第七部 海月視点03
同日、白鷹城にて。
ロウタツは、大司馬を目にして驚いた。
予想を裏切るほど幼い。
齢十八になるはずだ。
身長は鳥陵の中では高い方だろう。
皇帝とは違うが人を殺すとは思えない優し気な顔立ちとまだ伸び盛りな細い体躯。
腰まで伸びた癖のない樫の木色の髪を緑の飾り紐で襟元でまとめていた。
茶色とも緑ともつかない曖昧な色合いな瞳を持っていた。
皇帝の瞳が何かを識る水鏡なら、こちらは良くできた人形のようだった。
まるで空虚。
文官のような服をまとい、剣帯で宝剣のような剣をつるしていた。
情報が正しければ色墓の伝統的な剣。
しかも緑。
絲一族では最高位。
息をするように人を殺すといわれる歩く暗器。
それなのに青年は育ちの良さそうな穏やかな物腰で話す。
しかし、警戒心は隠していない。
苛立ちをにじませていた。
わかりやすく言うと『不快』だろう。
そして、傍に控えていた翔将軍の視線。
こちらは、もっとわかりやすかった。
冬葉色の瞳は、まるで蛇蝎のようなものを見るように睨んでいた。
奸智に長けると若き英雄と評判だったが、それは軍略の中だけだろう。
政治的な駆け引きは苦手だ。
おそらく高い矜持に隠されているが、激情家だろう。
気に食わなければ上官であろうとたてつく。
死の商人の翔家の嫡男とは思えないほどの不器用さだった。
同日、白鷹城の中夜。
ロウタツは施政宮で最も豪華な部屋に、滑らかなにすべりこんだ。
あまりにもあっさり入れたことに、軽い驚きを覚えた。
まるで待ちかねていたと言わんばかりに人払いがされていた。
ロウタツは皇帝からの用件を果たすだけだ。
大司馬の前に無言で竹簡を差し出す。
青年は何も疑わずに竹簡を丁寧に広げていく。
流麗な墨蹟を見ても、何の感慨も湧かないようだった。
中身は、ロウタツに届いたものと同じだった。
青年は衝撃を受けることがないようだった。
まるで慣れていると言った風情だった。
歩んできた経歴を考えれば当然になってしまっているのかもしれない。
薄ら寒いほどの空虚。
人間味がなかった。
何故、皇帝が大司馬に据え置いたか、理解してしまった。
「承りました」
と青年は穏やかな物腰でうなずいた。
灯燭を受けたせいか、曖昧とされる瞳は緑みが強くなったようだ。
「そう言っていただけると、信じていました」
ロウタツは震えあがる心を制して、無難な言葉を紡いだ。
青年には良心が欠落している。
そこからは監視の日々だった。
警護という名の兵がさりげなく伏せられている。
そこまで警戒されることをしたのだろうか。
むしろ巻き込まれたのだ。
領民という人質に取られ、遊戯盤の駒のように利用された。
それを知る者は天下の中では、鳥陵皇帝だけだろう。
監視は用事が片付くまで、続くのだろう。
監禁されているようだった。
無邪気に話すゲッカの笑顔だけが救いだった。
上手い具合に十六夜公主のお気に入りのようだった。
仲良さそうに談笑する姿を見て、この瞬間が続けばいいのにと思ってしまう。
十六夜公主は、鳥陵皇帝が大司馬に植え付けた絶対の律。
いびつな関係だった。
予測の範疇だが裏切らせないために、利用しやすくするために徹底的に幼少から仕込まれている。
良心が欠落している青年は十六夜公主ためには全力で動くだろう。
まるで、カイゲツの民が月光を求めるように。
たった一つの真実として。
これが鳥陵の民が信仰するように強固に結ぶ生涯ただ一つの『恋』なのだろうか。
頭痛を覚えるような案件だった。
とりあえずは、十六夜公主が気が変わらない限りゲッカは安全だろう。
それだけ確信できれば、もう望まない。
仕事らしい仕事はない。
少々、太守不在の海月郡が気になったが慈恵に任せたのだ。
二か月ぐらいは大丈夫だろう、と踏んでいる。
群臣たちはおおよそ職務に律儀で、勤勉だ。
特にカイゲツ時代からの高官たちは『奇跡の子』を疑うことなどしない。
笑顔で領地に帰ってくるのを指折り数えて、待っているだろう。
ロウタツはあまりにも暇なので、ぶらりと白鷹城を歩いてしまう。
土地勘のない場所を自分の足で歩くのは、習い性だった。
カイゲツは優秀な密偵を抱えるほど豊かではなかった。
地の利を知るためには、自ら足を運ぶしかない。
退路を探す。
カイゲツの宰相だったころからの癖だった。
どんなものにも、突破できる道がある。
逃走経路の確保は、最優先だった。
引き際を誤ってはいけない。
重要事項は間違ってはいけない。
幼い少女を総領として仰ぐことを決めた日から。
方向音痴で知られているので、誰にも驚くことなく歩けた。
少なくとも、一部以外では信じられていた。
近隣で難攻不落で知られている海月城の宰相が、本陣を離れて、丸腰で、不用心に一人でふらふらと歩いていれば、誰だって排除したくなるものだ。
戦場に立ち続けていた時間だけ、命のやり取りには慣れている。
誘われた敵には容赦なく。
その身でもって、時間を稼ぐ。
冷静さを失ってはいけない。
そんな些細なことで動揺をしてはいけない。
ここは海月郡でもなく、鳳凰城でもない。
麗しい姿を保ったままの、大司馬府だ。
明確な不快を隠さない敵意。
こういった嫌な予感が外れたことがない。
できるだけ路傍の石のように。
いてもいなくても気にならない。
そんな自然体で無難に過ごしていく。
ただ時折、突き刺さる視線を感じるものの。