「勉強中、失礼します」
リビングで参考書やノートを広げている二人に、譲は念のために声をかけた。
「譲くん、ナイスタイミング!
ちょうど集中力が途切れたところ。
もう、見事にプッツンと」
疲れたーと望美はシャープペンシルを放り出して、腕を伸ばす。
「だから成績が上がらないんだよ」
将臣がまぜっかえす。
「なんでも器用にこなせる将臣くんは特殊なんだよ。
神様だってエコ贔屓したんだと思う」
大真面目に望美は言う。
「神様に贔屓されたのはお前だろう?
白龍の神子さま」
少し寂しそうな顔をして将臣は笑った。
それを複雑な気持ちで譲は見つめる。
幼なじみの三人組は仲良く、元の世界に戻ってきた。
望美の望み通りに。
「休憩用にお菓子を焼いてきました。
飲み物もあるので、どうぞ」
譲は言った。
「ありがとう、譲くん」
花が咲くような笑顔を望美は浮かべる。
「お、カップケーキとクッキーか。
二種類もあるなんて豪華だな」
兄に目ざとく気がつかれる。
「カップケーキは先輩だけのものです。
兄さんはクッキーですよ」
譲は先手を打っておく。
「差別かよ」
案の定、将臣はぼやいた。
「区別です。
わざわざ別に焼いたのですから」
手間は二倍かかったが意味はある。
「私も譲くんのクッキーも食べたい!
去年まではクッキーだったから。
今年も美味しそうだし」
テーブルの上に置いた白い皿を見て望美は言う。
それからねだるように譲を見つめた。
いつもだったら、譲るところだったが、今日だけは無理だった。
何のための3月14日のカップケーキか意味がなくなる。
「駄目ですよ、先輩。
今日だけは我慢してください。
15日以降にまた用意しますから」
譲は穏やかに言った。
きっと気持ちは届いているけど、全部は伝わっていない。
「なるほど、そういうことか……」
皿からクッキーを一枚、つまみながら兄はつまらなさそうに言った。
「どういうこと?」
幼なじみの感覚を引きずったままな一つだけ年上の少女は小首をかしげる。
「望美は受験勉強以外にも恋バナを友だちとしてくるんだな」
小バカにするように将臣が言う。
すでにクッキーの二枚目は胃の中に納まっている。
「どうせ恋バナをするようなお友だちはいないですよ!!」
望美は声を尖らせた。
「そりゃあ、京にいた時よりも漢前が上がったからな。
フツー、男子生徒よりもチョコを貰うか?
しかもお高そうな高級品とか、手作りって感じのチョコレートばっかり」
「将臣くんだって、いっぱい貰っていたじゃない!?」
「半分ぐらい義理だろうよ。
女が女からチョコを貰うのが異常なんだよ」
「友チョコなんじゃないの?
義理で配るぐらいなら、仲良い子にあげるのが当たり前でしょ?」
きょとんとした表情で望美は言う。
二年生のクラスで起きた騒動を想像すると譲は苦笑いしか出てこない。
「二人とも受験勉強、という名目で我が家に集まったのでは?」
「そうなんだけど。
無理な気がする。
異世界にいた時間が長すぎて、感覚が戻ってこない。
こっちに来てもクリスマスが終わるまでは、結局ドタバタしていたし」
望美は盛大なためいきをつく。
「そのドタバタついでにバレンタインデーを忘れた、と」
「え?」
「どうせ譲からチョコレートか、チョコ味の菓子を貰ったんだろ?」
「あ、うん。
譲くんのお手製じゃなかったけど、一輪の薔薇の形をしたチョコレート。
可愛かったし、食べるのがもったいなくてしばらく食べられなかった。
赤い色でイチゴ味で美味しかったよ。
ありがとう、譲くん」
望美は朗らかに言う。
「いえ、催事場でたまたま目に入っただけですから」
譲は微笑んだ。
2月14日に幼なじみに渡すものはチョコレート味なら、何でも良かった。
例年通りに生チョコやチョコレートプリンでも良かったのだ。
ただ、あやかりたいと思って一輪の赤い薔薇にした。
意味は通じてなくても良かった。
自己満足、だったのだから。
「逆チョコかよ。
譲に貰ってばっかりいるから、チョコが渡せなくなるんだろ?」
「ま、将臣くんっ!?」
「我が弟ながら、女よりも料理上手だからな。
しかも舌が肥えているから、市販品も贈りづらいとはいえ、ちょっとは便乗しても良かったんじゃないか?
