陸遜は死ぬことが怖いわけではない。
こんなところで意志が途切れるのが恐ろしい。
陸遜の死によって、受け継がれてきた遺志が尽きるのが怖い。
赤い夕焼けの狭間の中で、少年は息を吸って、吐いていた。
夕焼けが赤いのは、地上に流れすぎた赤を包み隠すためかもしれない。
やがて夜が来ればすべては隠される。
自分も流れる星のひとつになれるだろうか。
そんな夢や妄想のようなことに考えを巡らせる。
こんなところで死ぬ。
天帝が決めた命数はそのようなものかもしれない。
地上に這いつくばる人間には深淵すぎて到底理解できない。
物を言わぬ肉塊たちに囲まれて唯一、息をしている少年は思った。
もうすぐ仲間入りできそうですけどね。
はしばみ色の瞳は感慨もなくそれを見ていた。
こうしている間にも夕焼けとは違う赤が身の内から流れていく。
手にした得物にも付着した錆にも似た味の赤が。
孫呉は陸家の当主である陸遜を覚えてくれるだろう。
この地に孫家がある間は、陸家の忠誠を忘れないでいてくれるだろう。
だとしたら、それはそれでかまわないような気がする。
駒としての役目は充分に果たした。
ただ遺志は自分の後、誰が継ぐのだろうか?
気になることはそれぐらいだ。
浅くなる呼吸。
痛みで拡散する思考。
生にしがみついてる理由が理解できないですね。
手放してしまえば楽になれるというのに。
陸遜には分からなかった。
ただ少年にとってはきちんと意味のあることだった。
孫家に忠誠を誓った陸家の当主ではなく、少年だけには充分な願いがあった。
祈りにも近い、それを。
救いにも似た、それを。
夕焼けの中で待っていた。
赤すぎる場所だからその色は目立つ。
希望の色だったから。
あるいは活気づく生命そのもののだったから。
宝石よりも綺麗な色だったから。
「陸遜!」
少女が少年の名を呼ぶ。
陸家の当主としての名前を。
彼女は陸遜が陸遜になる前の名前を知らないのだから当然だ。
知られたくないし、知って欲しいと思ってもいない。
少年は院子で交わすように微笑んだ。
「姫、お一人ですか?
供はどうしたのですか?」
綺麗な緑の双眸を見つめながら少年は穏やかに尋ねた。
「私の足についてこれるような人間は少数だわ。
お兄さまの配下たちでも陸遜ぐらいでしょうね。
助けに来たのだから、少しぐらいは素直に感謝して欲しいところだわ」
機嫌を損ねたらしく尚香の声は高く尖っていた。
救援に来たつもりでお説教が待っていたら、誰でも似たような反応をするだろう。
「ありがたくは思っていますよ。
ただ、姫の身の方が心配なだけです」
陸遜として少年は微笑んだ。
赤ばかりの世界で綺麗な緑を見ながら。
「本当に果報者だと思っています」
心からの言葉を少年は言った。
呼吸するのすらやっとの肉体で、それでも生にしがみついていた理由。
それが目の前にあったのだから間違いもなく少年は幸運に恵まれた人間だった。