今日も晴れ


「ご機嫌はいかがかな?
 可愛いお姫さま」
 白姫雛菊が絨毯のよう茂っている場所でアニスは横になっていた。
 日差しを陰ってくれる樹木のおかげで、快適な場所だった。
 小さな庭で、一般的には死角になる庭だ。
 アニスが聖典を枕代わりに昼寝をしていても、気がつく人物は少数だった。
 お付きの女官か、目の前の青年だけだろう。
「最悪な気分よ。
 マイルーク子爵」
 アニスは上体を起こして、答えた。
 金の首飾りが微かな音を立てた。
「今日もマイルーク領は良い天気みたいだけど?」
 オルティカは空を仰いだ。
 嫌になるぐらい青空が広がっていた。
「君がローザンブルグ地方に戻ってきてから、天候不順になったことは一度もないようだね」
 微笑みながらオルティカはアニスの隣に座った。
「ローザンブルグ娘は結婚したら、天候を乱すことがなくなるって。
 レインドルク伯爵夫人は言っていたけど?」
 アニスは言った。
「それは半分だけ、正解だね。
 図書室に眠っている文献によると、例外もあるようだよ」
「どこの図書室?」
 聞いたことのない話だけあって興味を覚えた。
 誰も彼も、アニスが言い出さなければ余分なことだと教えてくれないのだ。
 成人して結婚をしてからも変化がなかった。
 淑女らしく、などと言われないのだ。
「ローザンブルグ城。
 つまり父の、公爵の居城だね。
 もともと築城されるまでは、あの一帯は一族が集まる礼拝堂だった。
 文献は厳重に保管されている」
 オルティカは秘密話をするように言った。
 ローザンブルグの姓を持つような人間にとっては常識的すぎて、教えることなども思いもつかないのかもしれない。
 みんな知っている。
 そんな認識のような気がしてきた。
「先に教えてくれれば良かったのに。
 ローザンブルグ城に行った時に図書室で調べられていたわ」
 アニスは唇を尖らせた。
 外を自由気ままに出歩いているから、勘違いされやすいが、アニスは勉強をするのが嫌いではなかった。
 知らないことを知ることは楽しかった。
 勉強が嫌いだったら、紙切れよりも薄い信仰心しか持っていないのに聖典の写本を持ち歩いて、昼寝の場所なんて探したりはしない。
「君がローザンブルグ城に行った回数から、それは難しかったと思うよ。
 スケジュール的に体が悲鳴を上げていただろう。
 知りたいなら、取り寄せようか?
 君が読みたがっていた、と手紙に書けば、公爵自ら喜んで運んでくると思うよ」
 オルティカは穏やかに言った。
「マイルーク子爵は多忙なのに、爵位が上の公爵の方が暇しているの!」
 アニスは声を荒げた。
 マイルーク子爵夫人になってから、最も不満に感じていることだった。
 結婚したら、もっと一緒にいられると信じていたのだ。
「前にも話したように、公爵は貴族としての仕事しかしていないからだよ。
 マイルーク子爵が決まった時点で、ローザンブルグの姓を持つ者の、聖リコリウスさまが授けてくれた聖徴を含めての仕事が、託さるからね。
 その他に王家に忠誠を誓っている子爵の仕事もあるから」
 オルティカはアニスの癇癪など気にした風ではなく答える。
「なんで、あなたはそんなに多忙な子爵になることにこだわったの?
 やっぱりお父さまから爵位を引き継ぎたかったから?」
 アニスは気を取り直して、質問した。
「マイルーク子爵にでもなっていなかったら、レンドルク城にいる君との接点がなくなってしまうだろう?
 私が成人した段階で、君に会えなくなっていただろうね」
 さらりとオルティカは告げた。
 ……成人したら会えない。
 だったら幼なじみといって差支えのない青年とは、アニスが12歳の時には会えなくなっていなくなっていた計算になる。
「私が友だちになって欲しい、って言ったから?
