The Gift 05
「俺の親がお前を引き取る時に養子縁組にもできたはずだ。あるいは里親制度も使うこともできた。でも、それをしなかった。未成年後見人を利用した。
そしてお前が言った通り、お前は18歳を過ぎ成人した。もう未成年ではない。
憲法24条1項に書いてある通り、婚姻は両性の合意のみに基づいて成立だ」
《黄昏》は私の退路を断つように言った。
「どこに《黄昏》のメリットがあるんだ? 条件のいい女性の方が多いだろう。私と『結婚』しても不幸になるだけだ」
私はどうにか顔を上げた。
「習わなかったのか? キリスト教での結婚式の誓いの言葉を?
うちの親はウェデイングドレス姿のお前が見たい、って言ったはずだ。
もちろん日本の法律では、婚姻は合意がなければできない。
俺の気持ちは伝えたつもりだ。
あとはお前がうなずくだけでいい」
《黄昏》は言った。
キリスト教の結婚式の誓いの言葉は知っている。職業上、必須の知識ですらあった。誰もが幸福そうに楽しみ待っている。特に6月の花嫁たちは。有名すぎるフレーズだ。しかも『病める時』から始まる。つまり病気の時でもあっても、支え続けると愛を誓うのだ。《黄昏》の言葉はあまりにも重すぎる。
私の病気は一生ものなのだ。私が《黄昏》と出会う前に、私が《shi》と名乗る前に、すでに始まっていた病気なのだ。しかも、私と《黄昏》は遠縁とはいえ血が近い。環境による因子も大きいが、いまだに遺伝子レベルで決まると信じられている。一般のうつ病やパニック障害、あるいは日本人に多い神経質にまで手洗いをする強迫性障害とも違う。風邪のようにかかるといわれる病気ではない。個性として認められる病気ではない。私が気軽に病名を明かせないように、あまりにも有名すぎて嫌悪される病気なのだ。しかもその罹患率は、血縁関係ではなくても100人に1人だ。
私がいまだに人混みを避けるように、私がいまだに他人と上手にコミュニケーションを図れないように、私がいまだに薬を飲み続けるように、私がいまだに手を繋いでもらわないと電車に乗れないように、乗り越えがたい病気なのだ。
私が親から受けたように私自身も子どもをきちんと愛せるかどうかはわからない。
私の知っている知識を《黄昏》が知らないはずがない。私が小さな白い箱を持って、ろくに洗濯もしていなかった中学校の制服を着ていた頃からの付き合いなのだ。
きちんと転入した先の中学を卒業し、全日制の公立の高校に進学にできるまでの学力を伸ばし、反対する《黄昏》の両親から専門学校への道を選ばせてくれたのも《黄昏》のおかげだった。無事専門学校を卒業して、就職することができた。私が至る道の先には常に《黄昏》がいた。どんなに他の人が反対しようとも、必ず子どもであった私の意見を尊重してくれた。
いつだって《黄昏》はドライであった。誰とも距離を取り、深入りを避ける。そして冷静であり、合理的な判断をして、誰にでも公平であり、できることとできないことの区別をする。社交性は高いし、対人関係における人当たりは悪くないだろう。
だが、執着をしないはずだ。そういう人間はドライとは言わない。どうして《黄昏》は私という個に執着するのかが理解ができない。
「俺には何か迷うような案件があるとは思えないだが?」
「どうして、そこまで《黄昏》が私にこだわるのかが理解できない」
私は迷った末に答えた。
「じゃあ、何でお前は『結婚』したら俺が不幸になると信じているんだ?
それに幸せになるために『結婚』するんじゃない。
不幸せになってもかまわない、と思う相手と『結婚』するんだ。
少なくともお袋は、そう言っていたはずだ」
《黄昏》の言葉には一片の真実が潜んでいた。
母親を知らない私を実の娘のように愛情を注いでくれて、今の私の基礎を作り直してくれた《黄昏》の母がくりかえして言っていた言葉だ。忘れるできることのない言葉だった。
「自分の感情に疎すぎるのもたいがいだな。
そんなに俺の気持ちが迷惑なら、いつものように逃げればいいだけだろう。
ネットゲームでトラブルを起こすと、逃げて回っていた。
あるいは激しい拒絶をしていた。
すっぱりとネットゲームをやめることも多かった。
リアルでも、携帯電話のアドレス変更も頻繁だった。
しかもアドレス変更を知らせるのは一括送信は事務的だと避けてきた。
どうして今、俺の手を振り払わない?
