第四話 侍女頭リネの夏


「――というわけなのさ。お館様も困ったもんだね。
 長々と勤めてきたわけだよ。あたしだってね。ああ、あんたもそうさね。
 だが、あんたよりもあたしらのほうがお館様と一緒にいる時間が長いんだからさ。
 そこんとこは負けといてよ。って、聞いてるの? スプラルの白い魔女さん!
 ファーベルル!」
 侍女頭のリネが言ったのでファーベルルは手を止めた。
 栗色の髪に白髪が混じった老婦人はおしゃべり好きだったが、勤務態度も忠誠心も随一だった。
「聞いています」
 ファーベルルは乾燥した香草を細かく千切る。
 人間の頭ほどの大きさの葉を刃物を使わずに、手だけで粉のように細かくするには根気がいる。
 昼の長い夏場でなければやっていられない作業だった。
「私は魔女ではなく、治療師です」
「知ってるよ! でも、やっていることは一緒だろうさ。
 人から疫を払って、ケガが早く治るようにまじないをして。
 あんたがやらないのは人を呪うことぐらいで、明日の天気だって占うじゃないか。
 イイモンだから、白い魔女なんだろうよ」
「私には魔法は使えません」
 ファーベルルは何度目かの訂正をする。
「んにゃ。あたしの目は誤魔化せんよ。
 イレーヌ嬢ちゃんに惚れ薬を作ってやったんだろ?
 嬢ちゃんに、若いお貴族さんがメロメロって何かの間違いってもんだ。
 そりゃあ、嬢ちゃんはかわいいさ。ああいうのが花のようなヤツってお貴族さん方はいうんだろうよ。
 けれど、今までちっともモテてなかった。
 この辺を歩いている男どもは、みんな笑ってた。
 惚れてる若いのなんていなかった」
 リネは断言した。
「都合の良い惚れ薬はありません。おとぎ話の中だけです」
 確かに似たり寄ったりする効果のある薬はある。
 香りをかいだだけで多幸感をもたらす花。
 脈を速くする香料。
 発汗を促す刺激物。
 惚れ薬……媚薬と呼ばれるものは、その程度の効果しかない。
 ときめき。恋のきっかけになるかもしれないが、永続性はない。
 ささやかな後押しをするだけだ。
「あんただったら、作れるんじゃないか?
 腕がいいのは間違いないんだ。
 お館様の頭痛も、あんたのくれるまじない薬であっという間に消えちまう。
 それにあたしの腰痛も、ぬめっとした塗り薬と布だけで治しちまうじゃないか。
 あれは気持ち悪いけど、よく効くね。
 あ、今はいらんよ。
 でどうなのさ?」
「イレーヌ嬢の魅力が通じただけでしょう。
 美しく、優しい方ですから」
 ファーベルルは言った。
 感情豊かであり、とても繊細で、他人の心をつかむのが上手な女性だ。
 今まで自分に対しての評価が低く、うつむきがちで魅力を半減させていた。
 春を告げるような柔らかな笑顔を男性に向けて見せることが少なかった。
 隠れるように過ごしていれば、村の男性たちにはわからないだろう。
 ブロダ・ソディオの宝物、と呼ばれている本来の輝きが発揮されているだけ。
「本当にそれだけかい?
 あんたは何もしていないっていうのかい?」
 疑い深くリネが尋ねる。
 誰もが似たり寄ったりの反応をする……リネは年齢の割に柔軟な考えをするから、まだしも救われる方だ。
「はい、何も。
 神が初めからお決めになられたお相手、ということなのでは?」
 ファーベルルは言った。
「あんたの口から神様の名前が出てくると変な感じだね。
 でも、まあ。そういう相手というのはいるもんさね。
 出会うべくして出会うように、ちゃーんと神様が順番を決めて、用意してくださってる。
 そのうち若様にも、似合いの嫁さんが来るんだろうよ。
 今はそっちの話題が多いね。あんたは何か知ってる?」
 リネの世間話が始まった。
 本当に情報通だ。
 ファーベルルがこの小さな家から出なくても、城館どころか、近隣の村の話まで知ることができる。
 助かる一面もある。
 適切な薬を届けることができるからだ。
「いえ。お帰りになられたのは存じておりますが、若君はこちらには来られませんから」
 ファーベルルは葉を千切る作業に戻った。
 話好きの侍女頭に付き合っていては日が暮れてしまう。
「ああそうなのかい。
 こんなところに来るのは年寄りと女だけってことだね。
 若い男には、もっと面白い場所があるもんだ。
 それじゃあ残念だろうに。
 若様はたいそうご立派になられたよ。
 お館様も背が高いが、血かね?
 若様もしゃんとなさってる。顔だって悪かぁないし、礼儀ってモンがわかってる。村にいる若い男とは違うね!
 あんたも会ってみりゃいいのに。
 治療師だかなんだか知らないが、留守にしちゃマズイってわけじゃないだろ?
 前はちょくちょくまじない薬を届けたりしていたし。
 ついで、といって若様に会ったらどうだい?
 気持ちの良い方だよ」
 リネは名案だとでも言うように、言った。
「ご用がありませんから」
 ファーベルルは言った。
「用なんて作ればいいんだよ! あんたみたいにまだまだ若い娘が」
「私は今年で130歳になります」
「ああ、もう!
 スプラルの白い魔女だったら、若様に似合いだって言ってんだよ」
 リネは怒鳴り、木製の机を叩いた。
 小指の爪よりも小さくなった葉が舞う。
「じれったいねー。
 すぐそこじゃないか。
 まさか、あんたは4年前に若様が泣いていたのは、おしめが取れてないからとでも思っていたのかい?
 嬢ちゃんみたいに、マシュー川が恋しいから、って言葉を真に受けたのかい?」
「リネ殿、話が飛躍しています。
 若君がご立派になられたのは間違いないでしょう。
 ですが、どうしてわたしと若君が恋仲になるというのでしょうか?
 会ってもいないのに」
「そう、それさ! 帰ってきたのに何故、会わないんだい?
 これは何かある! ってなるのも、当然だろうよ?」
 明るいブラウンの瞳がキラキラと輝いている。
 世間話を聞くのはそれほど苦痛ではないが、その主人公になるのは苦痛だ。
 物の数にも入らないぐらいでちょうどいい。
 少なくともファーベルルは。
「何もございません」
 ファーベルルは静かに言った。
「小さい頃から知ってる方だろうよ。
 今更、分け隔てをするっていうのかい?」
「若君も大人になられたのでしょう。リネ殿がおっしゃっていたではありませんか?
 ここに来るのは年を召された方と女性だけ、だと」
「だから、あんたはファーベルルなんだよ。スプラルの白い魔女。
 ちょっとは自分のことを気にするといいさ。
 お館様の頭痛の種の半分は、あんただろうよ。
 何も若様に会わなくってもいいさ。
 ちょっとは外に目を向けるべきだろうよ!
 城館と共に朽ちていくなんて、あたしが許さないよ!」
 リネはまくしたてた。
 ファーベルルは口を閉ざす。
 城館と共に朽ちていく。
 理想的な終わりだと、思った。
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