記憶に残る雨

 外は昼間だというのに暗い。
 まるで花梨の気持ちを代弁するように雨が降っている。
 止まない雨はない、というけれども。
 少しだけ冷めてきたカフェラテを口にする。

「雨、止まないですね」

 花梨は視線を幸鷹に戻した。
 砂糖とミルクたっぷりのカフェラテと違って、幸鷹が飲んでいるのはブラックコーヒーだった。
 大人の味。
 こんな時に年の差を感じてしまう。
 京では神子と呼ばれていたけれども、現代に帰ってきた高倉花梨はただの高校生だ。
 何の力もなく、平凡な女子高生でしかない。

「通り雨だと思っていたんですが。
 この調子だと本降りになりそうですね」

 幸鷹が穏やかに微笑む。
 現代に帰ってきても忙しい人だから、久しぶりのデートだった。
 せっかくのお出かけ日和だったら、いつもよりも気合を入れて服を選んだ。
 この雨ではおろしたての靴も汚れてしまうだろう。
 少しでも綺麗と思われたくて、少しでも幸鷹に近づけるようにと。
 ローファーではなく、ヒールと呼ぶにはささやかなローヒールの靴を履いてきたのに。
 とても残念だった。
 デートももう少し終わりだろう。
 雑貨屋さんを中心に街を回って歩いたけれども、この雨だ。
 緊急避難のように幸鷹に手を引かれてカフェに入った。
 だけど、花梨が場違いだと感じるような落ち着いた雰囲気の店内だった。
 だからより、花梨は小さく縮こまる。
 現代なのに居場所がないような気がする。

「そうですね」

 ぎこちなく花梨は笑った。

「花梨は何色が好きですか?」

 唐突な疑問に花梨の頭の中で大きなハテナマークが飛ぶ。
 それでも答えは一つだけだ。

「淡萌黄です」

「それは私の好きな紙の色ですよね」
 眼鏡の奥の瞳は穏やかだけれども少し困ったような口調だった。
「私も好きになりました」
 正直に花梨は答えた。

 京に行くまで花梨には色に好き嫌いはなかった。
 だた目の前の男性が好きな色だと知ってから、花梨の中で特別な色になった。
 黄色って漢字が入っていたから黄色だと思っていたけれども紫姫が用意してくれた紙の色は落ち着いて大人っぽい緑だった。
 パステルカラーと呼ぶには深みのある色だった。
 それに侍従の香を焚きこんでもらった。
 筆なんて小学校の書初め以来使ったことがなかったけど、上手いとは言えない文字で何通も送った。

「傘を一本だけ買って帰りましょう。
 淡萌黄となると探すのは難しそうですが、ビニール傘よりも素敵だと思いませんか?
 ビニール傘は利便性が高いですが、やや情緒が欠けますからね」
「……一本だけ?」
「はい。次のデートの時。
 雨の日のデートに相合傘をして歩きませんか?
 今日の帰りもそうなりそうですが」

 幸鷹の微笑みに勇気づけられて

「雨、止んでほしいって願っていました。
 でも今はずっと降っていて欲しいと思ってしまいました」
 花梨は正直に答えた。
「あなたは素直で可愛らしい方ですね」

 ストレートな褒め言葉に花梨の胸が弾む。
 あれほど窓を伝う雫にためいきをつきかけていたのに。
 ドキドキとしてカフェラテが入ったカップが震えている。
 きっと顔まで真っ赤になっているだろうから。
 暖房のせいではなく、顔が熱いって感じるから。
 簡単に顔を上げて、幸鷹を見ることができなくなってしまった。

「ミゾレになりそうなほど冷たい雨を恵みの雨だと思うのは不謹慎だとは思います」
 ですが、花梨と二人きりになれたことに私は喜んでいるんです。
 望外の喜びと言ってもいいぐらいには」
「え?」
 花梨は意外な言葉に顔をパッと上げた。
 優しい視線と宙で出会う。

「デートが終わりの時間に近づいていましたから。
 帰したくない、その気持ちが天に通じてしまったのかと思いました。
 有名な和歌にもありますが」

「……和歌?」
 花梨は頭の中に眠っている知識を総動員する。
 京では教養として少しばかりかじった程度で、高校では古典の授業をしている最中だった。
 そのせいか、すぐに幸鷹が差した和歌が出てこない。

「天つ風 雲の通ひ路 吹き閉ぢよ をとめの姿 しばし留めむ。
 百人一首にも選ばれた僧正遍昭の作った和歌ですね。
 こちらは乙女が帰らないように雲が出てほしい、という歌でしたが、私はそれよりも私は強欲ですね。
 このまま雨だったら、と願いましたから」

 幸鷹の広い教養と情熱的な言葉に、尊敬とときめきを花梨は覚える。
 大人と子どもの差が埋まらない。
 それでも好きだという気持ちは同じぐらいの熱量だと信じたい。

「花梨と過ごせる時間は貴重で、私にとって何よりも特別なのです。
 だから、花梨が雨が降っていていて欲しい、と聞いた時は嬉しかったです」

 幸鷹は雨の日にふさわしい静かな声で言った。
 冷たい雨に濡れても凍えないほどの熱さで。
 帰り道の相合傘は、きっと今以上にドキドキしそうだったけれども、それでも嬉しい。
 おろしたての靴が水たまりに入っても花梨は気にしない。
 そんな予感がした。
 天気予報になかった雨はきっと二人の気持ちを深めるため。
 お互いの恋心を確認するため。
 きっと神様が用意したのだ、と花梨は思った。


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