アンジェリークは胸に抱えていた大きな本をルヴァに返した。
「この本も面白かったです」
民話や民間伝承などが集まった本だった。
この時期ならではの、太陽の復活祭に関連する中心にまとめられていた。
主星で祝う『聖なる夜』とは違うところや似ているところがあって、色々な発見があった。
最初は厚みとサイズ感に困惑したけど。
気がつけば眠る時間も削って読むふけってしまった。
たくさんの挿絵があって、文体も小難しくなかったためだ。
女王候補として読んでおかなければいけない、と言われた本たちとは大違いだった。
「そう言ってくださると嬉しいですねー。
本は読んでくれる人を待っていますから」
地の守護聖であり、守護聖の中でも最年長の男性は穏やかに言った。
アンジェリークが返した本は、本棚の空いていたスペースにそっと戻った。
「ルヴァさまも読んでいるんじゃ?
ここにある本はルヴァさまが全て集めた本ですよね?」
翡翠色の瞳は広い執務室に並ぶ本棚を見渡す。
「そうですねー。
どうしても手元に置きたい本。
何度も読み返す本。
厳選したつもりがこの量に」
困りましたね、と穏やかにルヴァは笑った。
「スゴいですね!」
厳選して、この量。
知恵を司る守護聖というものは、こういったものなのだとしたら、その知識量はスゴいではすまない。
女王試験を行うために特別に用意された飛空都市、だと聞いたけど。
「おかげで図書館のように。
苦手な人は本当に苦手な部屋になってしまいました」
ブルーグレイの瞳は困ったように笑った。
「確かに、圧倒されますよね。
静かにしなきゃダメみたいな」
アンジェリークは正直に感想を言った。
「意外と図書館は賑やかな場所なんですけどね。
本を読むだけにいる人は少数なんですよー」
「そうなんですね」
アンジェリークは相槌を打った。
「それに熱心に本を借りに来てくれるあなたのような存在は嬉しいものです」
ルヴァは自然に口にした。
「え!?」
アンジェリークの心臓は景気良く跳ねる。
新しい知識が増えるのも楽しかった。
苦手意識があった本を読むのも楽しくなった。
それ以上に、図書館ではなく、地の守護聖の執務室に行く理由は……不純で、一つだけだった。
「私だけしか読まれないのは本たちもかわいそうですから」
ルヴァは言った。
「あ……そうですね!」
アンジェリークは自分の勘違いをどうにかごまかす。
不自然にならなかっただろうか。
そんなことばかりが気になってしまう。
「それに私も嬉しいです。
同じ本を読んでも感想は人それぞれです。
どのような受け取り方をしたのか。
話し合う時間は貴重であっという間です」
「私みたいな、面白かったとか。
楽しかったとか。
そんな単純な感想でも貴重ですか?」
難しい専門用語もわからなければ、美辞麗句を使えるほど器用でもない。
子どもっぽい感想ばっかりだ。
おずおずと翡翠色の瞳は年長の男性を見上げる。
ブルーグレイの瞳はアンジェリークを安心させるような光が宿っていた。
「どこが面白かったか。
私が訊けば、あなたはきちんと答えてくれる。
私にとってはありきたりな言い回しな一文であっても、あなたにとっては新鮮で強い興味になった。
その差を知れることが嬉しいのです」
ルヴァは言った。
「そういう考え方もあるんですね」
ホッとしながらアンジェリークは言った。
「読み返す時がある、と言ったように、時間の経過。
つまり経験の差によって同じ本であっても、違った感想が湧いてきます。
本自体は綴り一つも違っていないんですけどね」
そこが面白いのです、とルヴァは言った。
「今、お返しした本も違った感想になる日が来るんですね!」
だったらいつまでも手元に置いておきたくなるだろう、とアンジェリークは納得する。
未来の自分は、返したばかりの本にどんな感想を持つだろうか。
「そうなりますねー。
あなたが楽しそうに本を読んでくださるので、私にとっても選び甲斐があります。
なかなか得難い時間です。
……ずっと続いたら、とたまに思いますよ」
ブルーグレイの瞳が常葉樹色のカーペットに落とされた。
それにアンジェリークの心臓はわしづかみされたようにきゅーっと痛む。
今は女王試験の最中で、試験には終わりが来る。
女王選出して。
「まだ私はロザリアに負けています。
でも、もし。
私が女王になれて、聖地に行くことができたのなら、本を借りに来てもいいですか?」
アンジェリークにとって、精いっぱいの告白だった。
ライバルであるロザリアと開いている数値は大きすぎる。
奇跡でも起きなければ引っくり返らないだろう。
それでも伝えておきたい気持ちだった。
「もちろんです。
その時を私も心からお待ちしています」
ルヴァは穏やかな口調を変えずに、アンジェリークの背中を押す。
守護聖なのだから定期審査で、アンジェリーク以上に候補者としての資質を知っているだろう。
それでも、なお、応援してくれた。
「はい、頑張ります!」
嬉し涙を堪えながら、アンジェリークは宣言をした。
誰からも認められるような立派な女王になる。
まだ夢や幻みたいに不確かだけれど。
すでに最初の一歩は踏み出している。
好きになった人の期待を裏切りたくない。
女王として即位して、聖地に訪れて一番初めにすることは、今日返した本を読むことだ。
きっと違った感想が湧いてくるだろう。
その日が楽しみになり、足掻いている今の苦しみにも意味ができた。