告白


 思わず食べていたカツ丼の味がわからなくなってしまった。
 増永陽馬は三浦紬の口にした言葉を反芻する。
 緊張した面持ちで紬は陽馬を見ていた。
 食べるのがゆっくりしている紬の定食は、まだ半分も食べ終わっていなかった。
 セルフサービスのあたたかいお茶も少し口につけただけだった。
 割れないプラスチック製の白い湯呑の縁には、微かに紬の口紅の色が移っていた。
 それが嫌でも陽馬の目に入った。
「ダメかな?」
 ためらいがちに紬は確認する。
「ううん、大丈夫」
 咀嚼していた卵でとじられているカツの一部をどうにか飲み込んで、陽馬は答えた。
 陽馬の動揺など気がつかずに、紬はほっとしたような笑顔を浮かべた。
 けばけばしいラメもパールも入っていないピンクベージュのマニキュアが彩る爪がついた指先が再び箸を持ち上げる。
 相変わらず綺麗な食べ方で嫌味にならない。
 目の前に好きな女の子がいて、美味しそうに昼ご飯を食べているのに、陽馬の心は晴れなかった。

――話があるから時間を作ってくれないかな。
――陽馬くんに合わせるから、いつでもいいから。
――できれば静かな場所で、落ち着けるところだったら嬉しいんだけど。

 控えめな紬が珍しくハッキリと具体的な場所をリクエストしたのだ。
 しかも『話がある』と言われば、用件はわかりやすい。
 月曜日の学食は、それなり混んでいて、騒音があるはずなのに、陽馬の耳にはどこか遠くに感じられた。
 土曜日の夜からまだ二日も経っていない。
 これはキッパリと振られるフラグ?
 そうとしか考えられない。
 オトモダチ以上……恋愛対象の異性として見るなら、わざわざ『話がある』とは言いださないだろう。
 紬なり休みの間に考えに考えて、答えを出した。ということだ。
 まさかにここまで急展開になるとは陽馬も考えていなかったから、余裕をぶっこいていたわけで。
 安心しきっていた。
 足元にポッカリと大きな落とし穴が開いて、そこに落ちた気分だった。
 陽馬は暗澹たる気持ちを押し隠して、金曜日までの昼ご飯と同じように振る舞った。
 できるだけ笑顔で、できるだけ楽しそうな話題を。
 それを紬は相槌を打ちながら、聴いてくれた。
 ……今まで通りに。


   ◇◆◇◆◇


 講義を全部、受け終わったら結構な時間になった。
 冬に入ったせいか、コートがちょうどよいぐらいだった。
 雪が降るような地域ではなかったが、北風は冷たい。
 秋を通り越して一気に到来した冬に嫌な気分になりながら、街灯の灯った道を二人で歩く。
 学部ぐらいしか被らない陽馬と紬だったけれども、ゼミナール一年生ともなれば、それなりの課題があって、論文を書くための時間を考えたら足りないぐらいだった。
 選択した講義も違うし、取っている単位も違う。
 高校の授業のようにびっしりと講義を受けている紬を待っていれば、自然とお腹が空く時間になっていた。
 陽馬は、それを迷惑だと思ったことはない。
 むしろ大学に『学び』に来ている姿勢が好ましく思えた。
 箔をつけるためとか。
 社会人になる前に遊びの時間が欲しかった。
 なんとなく親や高校の先生が言ったから受験した。
 そんな理由で大学にいる連中とは紬は違っていた。
 感化されるわけじゃないけれども、陽馬自身も勉強への意識が変わった。
 約束があって、その時間まで待つのは苦痛ではない。
 論文を書くための参考文献を図書館で読むだけでもいくらでも時間は潰すことができる。
 紬のリクエスト通りに、何度も通った喫茶店に入った。
 大学から微妙に距離があって、最寄り駅からはズレる。
 純喫茶らしく、コーヒーを豆から選べるし、一杯当りもそれにふさわしい値段だった。
 話題作りのために新作のフラペチーノを飲むためだけ女の子たちだったら、嬉しくもない場所だろう。
 多くを語らないマスターが煎れるコーヒーは絶品だった。
 客に合わせて選ぶコーヒーカップもためいきものだ。
 コーヒー豆に合わすだけではなく、客の着ている服や小物まで注目して、毎回、異なったコーヒーカップで提供される。
 座り心地の良いソファも、時を止めたようなインテリアも、目新しい流行だけでは作ることができない。
 紬はコーヒーの香りで満ちている店内で、明らかに緊張をしていた。
 運ばれてきたラ・フランスのケーキにも、華やかな香りがするコーヒーにも手をつけていなかった。
 この喫茶店は陽馬にとってはデートのつもりだった。
 これが最後だな、と陽馬は思った。
 ためいきになりそうな息を飲みこむ。
 これからは独りで来るようになるんだろう。
 他の女の子とは来たくないし、男は論外だ。
 独りで来る度に思い出す。
 旬のフルーツを使ったケーキに嬉しそうに笑った紬のこと。
 コーヒーカップに驚いた顔。
 全部、鮮明に覚えている。
 そして、今日。
 この日のことも忘れないだろう。
「この前は返事をきちんとしなくてごめんなさい。
 私なりに、考えてみたんだけど……」
 紬はつっかえつっかえに言う。
 視線はずっとテーブルを見つめている。
 人の目を見て話す紬にしては珍しい態度だった。
 とうとう切り出された要件に、陽馬は覚悟を決める。
「ありがとう」
 できるだけ穏やかに陽馬は言った。
 これ以上、紬を緊張させて、追い詰めさせたくなかった。
 どんな結論であってもきちんと紬は考えてくれた。
 真剣に、陽馬の想いに向き合ってくれたのだ。
 流されたわけじゃない。
 お酒が入っていて良いムードだったから雰囲気に酔ったようなノリでもない。
 紬らしく、誠実に、熟考してくれた。
 その辺にいくらでもいる軽い女の子たちとは違う。
 意を決したように紬は顔を上げた。
「好きです。
 陽馬くんのことがすっと好きでした」
 真っ直ぐ陽馬の目を見て紬は言った。
 いつだって控えめな紬がハッキリとした口調で言った。
「……男の人と付き合ったりとかしたことがなかったし、告白されたこともなったし、あまり興味が薄かったら、自分の気持ちがわからなくて。
 異性の友だちの好きと特別な男の人として好きの区別がついてなくてごめんなさい」
 紬は言った。
 陽馬は意味を飲み込むまでに時間がかかった。
 それぐらい衝撃的な発言だった。
 理解し始めるとじんわりと胸が熱くなって、
「これからはヨロシク!」
 陽馬は満面の笑みで言った。
「よろしくお願いします」
 紬は綺麗な角度で頭を下げた。
 さわったら気持ちよさそうだな、と思える髪が流れる。
 そんな几帳面で真面目なとこも可愛いと陽馬は思う。
 きっと今の自分はにやけていて、締まりのない顔をしていると確信していた。
 陽馬は温くなったコーヒーカップを手にして、カノジョになってくれたばかりの好きな女の子の顔を充分に見つめた。
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