二度目のデート。 場所は前回と同じ場所。 古民家のようなカフェの窓際だった。 季節はいっそう寒さを増し、窓ガラスが遮断していなければ震えていたことだろう。 なおかつ親切な店員が膝掛けを貸してくれた。 化繊ではない羊毛の大判の紺色の膝掛けが天然でないことをチアキは祈った。 飲んでいる温かい紅茶を零したら、どれほどの支払いをすればいいのだろうか。 緊張しながら、チアキは座っていた。 世の中に慣れないことなど五万とある、と言われているが地球を出てから慣れないことの連続だった。 早く慣れなければならない。 そう思うものの、向かい側に座っている人物同様に、チアキには一生かかっても慣れることなどできそうにないのかもしれない。 ショウ・ヨコヤマはタブレットで一つ一つチアキに確認していく。 その度に、チアキは価値観の違いを思い知らされる。 『地表主義』のチアキにとっての常識は、前時代的なものであり、生きた化石のようなものなのだ。 『惑星CAーN』は全宇宙で最も<エデン>らしい<エデン>だろうし、『地表主義』も多く移住している。 チアキの周囲も『地表主義』が多い。 が、その中でもチアキは輪をかけて『地表主義』なのだ。 できるだけ学生の時から宇宙時代に合わせてきたし、割り切ろうと思っていた。 生まれ育った環境と人格形成は容易に変化させることはできるはずもなく、ショウに確認される度に、当たり前だと思っていたことがまったくもって当たり前ではないことに気がつかされる。 自分がとてつもなく『面倒くさい女』だということが痛くなるほど身に染みて、すでに罪悪感でいっぱいになってきている。 エリート中のエリートの公務員のプライベートな時間を割いてもらって、ここまで丁寧にヒアリングされるとは思ってもいなかった。 異常な生育環境に育って申し訳ない、としか泣き出したいぐらいだった。 「長々とお付き合いいただきありがとうございます。 不躾な質問ばかりを重ねてしまって申し訳ありませんでした。 初対面の第一印象が9割であり7秒で決定され、半年は持続するという結論が出ているので、チアキさんのご両親の心証を少しでも良いものにしたい。という私の我が儘に答えていただき助かりました」 ショウは穏やかに微笑んだ。 「い、いえ、……こちらこそ。 お互いに知らないことを知るのは大切だと思いますから」 引きつらないように気をつけて、チアキは笑った。 上手に笑えていない自信だけはあった。 かなりあった。 無理があるだろう、と思うぐらいにはあった。 「どうして、わたしと『結婚』をしようと思ったんですか?」 良い機会だと思ってチアキは尋ねた。 実家にパートナーを連れて行って、両親と顔を合わせる。 それだけのことなのに、ここまで手間暇がかかるのだ。 挙式、なんてものをするとなったらもっと面倒なことだろう。 チアキですら想像がつくのだから、ショウにとっては98%ぐらい時間の無駄であり、効率的ではないだろう。 「チアキさんに初めてお会いしたのは仕事でした」 「そうですね」 チアキは頷いた。 『地球保全法』が成立しなければ出会わなかっただろう。 「私にとって『地表主義』の方の考え方が謎でした。 どのような論文を読んでも、映像ディスクを見ても、理解はできませんでした。 もしチャンスがあれば直接会って、話をしたい、と思っていました。 ですから、あの仕事を引き受けました。 完全なる知的好奇心ですね」 思い返すようにショウは言った。 もう3年以上前のあの日。 まだチアキは19歳だった。 「満足できましたか?」 地球から離れることに未練たらたらなちっぽけな少女がいる。 その少女はチアキの胸の中に消えることなく眠っている。 思い出すには、痛々しい故郷との別離だった。 帰れないのだから、永訣だ。 「その後、何人かの方と話すチャンスができました。 この『惑星CA-N』にも移住しています。 最低限とはいえ、業務の中で接します。 それに公務員ですからトラブルがあれば解決するのも仕事です。 プライベートな時間であっても接する機会はありました」 ショウは淡々と言った。 