消えない烙印 09


 ローザンブルグ公爵夫妻が正式に王宮に招かれた。
 病弱な第三王女は、やはり王都での暮らしに限界があるようだ、と国王は居並ぶ貴族たちの前で言った。
 これ以上、公務に付き合わせて、生命を先細させるのは、忍びない。
 静養を続けたローザンブルグ地方で、ゆっくりと休まさせることにした。
 そして、ローザンブルグ公爵家の嫡男であるマイルーク子爵に第三王女は嫁す。
 いきなりの婚約発表に貴族たちの反発もかなり起きた……らしい。
 エレノアール王国はみな飢饉に見舞われたのに、ローザンブルグ地方だけが例外で、大量の寄付をしたのではないか、という噂になった。
 国庫の傾きを、第三王女を差し出すことで潤した。
 成り上がりの公爵家は王家の姫君を娶ることができ、ますます政治的な地位を磐石なものにした。
 そういうことになっているらしい。
 他人事のように第三王女ことアニスはベッドの上で座って話を聞いていた。
 ローザンブルグ城へ、と熱烈に言った公爵夫妻だったが、願いは聞き届けられることなく、アニスはレインドルク城の一室にいた。
 王都に行く前は、使っていた部屋だった。
 物置にも、模様替えもしなかったらしく、清掃が行き届いた部屋は、すぐさまに使うことができた。
 離れている間に身長が伸び、体も女性らしく丸みを帯びたので、数日間は伯爵夫人のお下がりだったのだけれども、手早く採寸をされたので衣裳部屋には大量のドレスや装飾品があった。
 アニスは果物の皮を器用に剥く、婚約者になったオルティカを見た。
 金の首飾りは鎖が新しくされて、今もアニスの首にぶら下がっている。
「そろそろ説明して欲しんだけど?
 私の烙印について」
 アニスは切り出した。
「こういうのは女性同士の方が気安いと思うんだけど?」
 オルティカは微笑んだまま言った。
「そこが理解できないのよ!
 女同士の秘密なの!?」
 心も疲労しているだろうと、ベッドの上に縛りつけ状態なのだ。
 元気は戻り始めていた。
 昔のように木登りは無理かもしれないけど、中庭を散歩できるぐらいにはなっている。
「正確にはローザンブルグの姓を持つ者だけの秘密だよ。
 君は知識が欠けてるから、短絡的に烙印だと思っているみたいだけど、鉄などの金属を熱して、肌に焼きつけた……つまり人工的な火傷とは大きく異なる。
 生まれつきの痣だ。
 ローザンブルグで本家に近い男性ならば、みな赤い痣を持って生まれてくる」
 灰青色の瞳は果物の皮を剥くことに熱心だった。
 侍女にでもやらせればいいのに、器用に果物を刃を当ててするすると皮を剥いていく。
「え!? じゃあ、あなたにもあるの!?」
 初耳どころの騒ぎじゃないことを知り、アニスはビックリとする。
 どうして今の今まで、教えてくれなかったのだろうか。
「もちろん。あ、でも、場所は教えられないよ。
 女性が男性に場所を訊くのは……ちょっと、いや、かなりかな、止めておいた方がいい。
 君のような赤痣――聖徴《せいちょう》と呼ぶのだけれども、持つ女性が尋ねたら、誰でも快く答えてくれるだろうけど、結婚しているような男性や父親ほど年の離れた男性なら、可愛い妹や娘のおねだりにしか聞こえないけど、若い男性だと期待をさせるから」
 オルティカは果物を見つめながら言う。
「期待って?」
 アニスは首を傾げる。
 静養中だからと結い上げられても、まとめられてもいない黄金色の髪は、サラサラと流れてきてうっとうしい。
 白姫菊姫という称号を持つ王女じゃなければ、貴族でなければ、切ってしまいたいぐらいには長いのだ。
 腰を超えてもなお余る。
「……だから、この手の話は女性同士の方がいいと言ったんだよ。
 たいていは服で隠れる位置に出るから『見せて欲しい』と言ったら、若い男女だったらどうなるか……それぐらいは理解できるだろう?」
 灰青色の瞳がアニスを見た。
 そこには困ったような光が宿っていた。
「あなた、そんなことを考えているのっ!?」
 アニスは声を荒げた。
 はっきり言って、婚約者になったものの、そんな甘い雰囲気は一切ないのだ。
 物語に出てくるような展開がまったくなかった。
 だからこそ、人払いがすんだ寝室に二人きりという状況を放置されている。
 友だち、だった頃と変わらないのだ。
 貪欲な欲望があるとは思えない聖人君子っぷりすぎて、恋愛をしているようには見えなかった。
 聖典に出てくるような聖人たちの方が悩みが深そうだった。
「君こそ成人するんだ。
 無邪気に誘惑をしないで欲しい。
 親公認とはいえ、結婚前に手を出したなんて知られたら、大変な目にあうだろう」
 オルティカはためいき混じりに微笑をする。
「聖徴は女にも出るのよね?」
 アニスは確認をする。
「稀にね。
 君ぐらい鮮やかな赤だとさらに珍しいけど。
 だからローザンブルグ城よりも聖リコリウスさまの血が濃いレインドルク伯爵家の預かりにしてもらったんだ。
 父である公爵も大反対でね。
 だから私は『赤の誓い』を立てだんだ。
 一生秘するという『沈黙の誓い』よりも重たいものだからね。
 まあ、その後も、何だかんだで『沈黙の誓い』をかなりの量を立てされたけどね」
 立て板に水。
 オルティカは流暢に説明していく。
 聞き逃せない単語が端々に混じっていた。
「ちょ、ちょっと待って!