 約束を守るためにマイルーク子爵になったの?」
 独りぼっちが寂しくて小さすぎるアニスがねだった約束だった。
 髪も結い上げられないほど短いぐらい幼い頃の話だった。
 アニスが育ったレインドルク城では、同世代の知り合いがまったくいなかった。
 働いている使用人たちがいなかったわけではないが、平民が貴族階級――アニスのような王女の称号を持つ姫君と口は聞いてくれても、友だちになんてなってくれなかった。
「自分のためだよ。
 君はご両親の元に戻る、と決まっていたからね。
 時間は有限だ。
 白姫菊姫となったら、親王派であり、血が濃すぎるローザンブルグ家には王女は嫁さないだろう。
 それに次期公爵とはいえ、子爵は末端貴族だから価値がなさすぎる」
 オルティカはあっさりと言った。
「私が王宮で天候不順なんて起こさなければ、あなたは他の女性と結婚して、跡継ぎを作ったってこと?」
 嫌な感じがしながらもアニスは質問をした。
 後継者を得るというのも、貴族階級の男性にとって大切な仕事だった。
 妻として迎えた女性が子どもを産めない、とわかったら神さまの御前で誓った以上、離婚はしないまでも、それなりに女性を探してくるものだった。
 王家といえども例外ではない。
 たまたま母である王妃は子宝に恵まれたから、国王は寵姫を持たずにすんだのだ。
「マイルーク子爵だからといって結婚がワンセットじゃない。
 結婚した男性が多かっただけだよ」
 オルティカはためいき混じりに答える。
「女性を愛せない男性もいたってこと?」
 アニスは小首を傾げた。
 その拍子に金の首飾りが揺れて、切ない音を立てた。
「……。
 本当に君はのびのびして自由な発想をしているね」
 オルティカは困ったように言った。
 どうやら見当違いなことを尋ねてしまったようだ。
「レンドルク伯爵家ですら『個性的』って言われたぐらいだから、王家のお姫さまどころか、貴族の女性としても、型破りなんでしょ?
 最近、自覚ができたわ」
 アニスは答えた。
 レインドルク城並みに自由にさせてもらっているから、うっかり忘れそうなことだった。
 成人して大人の仲間入りしたはずなのに、子ども時代とほとんど変わっていない。
 王宮で王女さまらしくしていた時よりも、マイルーク子爵夫人になってからの方が気ままに暮らしているのだ。
「わかりやすく言おう。
 君を愛しているから、他の女性は愛せない。
 だから結婚する気はないし、跡継ぎを作るような行為はできないということだ」
 オルティカは断言した。
 黄金色のまつげを瞬かせてから、アニスは上機嫌に笑った。
「ずいぶんとご機嫌が良さそうだね、お姫さま」
 オルティカはアニスの頬を撫でた。
「ようやくあなたが『愛している』って言ったからよ。
 昨夜、寝る前にも聴いたけど、起きたらベッドで独りぼっちだったのよ。
 マイルーク子爵夫人って仕事がなさすぎじゃない?