だからいつまでも『幼なじみ』枠なんだよ、望美は」
将臣はためいき混じりに言った。
まるで2月14日に一つ年上の少女がチョコレートを用意していたような口ぶりで。
食べることが好きな幼なじみが……チョコレートを。
「どうして、バラしちゃうのっ!!
ヒドいっ!!」
甲高い声で望美は訴える。
まるで物理の攻撃も辞さない雰囲気で。
異世界の二人を知っているだけに譲は焦る。
かたや平家の還内府で、かたや源氏の白龍の神子だ。
こんなところで源平合戦を再現されても困る。
「あー、もう面倒だな。
譲、菓子にも花みたいに特別な言葉があるんだろ?
カップケーキの意味は?」
おろおろとしていた譲の心境を無視して、相変わらず自分勝手な兄が悠長に尋ねる。
簡単に言えたら、苦労しない言葉を。
「そ、それは……その」
シルバーフレームの眼鏡を譲は元の位置に戻す。
願掛けのような眼鏡をかけ始めて、まだ外すことも、コトンタクトレンズにすることもできないそれを。
「特別な人、という意味もあります。
感謝も込められていて、格別に意味があるわけでは!
他の菓子言葉が悪すぎるだけで……」
しどろもどろに譲は答える。
隠したところで兄が簡単に携帯電話で検索結果を表示してくれるだろう。
それぐらいな変に隠さない方が良い。
幼なじみの少女の瞳が大きく見開かれる。
まるで信じられないものを見るように。
「じゃあ、仲良くしろよ、お二人さん。
結婚披露宴は親族代表で、スピーチしてやるから」
茶化して将臣は席を立つ。
ちゃっかりとクッキーを数枚、皿から取り上げて。
「将臣くんっ!!」
望美は声を荒げる。
が、そんなことで動じるような兄ではないので、さらりと手を上げてリビングを出ていった。
状況把握が困難な状態で、譲は忙しく頭の中を整理する。
兄の爆弾発言の数々は情報が多すぎる。
「あの、先輩……?」
「譲くん。
自分よりも料理が下手な女の子のチョコレートでも貰いたいと思う?」
うつむいたまま望美は尋ねる。
自信のないか細い声に譲は驚く。
譲は目を瞬かせて、何度も言葉を反芻する。
「先輩からのものでしたら、どんなものであっても極上の味わいです。
王室が召し抱えるショコラティエでも敵わないでしょう」
幸せをかみしめながら譲は言った。
望美はのろのろと顔を上げる。
白い頬は真っ赤に染まっていた。
「赤い薔薇の花言葉は知っていますか?
有名すぎると思うのですが。
さらに一輪だと『あなたしかいない』という意味があるんです」
譲は告げた。
心臓はバラバラに砕け散る気がするほど、緊張をしていた。
確定した証拠があるわけじゃない。
兄がまた面白半分に巻き散らしただけかもしれない。
それでも、これがチャンスのような気がした。
望美は泣きそうな顔を一瞬、浮かべた。
大泣きする一歩手前の。
何もできなかった小さな頃に見て後悔した表情を。
それでも、望美は泣かなかった。
これ以上ないぐらい嬉しそうな顔をして……笑った。
「譲くん、大好きだよ。
ずっと……本当にずっとね。
言いたかったし、伝えたかった。
ただ幼なじみじゃなった。って気がついてから。
だからね。
私を譲くんの彼女にして」
望美はハッキリと言った。
そこには迷いも悩みもなかった。
清々しいほどの告白だった。
「俺こそ彼氏に相応しいですか?」
途惑いながら譲は訊いた。
「うん。譲くんは私の運命の人だから」
晴れ晴れとした表情で望美は言う。
想いが伝わって、重なって、譲は幸福な気分になる。
初めて、譲の気持ちが届いた。
丸ごと、全部。
一切のまじりっけなしに、ただ一人の少女に。