第百三章
「暇だわ」
不吉な呟きをもらしたのは、十六夜公主ことホウチョウ。
わりと解放された室内でのお茶会中に、である。
お茶会といっても、招待客は華月だけ。
ここは大司馬府であるから、招待に値する女性が少ないのだ。
ホウチョウの実母である、皇太后はあいかわらず床につきがちであるし、将軍の妻女たちは控えめな女人ばかり。
公主のお茶会には、参加してくれないのだ。
しかも、現在は建国祭の真っ只中。
主要な行事が終わったとはいえ、まだまだお祭り騒ぎは終わらない。
「その無聊を慰めるためのお茶会なんでしょ?」
華月は言った。
「ええ、そんな口実もあったわね」
ホウチョウはさりげなく、身も蓋もないことを言う。
「そんなに暇なら、勉強すれば?
公主なんだし、政治に参画できるんだし」
華月はお茶をすすり、言った。
途端にホウチョウは不機嫌になった。
「してどうするのよ。
政は男の仕事でしょう?
第一、あんな面白くもないことを、どうして皆楽しそうにしてるのかしら?」
「それが、良くわかんない。
楽しそうに政してる?
どんな感性してんの、ファン」
少女は不可解なものでも見るように公主を見た。
「楽しそうじゃない。
朝から晩まで、夢中になっちゃって。
まるで、子どもね」
ホウチョウは切れ味良く、こき下す。
「一生懸命に国を豊かにしようと、努力している人に失礼だよ」
「いい? 華月。
政なんて所詮、玩具なの。
自分の好き勝手にできるのよ、こんな大きなものを。
だから、皆それを欲しがるし、手に入れたら独り占めにしようとするの」
ホウチョウは断言した。
「その考え方、危険だと思うよ。
少なくとも、鳳は太平の世が欲しかったけど、皇帝の座は要らなかったんじゃないかなぁ?」
華月は首をかしげる。
「お兄様は、ね。
変わり者だから、ある意味ちょうど良かったのよ。
こういうのを天の配剤というのね。
嫌々やっている人の方が、結果的には良いのよ。
最善でなくても、最良ぐらいになるでしょう?」
ホウチョウは言った。
「ファンって、やっぱり、変」
華月はためいきをついた。
「あら、そうかしら?」
最上の赤瑪瑙の瞳はきょとんとする。
「その論理でいけば、ファンが最良の政治家ってことになるよ」
「でも、私はやらないわ。
義務ではないもの」
「鳳が道を誤ったときに、支えになる、とか思わないわけ?」
「あのめんどくさがり屋なお兄様が、ご丁寧に道を踏み外してくれるとは思えないんだけど」
「魔が差したら?
面白そうだなぁ、とか思って。
つい、って、やりそうじゃない?」
伊達に二年近く、傍にいたわけじゃない。
華月はある程度、現皇帝の性格をつかんでいた。
「それはありうるわね。
お兄様、面白いことが好きだから。
でもね、華月。
私も、面白いものが好きなの」
ホウチョウはにっこりと言った。
「……」
華月は『救い』がない、と思ったけれども言葉に出さなかった。
「じゃあ、公主らしく管弦でもすれば?
琴とか」
「嫌よ」
ホウチョウは即答した。
この時代、琴は教養として必須である。
「琴を弾くと、爪が傷つくじゃない。
せっかく、メイワが綺麗にしてくれたのに」
ホウチョウは華月に見せつけるように、右手を差し出した。
貴人としては短い爪に、美しく爪紅が施されている。
念のために言っておくが、爪の手入れは奥侍女の仕事ではない。
「剣舞をしている時点で、爪は傷むと思うんだけど」
華月は言った。
この少女の爪も、身分を考えれば短い方である。
鉄扇を扱うのに、長い爪は邪魔になる。
かといって、深爪をしすぎるのも武芸では良くないので、程よく伸ばしている。
「身を守る術はきちんと習得しておかないと。
誰かが必ず助けてくれるわけではないんだから」
もっともらしくホウチョウは言った。
婚約者が聞いたら嘆くこと請け合いな事柄だ。
「それは、そうだけど。
白厳は何でも管弦ができるんだし、それに釣りあうぐらいには練習しようとか、思ってもいいんじゃない?」
「大丈夫よ。
シャオの腕前じゃ、私には追いつけないから」
「……。
それ、本気で言ってるんだよね」
華月は呆れた。
男に恥をかかせてはいけない、というのは淑女教育の第一歩である。
しかし、目の前の乙女は事実を歯切れ良く言ってのけた。
彼女は公主である。
だからこそ、許される……暴言に近い一言だった。
「ええ、もちろん。
そう言えば、華月は琴が少しは上達したの?」
「うっ」
あと半年もせずに成人を迎える少女は言葉に詰まった。
海月は貧しかったのだ。
琴など、鳥陵に来てから習い始めた。
そうそうに習得できるはずもなく、人前では弾けないような有様である。
「お兄様が楽しみにしてたわよ」
ホウチョウはにこやかに追い討ちをかける。
「毎日練習してるよ。
扇術の次、ぐらいだけど」
華月はもごもごと言う。
「ふーん。
じゃあ、今度聴かせてもらいましょう。
あ。
確か、沖達は笛の名手よね。
聴いたことなかったから、ちょうど良いわね。
管弦の宴をしましょう」
名案を思いついた乙女は瞳をキラキラと輝かせた。
やると決めたら、やる性格だ。
華月は大きな瞳に涙をためた。
暇はこうして、潰されていくのだった。