 公務ってほとんどないですもの。
 おかげで昼近くまでぐっすりと眠っていたの。
 女官たちが食事をした方がいいって起こしに来るまで眠っていたわ」
 アニスは不満をぶちまけた。
 誰かに聞かれるような心配がまったくなかったから言える話だった。
「子爵夫人に公務が少ないのは、ほとんどがローザンブルグ娘が夫人になっていた名残だ。
 ローザンブルグ娘は、ローザンブルグ姓を持たなくても……つまり貴族階級でなくても、ローザンブルグ城で家族ともども育つんだ。
 自然と幼なじみになる。
 ローザンブルグの姓を持ち、聖徴が色濃く出た男性は、野心を持つものだ。
 幼なじみの可憐な少女を妻にしたい、ってね。
 当然の帰結として、マイルーク子爵を目指すことになる。
 ローザンブルグ地方で最も権力を持つから、ローザンブルグ娘の意思さえ確認できれば、文句を言われずに妻に迎えることができる」
 オルティカが丁寧に説明してくれた。
 聖リコリウスさまが与えられた聖徴を守るため、とはいえローザンブルグ家には変わった伝統がありすぎる。
 父親から長じた息子に爵位が譲られない、など他の貴族の家では考えられなかった。
「ローザンブルグ娘が嫌って言ったら、結婚できないの?」
 アニスは確認をした。
 感情と天候が直結するというローザンブルグ娘なんて厄介者だろう。
 嵐なんて起こされたら、あっさりと農作物がダメになる。
 だからこそ、意志が最優先で尊重されるのだろうか。
「そこはレインドルク城の図書室の方が記録があるよ。
 ローザンブルグ娘を最も排出する家系だから」
「けっこう長いことレインドルク城にいたけど、読んだことがないし、勧められたことがないわ」
 アニスは不思議に思った。
 どうして伯爵も伯爵夫人も教えてくれなかったのだろう。
 白姫菊姫は王宮に戻るはず、と思いこまれていたのだろうか。
「……心まで大人になりきれていない少女が『結婚』の意味もわからずに無理に嫁いだ場合、天候が荒れるぐらいならまだしも、殺傷沙汰にもなったらしい。
 子どもを作る作法なんて、知識がなかったら、正しい手順であっても、……特に初めての夜は、女性にとって暴力を振るわれたようなものだろう?」
 オルティカは言った。
「そういえば、その手の作法は王宮で習ったわ。
 あら? ローザンブルグに戻ってから、勉強をしていないんだけど?
 私に知識がなかったら、それなりに大変だったんじゃない?
 どうしてかしら?」
 アニスは疑問を感じた。
 知識として知っていても、初めての夜はかなり緊張をしたのだ。
 ローザンブルグ娘の力を抑えるというローザンブルグ城だったから雨にもならずに、強風も吹かなかったのかもしれないけど。
 雷雨とまではいかなないまでも天候が荒れたら、どうしようと不安になった。
「普通の家だったら、夫になった人物にすべて任せない、とでも女親が言うらしいけど、君はローザンブルグ城でそんなことを言われたかい?」
「泣いてもいいし、怒ってもいいって言われたわ。
 そんなことをしてもローザンブルグ城なら、天変地異は起こせないって意味だと思いこんでいたけど、さっき例外があるって言っていたわよね。
 しかも殺傷沙汰になったって」
 アニスは不吉すぎる言葉に声を潜める。
 結婚初夜が殺傷沙汰なんて、不穏すぎる。
「嵐ぐらいならいいけど、血塗れの惨劇になった事例もあるらしい。
 苦痛と絶望から自らを傷つけた花嫁もいたそうだ。
 以来、慣例として、初夜は隠蔽できないようにローザンブルグ城でしか執り行われないようになったし、枕元には刃が用意されるようになったんだ」
「いつでも自ら命が絶つことができるように?」
 最上級の新品の物が用意された寝室に、短剣が置かれていることを思い出した。
 綺麗な鞘に入っていたから、神聖な場所から邪気を払う、お守りやおまじないみたいなものだと思いこんでいた。
「この話の展開で、そちらを想像する方が珍しいね。
 害を加えた男を殺すためだよ」
「結婚相手を?
 神さまに永遠の愛を誓い合った相手であっても嫌なら、傷つけてもいい、ってこと?」
 黄金色のまつげを瞬かせる。
「そうだよ」
 オルティカは重々しくうなずいた。
「どうしてあらかじめ、作法を教えておかないの?
 知識がなかったら、間違いなく大騒ぎになるじゃない。
 普通の家のように夫になった人物にすべて任せなさい、とでも言い包めておきもしないとか。
 絶対に天候を狂わせるためにあるとしか思えないんだけど?」
 アニスには理解が超えることだった。
「ローザンブルグ娘の意思はそれだけ優先されるということだ」
「どんどん夫を殺していったローザンブルグ娘もいたってこと?」
 どこの奇怪な物語だろうか。
 風変りな蔵書があるレインドルクの図書室だって、そんな物は置いていないだろう。
「……寡婦になった女性もいる。
 さすがに何度も、嫁がせたりはしなかったらしい」
「何故、結婚を許したの?
