薄暗い室内の中で明るい少女が賑やかに話す。
少しは黙っていられないのか、そう思うほどにおしゃべりだ。
眠る前にはふさわしくない声量で楽しげに話す。
とりとめのない。
価値の少ないような話だ。
それでもその声が楽しそうだから、が眠くなるまで司馬懿は耳を傾けてしまう。
「え、私が護衛武将になった理由ですか?」
大きな黒い瞳を見開きは尋ねる。
それから、ゆっくりと小首を傾げる。
日中であれば邪魔にならないようにまとめられている黒髪もただ垂らされている。
侍女の璃が苦労して整えているために今は艶やかだ。
微かな灯の中でもしっとりとして特級品の絹のように輝いている。
瞳も髪も無欠の黒だ。
これ以上は染まらない完全色。
「すでに仕官の時に人事の人にも話しましたよ。
司馬懿様だって良くご存じだと思いますが?」
は不思議そうに言った。
それから
「お金を稼ぐためです!」
と自明の理のように告げる。
朝が来れば太陽が昇る、と同じぐらいに当然のことのように。
護衛武将時代から金にがめつい少女だった。
品性の欠片もない、と疑いたくなるぐらいに頭の中には「金」しか入っていなかった。
「お転婆すぎて嫁の貰い手がなかったんですよね。
糸も紡げないし、縫い物も下手だったら当然なんですけど。
野山を駆けて得物を仕留めてくるお嫁さんってビミョーっていうか。
食い扶持を稼ぐために現物をゲットして来るっているのは、さすがにひかれるというか」
ためいき混じりには半生と呼ぶには短い人生を振り返る。
里にいた頃には目立った少女だっただろう。
「それに今も貧相ですけど、棒っきれみたいな体形で、絶世とか、傾国とか、言われちゃうほどの美少女でもないわけで。
ありきたりというか。
美人の範疇がズレているというか。
肌だってこんがりと焼けていて色白じゃないですし。
身長だって高くありません。
妓女候補として声すらかけられませんでしたー」
人身売買も身売りも珍しくない。
中国を始めて統一したことから始皇帝と呼ばれた伝説の男ですら、その母親は愛妾だったのだ。
もっともその女性は秦の妃になったものの、その系譜は怪しい。
「そこで護衛武将の募集があったんです!
あとはとんとん拍子というか、いきなり司馬懿様付きになったので、とってもお給金は上がりました。
見たことのない数のお金をもらって詐欺だとか、思いました。
大金で、さすがの曹魏は太っ腹だと!
しかもろくに戦場に行っていないのに、毎月毎月もらえて。
やっていることは書類整理とか、お茶くみで。
福利厚生が効きすぎているというか、高給取りになりました。
辞めるって選択肢は速攻でなくなりました!」
は明るく告げる。
仕官した時の少女の年齢は16歳だった。
幼いとは言えないが、まだうら若き乙女と呼んでも良い年齢だった。
どこにでも落ちている話題のように話す。
凄惨に彩られ歩んできた道を楽し気に。
それが司馬懿を苛立たせる。
「あ、でも司馬懿様の護衛武将になれて良かった、と思っています。
……短い間でしたけど。
曹魏は、この国はきちんとした人が守っているんだって身近で知ることができましたから。
この地に生まれてきて良かったです。
大好きな人とずっと一緒です」
は満足げに笑う。
それは北の大地でも咲く太陽にも似た花のように。
だからこそ、司馬懿の機嫌は悪くなる。
面白くないことは重なるものだ。
積み重なって地層になる。
の父は若くして死亡。
母は病気がちで長くない。
幼い弟妹。
戸籍を調べてみれば父の死は戦死だった。
徴兵された平民だった。
曹魏がこの地に生まれてきて良かった、と笑う少女の父を奪ったのだ。
長すぎる戦で。
司馬懿がいまだ終結させることのできない動乱が。
護衛武将になれて良かった、と言う少女から当たり前のように取り上げた。
それが司馬懿にとっては不機嫌になる原因となる。
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