キールは足を止めた。
気分転換ではないが院の中を歩いている最中だった。
研究に煮詰まって散策をしていたのに、その研究から頭が結局離れなかったのだから、無駄な時間の使い方だった。
普段だったらこんな人気のない奥までやってくることもない。
本当に自分らしくなかった。
そして足を止めた先で見たものは――最も視界に入れたくなかったものだった。
まだ緑色をしている下草の上で異世界からの訪問者は暢気に昼寝をしていた。
水色の風変わりの服を着たまま、短い栗色の髪が散っていた。
院の中は比較的安全とはいえ無防備すぎる。
本当に成人年齢の女性だろうか。
キールはためいきをつく。
眠る被保護者を起こさないように、その傍に座る。
まだ強い日差しを遮るように緑の葉を茂らせる大きな樹があり、心地よい風が吹いていた。
ここだけは平和な気がする。
隣国だけでなく、国内の情勢も、院の中の勢力争いも、無縁の時間が流れている。
それでも亜麻色の髪の若い魔導士には息抜きにはならなかった。
煮詰まっている研究を嫌でも思いださせる。
己の力を過信していた傲慢さが招いた結果が目の間にあったからだ。
キールは囁くように魔法を詠唱して、簡易的な結界を張る。
人の目につきにくくなる姿を隠す、子ども騙しのような魔法だった。
隠れ鬼をする際に覚えるような初級の魔法だった。
銀縁眼鏡の奥のホーリーグリーンの瞳は、眠る芽衣を見る。
起きる気配がまったくないほど、健やかに寝ている。
規則正しい呼吸音まで聞こえてくる始末だ。
すでに院の上層部から目をつけられている、というのにその寝顔は安心しきっている。
異世界からの訪問者に期待するのは間違っている。
こちらの世界の尺度に合わせてはいけない。
半年近く一緒にいれば世間話の一環であちらの元の世界の話を聞くことになるし、そこから得た情報でどれほど優れた世界にいて、幸せに暮らしていたかぐらいは、鈍いキールであっても理解できるようになっている。
最初は押し付けられたと思い、煩わしいと思っていた。
が、今は保護者として面倒を見るのも、それほど厄介なことだと思わなくなってきている。
元の世界ではまだ未成年――子どもとして扱われる年齢で、家族に愛されて、友だちに囲まれていた、ぐらいのことは会話で知っている。
その生活を奪ったのはキール自身だ。
芽衣は何ひとつ決めたわけでなく、この世界に召喚された。
そして……。
罪悪感に苛まれるキールの耳にその声は届いた。
明るく、無駄なほど元気な声は、寝言のせいかずいぶんと穏やかで。
普段よりも抑えめだったからより耳に余韻として響いた。
「キール、ありがとう」
感謝されることはひとつもない。
むしろ責めて欲しかったし、裁いて欲しかった。
咎める言葉よりも、キールの心臓をえぐる。
最年少で緋色の肩掛けを許された魔導士は、芽衣からそっと目をそらす。
ゆっくりと葉の間から零れて見える空を仰いだ。
天に存在しているというエーベ神に向かって。
心の中に広がった想いは、ほろ苦い。
芽衣を元の世界へ帰すための研究を続けているのに、それがこのまま成果が出なくてもいい、と一瞬でも思ってしまったのだから。
ここに罪人がいます、とキールは青い空を見続けた。
何も知らずに眠り続ける芽衣の隣で。
『診断メーカー』
作成者:憂@torinaxx
メーカー名:「ランダムワードパレット」
たぶんこれは恋
昼寝、無防備、目をそらす
(Summer!)