 『沈黙の誓い』って大神殿で立てるような誓いで、普通は一生に一度もしないような誓いよね?
 結婚式で一生の愛を誓い合うよりも、重たい誓いで。
 それも複数って!?
 どれぐらい立てたの!?」
 アニスの声が引っくり返る。
「君と正式に婚約してから『沈黙の誓い』はだいぶ破棄されたよ。
 大神殿に預けられていた書類を巫女の手によって燃やされた。
 じゃなければ、こうして君と秘密を話せない」
 オルティカは気負いなく言った。
「まだあるってことよね?
 どれぐらい残っているの?」
 おずおずとアニスは尋ねた。
「一番多かった時期で重たい本一冊ぐらいだったから、今はほんの数枚だね。
 結婚式を挙げたら、全部、燃やしてくれるとは言っていたけど、父の、公爵の気分次第だね」
 あっさりとオルティカが告げた。
「そ、そうなの……」
 幼なじみの、だいぶ持って回った言い方が多かったのは『沈黙の誓い』せいなのだろう。
 破れば生命はないという誓いだ。
「話を戻してもかまわないかな?
 ここでは、レインドルク伯爵夫人を含めて、ベールを被った女性が多いだろう?」
 オルティカが興味を引くように、もったいつけるように質問をする。
「気になってベールを取ろうと思ったこともあったわ。
 区別がつかな過ぎて。
 そしたら伯爵に怒られたのよ。
 普段、のんびりとしているというか、ほわほわしているというか、温厚な人がすっごく怒ったものだから、幼心に恐怖心が植えつけられたわ」
 アニスは思い出しながら言った。
 あの時はご飯が抜かれるとか、一生部屋に閉じこめられるとか、それどころじゃない恐ろしさを味わったのだ。
「ああ、だから君は実行に移さなかったんだね。
 ヒントをあげようか?
 ベールの下には」
「聖徴があるの!?」
 黄金色のまつげを瞬かせる。
 だとしたら、アニスがレインドルク城に預けられた理由もわかる。
「うっすらとした色で薔薇色ぐらいだったりするけど。
 化粧では隠せない程度には出るよ。
 基本的に愛する男性以外には見られたくないし、さわられた日には嫌悪感が酷いらしい。
 だから、聖徴が見えないようにベールを被ったり、長い裾を引く襟の詰まった古典的なドレスを着るんだ。
 ほら、皮が剥き終わった。
 一口、食べるだろう?」
 オルティカは剥き終わった果物を皿の乗せて、フォークを添える。
「じゃあ、お母さまにもあるの?」
 お皿をもらって、アニスは尋ねる。
「マイルーク城には君と同じ年ぐらいの肖像画が残っているからね。
 襟の広いローブ姿だから、首筋に聖徴があるのがハッキリと見える」
 オルティカが断言した。
 王宮にいた頃は見る機会がなかったが、オルティカと結婚をしてマイルーク城に移り住めば、肖像画とはいえ赤い痣が見られるのだ。
 ワクワクとして心が弾む。
「私は他の兄弟と違い聖徴が出たから、ローザンブルグに預けられたの?」
 考えられる可能性はそれだけだった。
 不幸せではないけれども、幸福にはなりきれなかった。と王妃は言ったのだ。
 アニスだけが聖徴が出てしまったために、手放さなければならなかった。
 それならば辻褄が合う。
「大神殿でも良かったんだけどね。
 二択しかない。
 子どもは元気な方が良いだろうと、ローザンブルグ城で預かることになったんだ」
 何でも知っている年上の幼なじみは丁寧に説明してくる。
「なんで、その二択なの?