 愛し合っていたとか、政略的なものがあったとしても多少は好意があったんじゃないの?
 夫を殺す、とか信じられないんだけど?
 変わっている、とかそういうレベルじゃない伝統ね」
 アニスはありない、と思った。
 エレノアール王国の創世時代から、脈々と血族を絶やさなかったローザンブルグ家だったから、当然になってしまった伝統なような気がする。
 聖リコリウスさまの聖徴を守るためなら、何だってやってきたようなイメージだ。
「私の代でもう少し穏当になるように解決したい問題点ではあるよ。
 氷のような冷徹な公爵、血の色が緑色をしている公爵と歴史には残るだろうね。
 ただでさえ、王宮での地盤を固めるために政略的に王家の末姫を強引に妻に請うた、子爵ということになっているからね」
 オルティカは疲れたように言った。
「悪役ね」
 アニスは言う。
 誠実な幼なじみの青年とはかけ離れた話題だった。
 実際にしてくれた行動は、まるで恋愛物語に出てくる王子さまみたいなものだったのに。
 おかげで窮屈すぎる王宮から出られて、アニスはハッピーエンドだった。
「嫌いかい?」
「物語では大好きな方よ。
 恋愛物語に出てくるような都合の良い薄っぺらい相手役より、魅力的じゃない。
 どうしてヒロインは、そっちを選ばなかったのかしらって。
 私は運命に弄ばれた悲劇のお姫さまの役どころね。
 面識がない血も涙もない無慈悲な公爵に政略的に嫁いだのだから。
 そうそうできない経験だわ」
 アニスは機嫌よく言った。
「日記でも残しておいてくれるかい?
 君が私を愛しているって」
「嫌よ。そんなものが子孫に残るのは。
 育てる予定の子どもまでならいいけど、顔も知らない血族にそんなものを読まれた日には汚点だわ」
 アニスはハッキリと告げた。
 日記どころか、オルティカに詩も書く気もない。
 そんなものは本職の詩人に任せておけばいいのだ。
「私には、毎日、愛の言葉をせがむのに」
「沈黙の誓いのせいで、式が終わって、公爵が燃やすのを見るまで、一言も言ってくれなかったからよ。
 その分、取り返さなきゃ勿体ないないじゃない。
 そもそも私に対して、美しいとか、綺麗とか、言ったらダメって、どれだけ公爵たちは警戒していたの?」
 アニスは憤慨した。
 好意を持った男性から、多少ぐらいは賛美は欲しかった。
 正式に婚約してからだって、言ってもらえなかった。
 全部、式を挙げるまでなかったのだ。
 年頃の乙女にとっては、貴重な時間を返して欲しいぐらいだった。
 レインドルク城では二人きりにはしてくれたけども、納得はいかない。
「君は世間知らずで、私以外の歳の近い男性との接点がほとんどなかったんだ。
 一応、恋愛小説は読んでいたわけだし。
 下手に私を異性として意識をして、そのまま私の口車に乗って、恋をしたら大変だろう?
 私が君に好意を持っているのは、周知の事実だったから、嵌めるとでも思われていたんだよ。
 君は両親の元に戻る、という約束だったんだ。
 王家との約束を反故にするわけにはいかない。
 それにご両親は君を大切に思い続けていたんだからね。
 身を切るような別れだったんだ」
 オルティカは丁寧に説明してくれる。
 手間のかかる我が儘な幼なじみではなく、きちんと女性として見ていてくれた、というのは嬉しかった。
 が、単純には喜べない。
 そこまでお子さまではないのだ。
「王宮はあまり良い想い出がないわ。
 家族って意識も薄かったし。
 楽しい思い出が一つもないのよ。
 苦痛だったわ。
 おかげさまで王国中が悪天候になって、飢饉まで出しちゃったみたいだけど。
 ローザンブルグ娘の利点かしら?
