うまく隠していたつもりだった。
バレないように慎重に。
が、とうとう気がつかれてしまい小喬は寝台の上で座り込んでいた。
本当は横になっていないといけない、らしい。
お医者さんも呼ばれたし、お屋敷の人たちもバタバタと忙しそうだ。
「奥さま、これなら食べられるでしょうか?」
と持ってきてくれたお粥ですら、小喬は半分も食べられなかった。
慣れない環境で、知らないうちに疲れがたまった、というのがお医者さんのお話だ。
簡単に言うと風邪を引いたのだ。
自覚症状はあった。
寒気がしたり、体が重たく感じたり。
体がいつもよりも熱かったり。
どうにかこうにか、それらを小喬は隠していた。
何故なら、風邪を引こうものならば、口にしたくないような苦い液体の水を飲まされるからだ。
食事の度に、一日三度。
お医者さんがいい、というまで。
液体なのに水のようにさらさらしていなくて、ぬめりがあって、どろどろとしているし、色も黒っぽい。
鍋であぶった小麦粉の餅の焦がした部分だけ集めたような味がしたり、舌がしびれるようなピリピリとした感じが残ったり。
とにもかくにも『薬』というものが小喬は嫌いだった。
結婚する前は姉の大喬が付きっきりで看てくれた。
それは監視ともいえるぐらいに。
小喬が薬を飲み終わるまで、ずーっと傍にいた。
だからこそ、小喬は隠していたのだ。
お互いに結婚したとはいえ、気ままに行き来ができる距離に屋敷があるのだ。
優しい姉だったら、妹が風邪を引いたから、と看病したいと夫である孫策さまに伝えるかもしれない。
孫策さまは家族を大切にするひとだし、お姉ちゃんに甘いから、許可する可能性が高い。
そんなことにならないように、小喬はひた隠しにしていたのだ。
でもバレてしまったら仕方がない。
あの苦い薬をこれから飲むのだろう。
雨が降り出す前の曇り空のように小喬の心は弾まなかった。
もう大人なんだからガマンしなきゃ。
小喬は膝を抱え込むようにしてして、目をぎゅっとつぶる。
体の関節部分も痛いし、喉だってずっと痛い。
部屋に誰か入ってきた気配がした。
ずっと体が痛いのをガマンしてきたし、これから薬を飲むのだと思うと悲しい気分になっていたので、小喬はその人が寝台の傍にある椅子に座るまで目を開けなかった。
普段だったら足音とか、衣にたかれた香りだったりとかで気がついたのに。
墨の香りがする指先が小喬の髪を優しく撫でた。
小喬はビックリしすぎて、目を開いた。
目玉が宝石のようにコロコロと床に転がってしまうんじゃないか。
そう思うぐらいには驚いた。
「風邪に気がつかなくてすまなかった。
心細いを思いをしただろう」
小喬が大好きな、でも孫呉で一番忙しい人が優しくそう言ってくれた。
それだけで小さな胸はいっぱいになってしまう。
赤ちゃんのように大きな声を上げて泣いてしまいそうだった。
「辛かっただろう。
本当は付きっ切りで傍にいたかったんだが、こうやってわずかな時間に帰ってくるだけでしかできなかった。
義姉上にも話してあるから、すぐに来てくれるだろう」
周瑜は申し訳なさそうに言った。
小喬は首を横にゆっくりと振る。
下ろしたままの長い髪がそれに従って、揺れた。
大きな手が差し出されたの白磁の器。
小喬の手のひらと同じぐらいの大きさで橙色の液体が入っていた。
果実のように甘い香りが漂ってくる。
受け取ってみると、小喬の指先よりも少しぬるいぐらい温かさだった。
匂いに釣られて小喬は一口、飲んだ。
甘露のような、お菓子のような甘さだった。
思わず小喬の唇がほころぶ。
それを見ていた周瑜さまは明らかにホッとしていた。
「周瑜さま、甘いね。
もしかして、この後、お薬が……」
水分を取ったせいだろうか。
少しだけ声が出しやすくなった。
喉にまだ違和感があり、痛みは残っていたけれども。
「いや、これが薬だ。
苦手な味じゃなければ、ゆっくりとでかまわないから飲み切って欲しい」
周瑜さまは言った。
小喬は果実酒のような甘い液体を少しづつ飲んでいく。
寒気が薄れ、体がポカポカしたような気がする。
何よりも甘いところが気に入った。
器を空にすることには、だいぶ楽になった。
「美味しいのにお薬なの?」
「喉がだいぶ痛んでいるようだな。
無理に話さなくてもいい。
しゃべる度に喉が痛むだろう。
これは喉を労わる果実を蜂蜜で長時間漬け込んだものを、白湯で割ったものだ。
風邪の予防になるし、食事が取れないほどの痛みがある時でも飲む」
周瑜は空になった器を小喬から取り上げ、近くにあった卓子に静かに置いた。
「もっと苦いのとか、辛いのとか、舌がピリピリするものとか、焦げ臭いのとか」
今まで姉から『薬』だと渡されたものを小喬は思い出し、顔をしかめた。
「小喬は我慢強いのだな」
周瑜は失笑した。
「こっちではみんなこんなお薬を飲んでいるの?
もしかして子ども用?」
小喬は不安になった。
苦い薬が嫌だと泣くちっちゃな子ども用の薬を出さられたのかもしれない。
大人なのに。
「みんなではないな。
ただ江南で甘いものが好まれる。
洛陽より暖かくて、甘い果実などが多く実る。
この薬は大人でも愛飲する者も多いから安心するといい。
小喬を子ども扱いしたわけじゃない」
周瑜は穏やかに微笑む。
「ホント!?」
「ああ、本当だ。
食事が充分に取れないほど喉が痛むときは、この薬が良く効く。
風邪がすっかり良くなるまで、きちんと飲んで欲しい」
「もちろんだよ、周瑜さま」
小喬はこんなお菓子みたいなお薬だったら大歓迎だった。
調子を崩した、と気がついた時点で隠さずに伝えれば良かった。
きっとお姉ちゃんが用意していた得体のしれないお薬は出されなかったと思う。
次はない方が良いけど、次があったらきちんと言おうと思う。
小喬は満面の笑みを浮かべた。
周瑜は小喬の頭を撫で、ゆっくりと髪を梳ってくれた。