 そりゃあ、大神殿よりものびのびとできたけど」
 大神殿に行ったことがなかったけれども、礼儀作法が煩そうだった。
 王宮で白姫菊姫さまをやっていた頃よりは、難易度が低そうだったけれども。
「女性が聖徴を持つと大変だから。
 小さい頃は苦労をする……はずだったんだけど、君は本当にのびのびとしていたからね。
 でもあの一件のおかげで、結局、レインドルク城に預けて正解だったと証明された」
 オルティカは果物の汁気がついた刃を清潔な布で拭う。
 小さな刃だが、アニスを傷つけるには充分に見えた。
「聖徴が出るような女性を、ローザンブルグ娘と特に呼んで敬意を払う。
 それは聖リコリウスさまが神さまによってもたらされた印が体に鮮やかに浮かび上がった女性だからだけではないんだ。
 ローザンブルグ娘は、……感情によって天候を左右させるんだ」
 重大な秘密を語るようにオルティカは言った。
「え? 悪天候になったりもする?」
 アニスは果物を咀嚼するのをやめて尋ねた。
「するよ。
 たいていは一地域ぐらいだけど。
 力が大きすぎると、エレノアール王国全土にも及ぶみたいだね。
 泣けば雨が降り出すし、怒れば落雷。
 でも、赤ん坊に泣くななんて無理な注文だろう?
 泣くのが仕事みたいものなんだから。
 ある程度の年齢になれば制御の力を覚えるらしいんだけど、それでも限界がある。
 完全に抑えこめるのはエレノアール王国だと大神殿かローザンブルグ城になる。
 若干、マイルーク城とレインドルク城にもあるけどね。
 君は鮮やかな聖徴を持ちながら、14年間もレインドルク城にいたのに、一度も天候を狂わせなかった。
 力の制御ができているのだろう、と公爵も判断して『家族』の元へ帰すことになったんだよ。
 もともと白姫菊姫だし、国王陛下も王妃殿下も、身を切るような別れで泣く泣く君を手放したのだから」
 オルティカのわかりやすい説明を聞きながら、アニスはシャクシャクと果物を食べる。
 どうやら両親に捨てられたわけでもなく、罪人のように烙印を押されたわけでもなかったらしい。
「私が王宮行ったら、天候不順が続いて、農作物が育たなくて、飢饉に見舞われたって」
 父王も兄である王太子も難しい顔をしていた。
 政治を教える教師もためいき混じりだった。
「君が泣き暮らしていたんじゃないか?
 と公爵家でもレインドルク伯爵家でも問題視されていた。
 何度か王家にも書面で打診もしている」
 オルティカは刃を片付けると言った。
「お母さまが『悲しいことがあっても涙を流さずに微笑んでいなさい。それが王宮で暮らすということなのです』って言ったの。
 だから、泣いたのは最初だけよ」
 子どもっぽいと呆れられそうだったが、アニスは正直に話した。
「そういう気持ちも神さまには知られているんだ。
 思い出したくもないだろうけど、王宮から離れることになった一件は落雷付きの豪雨だ」
 珍しく歯切れ悪くオルティカが言った。
「あの襲われた時のね。
 あまりにも都合がよく現れたけど、公爵家とレインドルク伯爵家も動いていたのね。
 ずっと王都にいたの?」
 アニスは質問をした。
「心配だったからね。
 君は我慢強いのか、名前を呼んでくれなかったから、本当にギリギリになったけど」
「おまじない?」
 アニスは金の首飾りにふれる。
「そういう名の『契約』だね。
 君の意思に反して首飾りを外れた時に瞬時に私に伝わるようになっているんだ。
 どこにいるのか、確実にわかるようにもなっている。
 名前を心の中で呼ぶだけでも伝わる細工もしてあった」
 オルティカは言った。
「便利ね」
 アニスは感心した。
「……有効活用して欲しかったよ」
 オルティカは微苦笑をする。
「で、どうして私と婚約したの?
 ローザンブルグ娘として力の制御ができないのなら、大神殿でもいいんでしょう?
