第十七章
久々に戻ったシキョ城は、以前とは趣が異なっていた。
代替わりするとはこういうことかと、肌で感じた。
チョウリョウの民にしては色素の薄い青年は、回廊を渡る。
供人の姿が見えないのは、相変わらずというところか。
文官風の身なりに、やや細身の剣を腰に佩いただけという、あまりにも無用心ないでたちである。
青年とすれ違う女官たちは一様に頭を垂れ、彼を出迎える。
それもそのはず、彼はシキョ城の主が弟。
鳳とも呼ばれるホウスウ、その人である。
ホウスウは施政宮に向かう。
さらに、その奥の執務室。
来ることを事前に伝えてあったので、重い扉はすぐ開かれる。
部屋に入ると、すぐ正面に書卓があり、兄がいた。
飛の長になったと言う自覚が芽生えたのか、それともその重責からか、若いながらも総領と呼ぶに相応しい身なりをしていた。
二年前まで、市井の民と変わらない格好で、城内をぶらついていたとは思えない。
「何だ? 鳳。
珍しいな、お前が本城まで来るなんて」
武烈の君は人好きのする笑みを浮かべて、手元の書簡を巻く。
それを合図に、供人は退出する。
別段、聴かれて困るような話をするわけではないが、人払いをするのが常の習いになっているのだ。
用心深いのか、それとも己の剣の腕を過信してるのか。
「今日来ると言うことは、この前お伝えしたと記憶しておりますが」
着物の裾を引き、ホウスウは椅子に腰掛ける。
シキョ城の執務室には、お目付け役用の椅子が用意されている。
「そうだったか?」
コウレツは新しい竹簡を開く。
「そうです」
「そう言われれば、そんな気もするな……」
戦神はためいき混じりに竹簡に目を落とす。
「で、何の用だ?
まさか、これを手伝いに来たわけじゃないだろう?」
「当然です」
間髪いれずに、ホウスウは答える。
「そうしてくれると助かるんだがなぁ。
こういう内向きな仕事は、お前の方が得意だろう?」
「兄上がチョウリョウの長です」
にっこりとホウスウは言った。
「……ああ、わかっている。
南城から戻ってくる気はないのか?」
コウレツは弟を見た。
「ここは兄上の城です。
私がいても、災いの種になるだけです」
「お前が俺の側で手伝ってくれれば、楽になるのにな」
コウレツは薄く笑った。
それが叶うことはないと知っていても、思わず言いたくなる。
そんな諦めを知る微笑みだった。
「楽になって、どうするおつもりですか?」
「そしたらこの小競り合いを、一気に片をつけてやる」
赤茶色の瞳が爛々と輝く。
「まだ約束の時間まで、充分ありますよ。
予定よりもずっと早く、我がクニは大きくなっています。
乱の平定まで、かかっても二年というところでしょうか」
「早いところ胡蝶の花嫁姿を見たいじゃないか。
お前んトコの小さいのは大きくなったんじゃないか?」
コウレツは楽しそうに言った。
「この前の戦いは、完全にお飾りです。
ソウヨウは何もしてません。
ただ戦場に行って、ぼんやり見ていただけです」
「アレが?」
「ええ。
副官の話では、一度も剣を使うことなく、退屈そうにしていたそうですよ。
馬鹿でもできる戦いでした」
「意外だな」
「本気でやるつもりがなかったのでしょう」
ホウスウは微苦笑した。
戦場に出した意味がなかった。
あの程度の戦いでは食指も動かないのだろう。
「それがアレの処世術。
全く、お前そっくりだ」
「お言葉ですが、兄上。
私は周囲の期待にきちんと応えていました」
きっぱりとホウスウは言った。
「ああ、悪かった。
鳳、だものな」
コウレツは苦笑する。
「で、何の用だ?」
「書簡では埒が明きませんので。
単刀直入に言います。
兄上、そろそろ身を固めてください」
三つ年上の兄を弟は見た。
「そうは言ってもな。
忙しくて。
戦場から戦場に渡っている暮らしでは、嫁に来てくれる女人など……」
「兄上。
父上の血を絶やすおつもりですか?
二十五を数えるというのに、子が一人もいないとはあんまりです」
「それを言ったら、お前は子どもどころか、恋人もいないじゃないか」
「私の子では価値がありません。
兄上の子、それも健康な男子がこのクニには必要なのです。
妻が煩わしいと言うなら、側女でも、奴隷でもかまいません。
子作りなさってください。
長の重要な仕事、です」
チョウリョウの民らしからぬことを、ホウスウは顔色一つ変えずに、ハキハキと言った。
「母上のような例もあるしな。
どうも、気が進まない」
コウレツは筆を取る。
「あれは例外でしょう。
兄上を慕う女性も少なくない」
ホウスウは言った。
同じ両親から生まれ、育ったとは思えないほど、兄と弟の感覚はかけ離れている。
狂わずにはいられなかった母を見て、兄は気の毒と思い、弟は心が弱いと見放す。
コウレツは筆にたっぷりと墨をつけ、竹簡の端に署名する。
「今は忙しい。
落ち着いたら周囲の薦める名花を娶るさ。
遠慮せずに、鳳も妻を貰い、子を生せばいい。
良いのがいたら、養子にしてやろう」
コウレツは笑う。
「期限を切らしてもらいます。
年内に祝言を挙げてください」
「……難しいな。
もう選定に入らなければならない計算だぞ」
コウレツは書簡を巻く。
「その通りです。
頑張ってくださいね」
ホウスウは綺麗に微笑んだ。
「他人事のように」
「他人事ですから」
キッパリ、青年は言う。
「……気楽だな」
「気楽ですよ。次男坊ですから」
「……。
用件はそれだけか?」
「兄上の花嫁の選定、協力して帰ります」
「南城にとっとと帰ってくれ」
コウレツはためいきをつく。
「好みがあるなら、今のうちですよ」
「いいから。
帰れ!」
コウレツは怒鳴った。
「いやだなぁ。
せっかく久しぶりに弟が会いに来たと言うのに。
しばらく滞在させていただきますよ」
ホウスウは立ち上がり、部屋を出る。
この三ヵ月後。
コウレツはチョウリョウ一、美しい花嫁を迎えることになる。
花嫁は美しいだけではなく、賢く、またとても情が深い人であったので、武烈は大変気に入った。
この一件の立て役者は言うまでもなくホウスウである。