 私の気持ちが最優先されるなんて素敵だわ。
 ……その割には、あなたが忙しすぎるとか最悪だけど」
 アニスは言った。
 悪天候になれば、もう少しかまってくれる時間が増えるような予感はしているのに、今日だって嫌になるぐらい良い天気だ。
 雲ひとつない青空が広がっている。
「一度も、ローザンブルグ地方が悪天候になったことがないからね。
 エレノアール王国中が冷害や穀物病があっても、豊作だったし。
 君の制御力はどうなっているんだい?
 式を挙げる前は、多少は覚悟をしていたんだけど……今年も豊作のようだね」
 オルティカは不思議そうに言った。
「制御力に関しては私が訊きたいところよ。
 レンドルク城でも、マイルーク城でも嫌になるぐらい天気が良いのよ。
 私がこんなにも不満を抱えているのに、雨期以外は一滴も雨が降らないとか。
 曇り空になっても良くない?
 自分がローザンブルグ娘とか確信が持てなくなるわ」
 腹部にある消えない痕は烙印な気がしてくる。
 本当に聖リコリウスさまが神さまが授かった聖なる印なのだろか。
 オルティカの聖徴の位置は知っているし、本当にアニスと同じ色の痣があった。
 スーラウィンとかいう姓の青年貴族に撫でられたら殺してやりたいぐらいの嫌悪感を感じたが、オルティカにはそれを感じなかった。
 逆に聖徴にふれられるのは心地よいぐらいだった。
「これがおまじないになっているのかもね」
 オルティカはアニスの金の首飾りにふれた。
 かつてオルティカが肌身離さず持っていた信仰の証。
 成人前にローザンブルグ城で『契約』として手渡されたもの。
 アニスが金の首飾りを外すのは稀だった。
 鳩の血と呼ばれる最上級なルビー。
 宝石の王と他国で言われるだけあって、硬ければ、熱にも強い。
 入浴を含む、日常生活の中で、つけっぱなしでも問題がないのだ。
 『エレノアール王国の大聖堂』と呼ばれる古都のローザンブルグ地方で、アニスから取り上げるような人物もいない。
 常に金の首飾りと一緒にいるのだ。
「あなたの分身みたいなものだからかしら?
 結婚したから、毎日、顔は合わせられるし、食事も一緒に取れるし、同じベッドで眠れるわ。
 それに私はこの庭がお気に入りだもの」
 アニスは言った。
 小さな庭はマイルーク城の一角に面している。
 ちょっと顔を上げれば、大きなガラスが嵌まった窓が見える。
 マイルーク子爵の秘密の書斎だった。
 ローザンブルグ姓を持つ人物であれば立ち入ることのできる書斎とは違う。
 公にはできない書物たちが眠っている執務室だった。
「庭師から話を聞いたの。
 あなたが子爵になる前は、ごく普通の庭で、四季咲きの花たちが咲いて、冬にも耐える樹木しかない庭だって」
「今だって変わらないだろう?」
 灰青色の瞳は不思議そうに辺りを見渡す。
「生命力の強い姫菊だけど、城館の庭にわざわざ咲かすような花じゃないって。
 城壁代わりの森でいくらでも咲いているから。
 信仰篤きマイルーク城だから、花が耐えがちな季節に、礼拝堂の側にひっそりと咲いているぐらいでちょうどいいって。
 むしろ美しく芝生を整えるためには邪魔な花だって、私に言ったのよ。
 第三王女が白姫菊姫と呼ばれるのに」
 アニスは庭師の話を思い出しながら言った。
 さすがに城主の夫人に愚痴を言うつもりはなかったのだろうけれども、朴訥な庭師は正直に話したのだ。
「おしゃべりな庭師を解雇するように報告かな?」
 オルティカは苦笑する。
「あなたはここに姫菊を植えるよう言った挙句に、色は白に限定したって。
 噂好きの女官たちがこのことを知ったら、どんな顔をするのかしら?」
 アニスは言った。
 なかなか楽しそうな未来だった。
「話してもかまわないよ。
 君が、この庭を気に入っているようだからね。
 夫婦の秘密を自ら話すようなものだろう」
 オルティカは穏やかに微笑んだ。
 アニスは恨みがましく視線を送る。
 4つ年上の幼なじみに口で勝てたことがないのだ。
 いつだって上手いようあしらわれている。
 今日も完敗なようだった。
「それで午後のお茶のお誘いにきたんだけど。
 夫人がどこにも姿が見つからない、と女官たちが騒いでいていてね。
 昼すら、たいして量を食べていないのに、午後のお茶も抜いたら、健康に害があるほど痩せ細ると」
 オルティカは言った。
「妖精のようにほっそりとした体つきが流行、って聞いたけど?
