特別の、ひとつ手前

 尚香はためいきをついた。
 碁盤には黒石を置く場所がなかった。
 完璧な負けだった。
 相手をしていた陸遜は申し訳のない顔をしていた。
 孫呉では最年少とはいえ軍師に勝負を挑んだのだから当然の結果だ。
 小競り合いのような戦で切り込み隊長を任される尚香とは違う。
 大きな……歴史に残るような戦では後続部隊や余力として編成を組まれれば良い方だ。
 そういった戦でも陸遜は他の武将に混じって意見を述べるのだ。
 尚香は参加させてもらえない軍議の中で。

「どんな願い事も叶えるわよ」
「女性がそういったことを言うのは良くないですよ」
「あら、どうして?」
「どんな願いに、卑劣な願いを言われたらどうするんですか?」
「陸遜はそういうことを言わないと思っているから」
「少々、信用が重たいですね。
 そこまで器の大きい人間はありませんよ。
 過大評価です」
「で、陸遜の願い事は?
 私が負けたんだし。
 そういう約束でしょう?」
「姫の名前を呼んでもいいでしょうか?」
「え?」
「無理なら良いのです。
 図々しい願い事だと思っていますから」
「逆よ。
 拍子抜けするぐらい簡単だったから。
 そんな願い事ぐらいならいくらでも」

「尚香様」

「……陸遜が呼ぶと違って聞こえるのね。
 私の名前が変わったわけでもないのに。
 色んな人が呼んできたのに」
「ご迷惑でしたか?」
「特別って感じがしたわ」
 尚香は黒石が置く場所がなかった時とは違った意味でためいきをついた。

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