タイミング


 デート3回目が相場。

 中高生で奥手でもそんなものである。
 男ばっかりそんなことを気にしているものだと思ったけど、女の子もそんなものらしい。
 増永陽馬の頭の中では、恋愛方程式がチラつく。
 大学生ぐらいだったら告白=初キスのカップルだって珍しくない。
 が、しかし。
 そんな誰が決めたか、いつ定理なったか、理屈の分からない方程式に三浦紬をあてはめたくない。
 初めて手を繋いだ時ですら、カチコチに緊張されてしまったのだ。
 紬の綺麗な目が驚きに彩られていた。
 天敵に見つかった小動物のように。
 群れからはぐれて逃げ遅れて、人質として置いていかれた子どものように。
 そんな顔を紬はしていた。
 ……やってしまった。
 すぐさま手を離した方がいい。
 調子にノリやすい陽馬の頭の中でも地震速報アラートのようなシグナルがめいいっぱい鳴り響いていた。
 自分ルールにあてはめたことや、自分の軽率さにめちゃくちゃ後悔をした。
 紬は何度か目を瞬いた後、少しばかりうつむいて、陽馬の手を握り返した。
 嫌になるほど緊張が伝わってきたけど、きちんと手を繋いでくれたのだ。
「陽馬くんが男の子だってわかっていたんだけど。
 ご飯だって何度も一緒に食べて見ていたんだけど」
 紬は顔を上げてはにかむ。
「手が大きくて、骨張っていて。
 ビックリしちゃって。
 改めて、男の子なんだって」
 照れ笑いをしながら紬は言った。
 それが可愛いを通り越した可愛さだった。
 ピュアな過ぎて、自分が汚い人間なんじゃないかと陽馬が思うぐらいには。
「いきなり手を握ってゴメン。
 驚かせるつもりはなくってさ。
 今度からちゃんと紬ちゃんに確認するから」
 陽馬は必死に言った。
 紬はゆるく首を横に振った。
「初めてだったからビックリしただけで。
 毎回、確認されたから余計に恥ずかしいよ。
 小学生ぐらいのカップルだって手ぐらい繋ぐし!」
 必死に紬は言う。
 幼稚園児だって親のマネか、ドラマの影響か。
 可愛らしいキスをしているような。
 と、陽馬は思ったが口に出さないように意識する。
「荒れてるってほどじゃないけど、あまり手入れができていないから。
 ……手がカサカサしていないかなって」
 紬は一生懸命に言った。
 男が手汗を気にするように、女の子も不安な点があるんだと陽馬は再確認する。
 紬の指先まで味わうように陽馬は親指の腹をすべらせる。
 繊細な手を傷つけないように。
 スキンケアしてなくってコレでっ!? と心の中で動揺しながら。
 今は乾燥しやす季節なわけで。
「気持ちがいいぐらいすべすべしている。
 ずっとさわっていたいぐらい」
 陽馬は自分の耳に返ってきた音で感じたことをストレートに口に出していたことに気がつく。
 うっかり、どころの騒ぎではない。
 カレシカノジョで隠し事は良くない、とはいうけれど、そんなものは信頼関係が築けてからだ。
 男の欲求をピュアな女の子にぶつけたらドン引きされる。
 紬は恋愛経験がゼロで、陽馬が初カレなのだ。
 異性の兄弟もいない家族構成で、お父さんは昔すぎるぐらいに古風。
 この手の情報は遮断されていると第一カ条にでも心の中に書いておいて、慎重に事を運ばなければならない。
「気持ちがいい……?」
 紬はオウム返しに言った。
「変な意味じゃなくてっ!!」
 陽馬はあわてて言い訳の言葉を頭の中に並べ立てる。
 が、嘘をつき続けるのも難しい。
 男としての欲求がまったくないわけじゃない。
 手を繋いでおしまい。
 なんてとこで満足できるわけがない。
 下心がなくて告白するバカはいない。
 しかも好きな女の子がお付き合いをOKしてくれたのだ。
 陽馬だって聖人君子ではなく、どこにでもいる健康的な男だ。
 紬のことを大切にしたいし、自分のペースに巻き込みたくない。
 こっちの一方的な欲求を押しつけるつもりはない。
 きちんと紬の気持ちを確かめて、心の準備ができるまで待つぐらいの気持ちはある。
 まあ『待つ』だけなので、その辺に歩いている男と考えていることはヤッパリ同じだ。
「……変な意味もたっぷりあります」
 陽馬は正直にカミングアウトした。
 幻滅されるなら早い方が良い。
 取り繕っていられるのは短い間だ。
 紬とひと夏の恋のような、短期決戦のような付き合いをしたいわけじゃない。
 マスカラが塗られた長いまつげが瞬く。
 それから紬は控えめに笑った。
「恋人同士だったら、手を繋いで歩くのは当たり前だと思うけど。
 本当に気にしないで」
「ありがとう、紬ちゃん」
 ホッとしたような気持ちで陽馬も微笑んだ。


   ◇◆◇◆◇


 それ以来、人目の少ない場所だったり、逆にカップルやファミリーが多いところでは手を繋ぐのが当たり前になった。
 紬が実は嫌がっていたり、無理に陽馬に合わせている様子はなかった。
 暖かそうな真冬のコート姿になって、大判のストールを巻いても、手袋だけはけしてしていなかった。
 待ち合わせの5分前。
 時間にルーズなところがない真面目な紬は、いつでも早めに待ち合わせ場所に来ている。
 体感気温が氷点下になるような時期の到来。
 紬はホッカイロを握りしめて、大判のストールに顔をうずめていた。
 寒がり、というか、女の子なんだから、体を冷やしちゃいけないわけで。
 それでも、陽馬には『手袋をしていない』という事実が嬉しかった。
 言葉よりも雄弁な意思表示だった。
 手を繋ぎ始めて2回目以降。
 紬の手のさわり心地の良さによからぬ妄想が陽馬の頭の中にはびこったのは言うまでもない。
 今まで女の子と付き合ったことがない、と初心なことを言い張るつもりはない。
 大学生男子としては平均的な経験回数だと思う。
 異性の友人も多いから、カノジョという関係抜きでも、軽いスキンシップで、色々な女の子の肌をさわってきた方だろう。
 それにしても紬の手は段違いのさわり心地だった。
 たかが、手だ。
 エステに通っている手の専属のモデルですってわけじゃないだろう。
 一般的なスキンケアなはずだ。
 きめが細かくて、しっとりとして馴染むような肌質で、いつまでもさわっていたい。
 手の地続きになっている服の下も。
 あるいは派手な印象のない、紬に似合っている口紅が塗られた唇も。
 もっとさわりたいし、さわったら気持ちよさそうだ。
 なんて考えてしまうのだ。
 完全にガッツいている。
 紬を大切にしたい、と思うこそのジレンマだった。
 当然の帰結として、今日もキスのタイミングを計ってしまう。
 陽馬はデートを楽しそうにしている紬の横顔を独占しながらも、完全には喜べなかった。
 情欲と罪悪感が渦巻いている。
 心の中でこっそりとためいきをついた。
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