ここは電車の中ではない」
《黄昏》が事実を突きつける。
「わからないから困っている」
私は途惑う。自分の気持ちというものは遠すぎる。摩耗しすぎている。私は私らしくあるために、常に他者の介入が必要なほど主観がないのだ。ちょうど月が太陽によって肉眼で認識できるように、私は自分というものを生きていない。エスペラント語で三人称の『彼女』を意味する《shi》と名乗るのもそのためだ。そういう病気なのだ。
「くりかえしになるが、自分よりも他人の幸福を願う、そういう感情を何て呼ぶんだ?
俺は誰よりもお前の幸福を願っている。
もし、ここで振られてもお前が幸福になれるのならかまわない。
きちんとお前の考え方を修正して、受け入れてくれる男が現れて、それをお前が選んだのなら、ちゃんと親族として祝福するぐらいの覚悟を持って言っているんだ。
しかもこの気持ちは軽薄なものではない。
年単位で贈ってきた白い大きな箱が証明だ」
《黄昏》は言い切った。
腕時計の意味は『一緒の時間を共有して共に歩んでいきたい』。
男が女に服を贈る理由は『その服を脱がせたい』。
男が女に口紅を贈る理由は『あなたにキスしたい』。
男が女にネックレスを贈る理由は『永遠に一緒にいたい』。
男が女にイヤリングを贈る理由は『常に自分の存在を感じていてほしい』。
そして、12本の赤いバラはも誕生石の指輪もプロポーズだ。
愛している、と言われているのと同じ意味だ。
その理論からいえば
「私は《黄昏》を愛しているのか?」
私は頼りなく呟いた。自分で口に出しておいても間抜けなほどの問いだ。しかも自分の気持ちのはずなのに他人行儀だ。真剣に求婚してくれるているのに無神経だろう。こういう場合、喜ぶなり、態度に示すのが礼儀だろう。間違っても本人に問いかけるものでは無い部類のものだ。
「じゃなければ俺のことを除外しないはずだろう?」
やっぱり《黄昏》は《黄昏》だった。私の途惑いを否定することなく、筋道に戻してくれた。
「そうか、特別なのか。
確かに私にとって《黄昏》は特別だ。
誰よりも幸福になってほしい。
そういうのを愛しているというのだな。
ずっと特別だった。
私が今の私であるのは《黄昏》のおかげだからな。
《黄昏》が幸福になれるのならば、妹として祝福してもかまわないぐらいずっと思っていた」
私は答えを出した。
「それで俺はプロポーズしたつもりだったんだが、返事は?」
《黄昏》が確認する。
「《黄昏》が幸福になるなら受けてもかまわない」
私は最大限の想いで返事をした。たとえそれが一般的な返事と遠いとしても。
《黄昏》は嬉しそうに笑った。ここまで表情を崩して笑うのは珍しいを通り越すのではないのだろうか。
「どうした?」
「いや《黄昏》が嬉しそうだと思って」
私は不思議に思ったことを素直に口にした。
「一般的に、プロポーズして承諾されて嬉しくない男はいないだろう。しかも、理由が振るっている」
「一般的な返事ではないだろうな」
「それこそ勘違いだろう。
幸福になってほしい、なんてどっかの映画かドラマだろう。
あれだけ恋愛映画を見せに連れてまわったのに」
「社会勉強の一環だと思っていた」
「そんなところだろうと思っていたさ。
期待なんてしていない」
軽い口調で《黄昏》は言った。
「最高の誕生祝いになったな」
そう言いながら《黄昏》は歩き出す。手を繋いだままだから、私も並んで歩く。
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