09.胸に誓う
「王都の華麗さも捨てがたいけれど、落ち着くのはここだね」
蒲公英色の頭髪の青年は言った。
ローザンブルグ地方のマイルーク城の書斎。
旅装から外套を抜いただけの姿でレインドルク伯爵公子は微笑んだ。
「離れれば離れるほど離れがたいと感じる。
麗しのローザンブルグ」
歌うような口調でペルシは言った。
青鈍色の瞳は明るく、心からの言葉だと伝える。
「そのローザンブルグにない物は手に入ったのか?」
レフォールは読みかけの本を傍らに置き、名目の成果を尋ねた。
従兄がベルシュタイン侯爵の邸に招待され、王都に滞在中はそこで過ごしたことは耳に入っている。
ベルシュタイン侯爵家はエレノアール王国を支える柱の一つであり、優秀な政治家が輩出されるとともに聖職者が推薦される一族と知られている。
従兄の婚約者であるガルヴィ嬢の生家でもある。
その邸で短くはない日数を過ごして、何もなかったはずがない。
「一冬は飽きないと明言できるよ。
残念なことがあるとしたら、そろそろ写本のために人を雇わないといけないことかな。
本当は全部、自分でやってしまいたいのだけれど……体が空かないことが増えてきたからね。
ああ、何冊か進呈するよ。
隣国の本も手に入ったんだ」
多弁は従兄は、そこで言葉を切った。
他者に明るい印象を与える青鈍色の瞳がレフォールを見た。
「それでどんな話があるんだい?
死刑執行人のような顔色をしているよ」
からかうような口調で言うと、ペルシは来客用の椅子に腰かけた。
「レインドルク伯爵家の継承についてなのだが」
レフォールは切り出した。
「それは重要な話だね。
継承の順番!
リーク・スコレス・ローザンブルグの後を誰が継ぐか?
……この数年、誰もが避けてきた話題だよ。
だから、どうして『今』切り出されたか、良くわかる。
私は意見を言える……立場なのだろうか?」
「残念ながら」
レフォールは首を横に振った。
「やっぱりね」
ペルシは困惑に近い微笑を口元に浮かべる。
「まだ決定ではない」
「これから、決定されるんだろう?
それぐらいはわかるさ。
レフォール殿はマイルーク子爵……いや、次期公爵として、意見を述べたんだ。
私はそう確信している」
無実の罪で断頭台に上がる囚人のように、ペルシは言う。
己の潔白を知る者がそうであるように、正々堂々と隠された罪を問う。
「決定はローザンブルグ公爵に委ねられている。
私は参考程度に、意見を聞かれただけだ」
レフォールは事実だけを告げる。
「次期レインドルク伯爵をペルシ・サルファー・ローザンブルグを推したのだろう?
もちろん他にも賛同者がいた。
君は実に保守的で、慎重だ。
会議を紛糾させるのは得意ではない。
そういうものはレインドルク家のお家芸だ」
青鈍色の双眸に迷いがよぎった。
言うべきか、あるいは一生秘するべきか。
即決できなかった、と多弁な瞳が語る。
数瞬の沈黙が書斎に落ちた。
「レフォール殿」
普段よりもトーンの落とされた声が告げる。
「嘘をついたら、最後まで突き通すのがマナーだ。
秘密は誰にも明かしたらいけない。
他人を騙すときは、信頼している人間にも語ってはいけない。
当人に懺悔するというのは、身勝手な行為だよ」
思いやり深い従兄は、婉曲的な忠告をした。
左胸の聖徴が熱を持ったようにちりちりと痛み出したが、レフォールは無視する。
あの時、レフォールは嘘をついたわけではない。
誰にも訊かれなかったから答えなかっただけなのだ。
「君は……君は親族会議でこう言ったんだ。
『実務能力のあるほうを』と。
その言葉に数人かは、悩んだだろうし、自分の意見に安心しただろう」
まるで見ていたように、ペルシは言った。
現レインドルク伯爵が会議から息子を退けた理由。
現ローザンブルグ公爵が是非にと望んだ理由。
ペルシ・サルファー・ローザンブルグは秀逸だった。
「いくらでも理由はある。
父上が継いでから、ずいぶんと長いこと経つし、領民も納得している。
兄上は実務能力があるところを親戚一同に見せたことがない。
不安材料は少ないほうが良いだろう。
それに、レインドルク家は本家を支える。
外に出せない兄上よりも、都ぐらいなら出しても平気な私のほうが都合も良いだろう。
私と君の仲も良いし、兄上と君よりも円滑に話が進むだろう。
実にわかりやすい構図だ。
……でも、君はそんな意味で言ったのではないだろう?」
従兄は尋ねた。
「ペルシ殿が継いだほうが、楽ができるだろうと判断した」
「君が公爵になったとき、私がレインドルク伯爵なら、楽だろうね。
子爵の仕事は大変かい?」
優しい従兄は質問の方向を変えた。
「意外に多い」
レフォールは隠さずに答えた。
「私は人が好いらしい。
そういう話を聞くと、引き受けようとかと思ってしまうんだよ。心の底から」
ペルシは肩をすくめて見せる。
「ただ無条件に引き受けるのは癪に障るから、二つほど約束をして欲しい。
間違っても兄上のまだ生まれてもいない娘と、私のまだ生まれてもいない息子を結婚させないで欲しい。
レインドルクの血は濃くするべきじゃない。
第一、もう懲りただろう。
本家にレインドルクの血を混ぜたから、父上の代は苦労しているし、私たちもそれなりに苦労している。
聖徴とはよく言ったものだ。
男性が持つとろくな事がない」
「努力しよう」
レフォールは頷いた。
血の濃すぎる従姉弟たちが情熱的な恋に落ちる可能性がゼロではなかったが、初めから縁組をしておく配慮は不要だろう。
そういったことは自然に任せたほうが良い。
「もう一つは。
楽になって空いた時間は、白薔薇姫と……いつか生まれてくる君たちの子どものために使って欲しい」
これが条件だ、とペルシは人好きのする笑顔を浮かべた。
レフォールは青灰色の瞳を見開いた。
「……感謝する」
「感謝には及ばないよ。貸し借りなしというところだ。
伯爵になっておかないと、ベルシュタイン侯爵家と釣り合いが足りないだろう?
いくら、君と兄上の次に公爵家を継承できるとはいえ」
ペルシは穏やかに言った。