 王妃さまが『エレノアールの真珠』と呼ばれるほど、美しいだけではなく、清らかだから、と。
 女性だったら憧れだし、男性だって好みなんでしょ?
 若干どころか、だいぶ私はズレているわね」
 アニスはよく食べて、よく動いて、よく眠るせいか、妖精のようにほっそりとした体形とは言い難かった。
 梨の花のように楚々とした雰囲気もない。
 母娘だから似ているところもあるけれども、真逆だった。
「私の好みは寒冷な地でも元気よく咲く姫菊だよ。
 雪が大地を覆い隠してしまわない限り、どこにでも咲くから」
 オルティカは穏やかに微笑した。
 アニスを否定することなく、ありのままでいさせてくれるなんて、素晴らしい夫だった。
「まあ、素敵。
 多忙なマイルーク子爵が誘いに来たのだから、お茶をしないという選択肢はないわね。
 一緒にテーブルを囲んでくれるのでしょう?
 どうせなら最低限の見張りだけにして欲しいの。
 不埒者がいたとしても、あなたの腕前だったら、問題がないでしょ」
 アニスはおねだりをした。
 実際のところ、オルティカの武術の腕前だったら、護衛のための兵士だっていらないはずだ。
 警備が厳重なはずの王宮に忍びこんで、武器ひとつなく青年貴族を無気力化したのだから、のうのうと遊び惚けている貴族たちとは違う。
「君に甘いことを知っていて、私にお願いをするわけだ。
 私が嫉妬深くて、妻を社交の場に出さないどころか、城の使用人すら見られないように、マイルーク城の奥深くに監禁しているという噂が出ているんだよ」
「どこで?」
 かなり面白い噂話だった。
 真実というのは当事者だけしか知らないものだから、尾ひれ背びれが付くのも不思議ではない。
 聖典に書かれている試練を受けた聖リコリウスさまだって、本当に実在をしたのか怪しいのだ。
 直系の子孫がいる前で、そんなことを思うのは不謹慎であろうけれども。
 アニスがローザンブルグ娘で感情が天候を左右させる、というのですら、単なる偶然だとしか思えなかったりする。
 それぐらい今日も天気が良いのだ。
「ローザンブルグ城ですら。
 さすがにレインドルク伯爵家は君を育てたから、それはないと思っているようだけど、夢見がちな『個性的』なレインドルク家だからね。
 重要な事態じゃなければ、発言は流される。
 噂を否定する気もあまりないような家だし。
 ローザンブルグの姓を持つ真相を知らない人間たちの噂が煩いぐらいだよ」
「じゃあ、このマイルーク城で私の顔を知らない使用人たちも、そんな噂をしているのね」
 アニスの声は自然と弾んだものになる。
「……楽しそうにしないで欲しい」
「面白そうじゃない。
 滅多にできない経験よ。
 よく考えれば、私って一生に一度も味わわないような経験ばかりね。
 童話よりも、聖典に出てくるエピソードよりも刺激的。
 これから先も飽きなさそう、とか最高だわ」
 アニスは上機嫌に笑った。
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