 巫女として、信仰の中で生きるのも悪くはない選択だと思うわ」
 アニスは一番、気になっていた質問をした。
 ローザンブルグ城でも力を抑えられるけど、王宮に帰った第三王女を再び、ローザンブルグ城に戻すとなると、大問題だろう。
 聖徴の秘密を知らない貴族ばかりなのだ。
 ローザンブルグの姓を持つ者しか知らない秘密ならば、知られたら口封じをするしかないのかもしれない。
「君は鈍すぎる。
 マイルーク城とレインドルク城の間には、どれぐらいの距離があるのか知らないだろう?」
「ええ、知らないわ。
 とりあえず往復するのは大変ってぐらいにしか。
 伯爵も伯爵夫人も感心していたわ。
 面倒見のいい幼なじみだって」
 アニスは素直に答えた。
 ダンスの相手だった貴族たちよりも、ずっとマシな結婚相手だった。
 白姫菊姫としての価値しか見ていない青年とは違う。
 母親に似た容貌に心惹かれた青年とは違う。
 外を走り回っても、木登りをしても、聖典を持ち出して昼寝してもかまわない。
 そんなことを許してくれるような夫はいないだろう。
 あるがままのアニスを受け入れてくれるだろう。
 王都に行く前のレインドルク城で過ごした日々と変わらない時間が待っていそうだった。
「……君こそ、私と結婚する羽目になって良かったのかい?」
 オルティカが確認するように慎重に尋ねる。
「烙印。ああ、聖徴ね。見られちゃったし。
 それにそのことがなくても一応は淑女教育は受けているのよ。
 男性に裸体を見られたら仕方がないじゃない」
 アニスは言った。
 裸体は、夫や恋人以外には見せるものではない。
 それぐらいの常識は持っている。
 責任を取ってくれそうな相手が誠実な幼なじみなのだから、特に問題はなさそうだった。
「君の場合は不可抗力だ。
 ローザンブルグ娘で、その上白姫菊姫だ。
 私を殺せばいいだけだろう」
 オルティカはさらりと言った。
「こ、殺すっ!?」
 とんでもない単語が出てきてアニスは驚く。
 頭の打ちどころでも悪かったのだろうか、と心配になるような発言だった。
「直接、手を下す必要はない。
 君の両親である国王陛下や王妃殿下。
 私の父である公爵に言えばいいだけだ。
 世間体があるから、病死か何かになるだろうね。
 毒杯を用意されるぐらいの慈悲はあるだろう」
 淡々とオルティカは言った。
 まるで当たり前のように自然に。
「い、いきなり何を!
 死ぬなんて、縁起でもないことを冗談でも言わないでよ!」
 アニスは必死になって言う。
 何のために、しくじらないか細心の注意を払って、王宮にいたのかわからない。
「冗談のつもりはないよ。
 今からでも手遅れではない。
 君が愛する男性がいるなら、その相手を結ばれるべきだ」
 誠実な幼なじみは真剣に言った。
 もしかして無理やり結婚させられるぐらいなら死を選ぶぐらいには嫌われているのだろうか、とアニスはショックを受ける。
 が、しかし、レインドルク城の人々は、オルティカの訪問を相も変わらず、朗らかに笑っているのだ。
 情報過多な秘密を頭の中で整理しながら、アニスはたっぷりと考える。
「私はあなたに一番、烙印は見られたくなかったの。
 罪人みたいな醜い痕でしょ?
 聖徴なんて知らなかったから。
 それに『家族』に捨てられたと思いこんでいたもの。
 みんな秘密主義すぎるわ。
 確かにあなたに聖徴を見られたのは嬉しくなかったけど、それって烙印って思っていたからよ。
 知られたからって不快に感じないもの。
 ……これって無邪気に誘惑していることになるの?」
 アニスは自分よりも賢い幼なじみに尋ねた。
「誘惑に乗ってもいいのかい?
 可愛いお姫さま」
 灰青色の瞳が細められた後、揶揄うように質問する。
 オルティカには、まだ数枚『沈黙の誓い』はあるのだ。
 物語だったら王子さまが言ってくれるはずの肝心な言葉がなく、全部が遠まわしな言い回しなのは禁句になっている可能性が高い。
「結婚式に、一生の愛を誓ってくれるのなら」
 アニスは条件を出した。
「ローザンブルグ城のバルコニーで誓っただろう?
 私の忠誠は君のものだ、と」
 オルティカは満足げに微笑んだ。
 聞こえるはずのない心臓が小魚のように跳ねる音が耳に響いた。
 あの時にはすでに、オルティカはそういう気持ちで言ってくれていたのだろうか。
 アニスは子どもすぎてまったく気がつかなかった。
 今生の別れになるから励ますつもりで言ってくれたのだ、とアニスは思いこんでいた。
 そして、アニスがここまで懸命に言っても、願っている言葉をくれないのは、きっとその言葉自体が『沈黙の誓い』による禁句なのだろう。
 今、二人の距離はとても近い。
 婚約者同士になったということもあるのだろう。
 バルコニーで会話をしていたぐらいには近いのだ。
 アニスはほんの少しばかり身を乗り出して、オルティカに抱きついた。
「じゃあ教会で儀式をして、祝福を受けて、その宴の夜に、二人きりの時にあなたの聖徴を見せて」
 アニスはそっとオルティカの耳元でささやいた。
「もちろんだとも」
 オルティカはアニスをしっかりと抱きとめてくれた。
 アニスの垂らされたままになっている黄金色の髪に一房絡めとるとキスを落す。
 髪を長く伸ばすなんて貴族らしくて面倒だったけれども、利点もあるのだと再確認してアニスは機嫌よく笑った。
「外伝・氷の公爵と白姫菊」目次へ続きへ