まるで学術論文でも読むような口調だった。 本当に『地表主義』に興味があって、研究対象に近いのだろう。 同じ人間なのに、対等な人間として扱っているような発言とはチアキの耳には響かなかった。 「ですがチアキさんほど興味を感じた方はいませんでした」 黒に近い深い焦げ茶色がチアキの輪郭を捉えるように見つめる。 「そ、そうなんですか?」 無駄にチアキの心拍数が上がる。 紅茶が残っているティーカップを落としそうなので、ソーサーに戻した。 できるだけ丁寧に置いたつもりだったが、陶器がぶつかる音が立ってしまった。 ひびが入ったり、欠けたりしなければいいんだけど。 と別の意味でチアキはドキドキしてきた。 「文学的な表現だと『気になる方』というのでしょう。 あるいは『意識している』とも」 ショウは真剣な面持ちで話を続ける。 顔面偏差値の高い男性からストレートにそんなことを言われると、免疫のないチアキは縮こまるしかない。 目をそらしたら失礼だろうと我慢するのが精いっぱいだった。 「プロポーズするまでの3年間は、私にとって試験期間でした。 『地表主義』のチアキさんは結婚適齢期です。 他の男性と結婚したり、そういった前提で交際を始める可能性は非常に高い、と計算していました。 失礼な話になりますが、チアキさんにはそのような雰囲気がありませんでした。 私にもチャンスがあるのでは? と何度もシミュレーションをしました。 異性を恋愛対象にしないタイプではない、というのはいくつかの発言で理解していましたから。 チアキさんは、花屋の店主として恋愛相談に乗っていたり、的確なアドバイスをしていました」 「はぁ」 他人事のようにチアキは相槌を打つ。 完全に3年間、観察されていた。 ということだけはわかった。 「『結婚』という制度を使えば公的に文書が残り、この惑星が人類の生存に適さないと判断されても記録が残ります。 私が記録として残しておきたいのです」 ショウは真摯に言った。 「どうして、そこまでこだわるんですか?」 チアキは戸惑う。 『地表主義』じゃないのに。 いや『地表主義』じゃないから、知的好奇心からやってみたいとか。 制度として使ってみたいのかもしれない。 そうそう体験できるものではないのだから。 「肝心の言葉を伝えていませんでした。 こういったことは甘えてはいけないですね」 ショウの言葉にチアキは瞳を瞬かせる。 「チアキさんを愛しています」 ストレートな言葉に紅茶のカップを手にしていなくて良かった、とチアキは真剣に思った。 手から滑らせてテーブルに中身をぶちまけたか、床に落としてカップを割っていたことだろう。 「ですから、チアキさんと『結婚』したという記録を残したいのです。 私が死んでも、人類が滅びるまで記録は残り続けます」 ショウは言った。 激重な感情だった。 二十代半ばで公務員になるような知性豊かで理論的な男性が考えることなのだろうか。 プロポーズの定番であろう『一生、愛します』よりも重い。 人類が滅びるまで、なんて永遠みたいなものだ。 カスミソウの花束。 それがプロポーズの花だった。 花言葉が銀河標準語で「everlasting love(永遠の愛)」だから間違っていない。 ショウは数多ある花の中から花言葉の意味を理解した上で、わざわざ選んできたのだ。 チアキの覚悟とは段違いだった。 離婚されなければいいけど、ぐらいの気持ちしか持っていなかった。 ……人類が滅びるまで。 何年ぐらいかかるんだろうか。 心が落ち着いてから自宅で調べておこうとチアキは思った。 ショウの話を総合すれば『地表主義』の人間に興味があって、複数人と言葉を交わして、なおかつ取り柄がなさそうなチアキを選んだことになる。 内面を話すような親密な会話をしたか、謎だ。 容姿だって平凡だし、お世辞にも性格がいいとは言えない。 自分のどこが良かったのか。 気になるが、質問ができるのなら不自由はしない。 こんな状況に陥ることはなかった。 チアキは不自然にならないように笑顔を浮かべるのがやっとだった。 |