ということでよろしいのでしょうか?」
 セルフィーユは口を開いた。
 本来だったら、婚約者であるレフォールに質問するべきことなのかもしれない。
 誠実な男性は嘘偽りなく、答えてくれるだろう。
 セルフィーユが望む答えではなくても、真摯に。
「今度、レフォール殿に白姫菊がどこに咲いているか質問すれば良いと思いますよ」
 ペルシは微笑んだ。
「マイルーク城ではよく見かけますが……?」
 セルフィーユは小首をかしげる。
 探す必要がないほど、いたるところに咲いている花だった。
 花壇をしつらえるような手間のかかる花ではなく、一年中咲いていいる花だったから、自然と目に入った。
「姫菊は寒冷な地でもよく咲く花であり、野にも咲いています。
 一般的な色は赤やピンクでしょう。
 何故か、マイルーク城には白ばかりが咲いています」
 青鈍色の瞳を和ませて、ペルシは言った。
「まあ、素敵ですわね」
 ガルヴィは感嘆の声を上げた。
 セルフィーユは姉のような親友を見た。
「レフォールが白薔薇ばかりを植えたら楽しそうだと思ったのに、その気配がないのが残念だわ」
 面白くなさそうにラメリーノは言った。
 そこまで言われて、ようやくセルフィーユは気がつく。
 王女たちには象徴花があり、すべて白だと。
 セルフィーユは白薔薇姫と呼ばれ、成人した誕生日には白薔薇ばかりを贈られた。
 普段、身にまとうドレスであってもさりげなく薔薇の刺繡が入っている。
 きっと『氷の公爵』と呼ばれた方は、どこにいても見られるように白姫菊を植えるように庭師に言ったのだろう。
 子孫たちもその風景を変えることなく、受け継いできたのだろう。
 それはたくさんの愛の詩よりも、雄弁に思えた。
「レフォールさまにとっても、ご先祖さまなのですから、きっと白姫菊は大切なのでしょう。
 教えていただき、ありがとうございました」
 セルフィーユは自然と笑うことができた。
 窓の向こうにあった重々しい雲が晴れていることに、レインドルク伯爵公子は安堵した。





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