第二十二章
長兄の正室に収まったのは、美しい女性だった。
ヨク・エンジャクの娘で、コウジャク。
大雀姫(だいじゃっき)と呼ばれることもある。
いつも一羽の雀を連れて歩いているという風変わりな美女だ。
胡蝶の君こと、ホウチョウはそんな兄嫁を一目見て好きになってしまった。
何かにつけてはコウジャクの部屋に行った。
コウジャクは大変しとやかな女性であったので、周囲はさして止めはしなかった。
初々しい城主夫人は、戦に明け暮れてなかなか城に戻らない夫へのやきもきを小さな妹の訪れで、いくばくか晴らしているようだった。
昼下がり。
ホウチョウは兄嫁の元に訪れた。
正室だけに与えられる、後宮の最も大きな部屋は、布であふれかえっていた。
ホウチョウも十五歳の乙女。
鮮やかな布に目を奪われる。
「まあ、たくさんね」
明るい声が楽しげに笑う。
「ようこそ胡蝶様」
部屋の主は、反物をクルクルと巻き取りながら言った。
侍女の姿が見えないのは、似たもの夫婦というところだろうか。
人を遣うのに慣れないので、余計気疲れてしまうのだと重大なことを話すように、ずいぶん前にコウジャクから聞いた。
「おはよう、義姉様。
これ全部、烈兄様から?」
ホウチョウは瞳をキラキラさせて訊いた。
自ら選んだだけあって、コウレツは妻を溺愛していた。
戦場(いくさば)を駆け回っているというのに、一日と空けずに恋文を贈りつけてくるのだ。
「半分は」
コウジャクは微笑んだ。
「じゃあ、もう半分は?」
ホウチョウは首を傾げる。
「お養父様から」
「すごい。
こんなにたくさん?」
「よろしければ、お幾つか差し上げますわ」
「いいの?」
ホウチョウの顔がパッと輝く。
「私には華やかすぎるものが多いので、どうぞ」
「ありがとう、義姉様!」
ホウチョウは笑った。
コウジャクの勧められ、いくつかの布を肩に当てる。
ああでもない、こうでもないと時間はのどかに過ぎていく。
穏やかな昼下がり。
仲の良い義姉妹が、それはそれは御伽噺のように美しく。
ここは、戦いとは無縁だった。
結局、ホウチョウは三つほどいただくことになった。
朱子織りが美しい銀朱。
金糸が織り込まれた贅沢な茜。
朝靄のように繊細な薄絹の桃。
どれもこれも一級品。
「本当に鮮やかなものがお似合いですね」
コウジャクは目を細める。
濃い緑の瞳が柔らかな光を宿す。
「義姉様は、紅は着ないの?」
「あまり、好きではないのよ。
私の生まれ育った場所では、もっと大人しめなものが上品とされたから」
コウジャクは反物にふれる。
ホウチョウは勿体ないと思った。
チョウリョウでは、鮮やかな色と色を取り合わせて着ることが華であると考えられている。くすんだ色を着るのは老年に達してからで充分で、若いうちは派手派手しいぐらいでちょうど良い。
中でも紅は特別だ。
染料が僅かにしか手に入らない上に、染めるのにとても手間が掛かる。『紅』と呼べるほどの赤をまとえるのは、裕福な者だけだ。
それが好きではない、とは。
……そういえば、母も紅は好きではなかった。
そんなことを思い出す。
「義姉様は、烈兄様の妻になって後悔していない?」
そんな言葉が口についた。
「え?」
コウジャクは目を瞬かせた。
「烈兄様は紅が好き。
でも、義姉様はあまり好きじゃない。
そんな二人なのに、一緒にいて楽しい?
チョウリョウに来たことを後悔していない?」
極上の瑪瑙の瞳は真摯な光を投げかける。
「いいえ、後悔はしていないわ」
コウジャクはゆっくりと頭を振った。
シャランと金の歩揺が音を奏でる。
「考え方は人それぞれ。
違うのが当然よ。
私は武烈様をお慕いしております。
お仕えすることができて、幸せよ」
コウジャクは自信満々に言った。
「ごめんなさい。
変なこと訊いちゃって」
可愛らしくホウチョウは笑った。
しかし、どこか痛々しさを拭えない。
本人にも自覚済みの笑顔だった。
「お気になさらず。
胡蝶様は、何か悩み事でもあるのかしら?」
コウジャクは優しく訊いた。
「結婚するって、どんな感じ?
いつ、結婚してもおかしくない歳になったでしょっ?
だから、少し……気になって」
ホウチョウはぎこちなく笑った。
膝の上に置かれた拳が、ぎゅっと裳を握り締める。
「胡蝶様が、気の進まぬ婚儀など、城主様は行われないでしょう?」
コウジャクは妹を安心させるように言った。
十五になったばかりの娘は、気弱に首を振る。
「兄様たちは優しいわ」
小さく微笑んでから、ホウチョウは言った。
「でも、酷く冷淡な面も持ってる」
ささやきにも似た言葉は、本質を暴くように鋭かった。
コウジャクは、目を見張った。
「……チョウリョウのために、と言われたら。
私は嫁ぐ。
どこであろうと、誰であろうと」
ホウチョウは言い切った。
顔を上げ、すっと背を伸ばす。
浮かぶ表情は、すがすがしいほどの笑顔。
「私は、結婚して幸せになりました。
武烈様と出会えて、本当に良かった。
そう思ってます」
コウジャクは言った。
その言葉に偽りが混じっていないことに、ホウチョウはほっとした。
そして、笑った。