新年

「あけましてしめましょう」
 は言った。
 本心からの気持ちだった。
 新年の挨拶にふさわしくなくても。
「それは、どんな挨拶だ」
 案の定司馬懿は怪訝な顔をした。
 それぐらいでビビるではなかった。
 護衛武将時代に散々、見てきたからだ。
 斜め45度ぐらいの不機嫌さなど慣れっこになってしまっていた。
「そういう気分だったんです。
 ありませんか?」
 は尋ねた。
「私は忙しい」
 一刀両断、とはこのことだ。
 すっぱりとの感傷など切り捨てられてしまった。
「知っていますよ。
 司馬懿さまが忙しいことぐらい。
 曹魏が誇る名軍師じゃないですか!」
 たとえ護衛武将じゃなくなっても、その活躍は身近で見ている。
 が周囲から未来の妻だの、婚約者だの、言われても。
 体質はなかなか変われないものだった。
「その手を煩わさしている者がいるからな」
 司馬懿は言う。
「はぁ、大変ですね〜」
 はしみじみと言った。
「他人事だな」
「ええ!
 そんなつもりはなかったんですけど。
 こういっては何ですが、殿を始めとして問題児ばかりじゃないですか、この国。
 国のトップが問題児で。
 しかも、司馬懿さまが教育係だったんですよね。
 魚ちゃん先輩からも聞きました〜。
 これで大変じゃなかったら、どこが大変なのか私には見当がつきません」
 は思い返すように言った。
 魚ちゃん先輩は護衛武将時代からお世話になった長身の美人さんで、曹丕の護衛武将だ。
 今も……。
 自分とは違う。
 とはついつい比べてしまう。
「なるほどな。
 だが、見当外れだ。
 もう少し一般的な発言がお前ができないものかと考え中だ」
 司馬懿は不機嫌さを隠さずに言った。
「……暇ですね」
 はポロっと零した。
 うっかりな具合だが、こちらも今更だった。
 言わなくてもいいことまで正直になんでも話してしまう。
 真昼の照明器具。
 無駄に明るい。
 曹魏でそう呼ばれるだって色々な事情がある。
「新年が始まってめでたいというのに、閉めましょうとは。
 よっぽど嫌なことでもあったのか?」
 司馬懿が尋ねる。
「おめでたいんですか?」
 ちっともめでたい気分になれていないは質問で返した。
「めでたくないのか?」
「そうですね。
 確かに年が改まるのは素敵なことですけど。
 美味しいごはんも並びますし。
 この時期だけっていうのもあります」
 は言った。
 今日だって屋敷では美味しいごちそうが並んだ。
 朝っぱらからである。
 村で暮らしている頃には見たことがなかった豪華な食事。
 真冬だというのに湯気がたつ温かい食べ物。
 護衛武将時代に宴会で警邏に当たれば、それなり目にしてきたけど、口にはできなかったもの。
 それが当たり前のように優のためだけに揃えられた。
 マズくはなかったし、目で見て楽しむこともできた。
 それでも……極上だと。至上だと。
 素直に美味しいとはには思えなかった。
 たった一つの理由で。
「お前が食べることが好きだと記憶をしているが?」
 司馬懿が問いを重ねる。
「司馬懿さまの記憶は間違っていません。
 さすが三國一の軍師ですね!
 ですが、良いことと悪いことがあって。
 悪いことがちょっぴりでも多いと嫌になることがありませんか?
 だから、もう今年は終わってもいいような気がしたんです」
 は新年の挨拶にふさわしくないことを言った理由を話す。
 視線を思わず床に落としてしまう。
 毛足の長い防寒用の敷物が敷かれた床は美しく、埃一つもない。
 新年を祝うように、その色は紅。
 これ以上、深く染められないほど鮮やかな色だった。
「私は勝手に終わらせた理由が知りたいな」
「それは……」
 は口ごもる。
 話したところで理解をしてもらえないような気がする。
 些細なことだったから。
「黙秘をするなら口を割らせるだけだ。
 どんな手段がいいのか、選ばせてやろうか?」
 冷たく司馬懿は言った。
 本気でやりそうなところが曹魏が誇る名軍師だった。
 の頭の中で数々の拷問方法がよぎっていく。
「それって私に選択肢がないじゃないですか!」
 は顔を上げて訴えた。
「あると思っていたのならずいぶんとおめでたい頭だな」
 完全に悪役の台詞だが妙に似合うのが司馬懿だった。
 素直に話さなくてはいけないだろう、と優はためいきをこぼす。
 大きく息を吐いて、吸い込む。
「司馬懿さまがずーっと忙しいからです。
 春節が終わるまで暇がないのが。
 ちゅっとだけ寂しかったんです。
 お仕事だってわかってます。
 だから、私にとっておめでたくないんです」
 宮中行事に出る資格のないは屋敷待機である。
 新年というのはめでたいと思うが、好きな人と一緒にいられなくなるのは、また別問題。
 だって恋する乙女なのだ。
 好きな人とは一秒でも長く一緒にいたい。
「呆れるほど単純な理由だな」
「そういうと思ったら言いたくなかったんです!」
 想像通りの言葉運びに、は半分以上泣きたくなった。
 目の奥が熱くなって、潤み始めたのがわかる。
 それでも泣きたくなかったから、ぎゅっとこぶしを握る。
「そして救いようがないほど馬鹿だな」
「傷を抉らないでください。
 自分でもわかっていることを指摘されるって嫌なんですよ」
 はできるだけ冷静に言った。
 小さな子どもみたいに駄々をこねて、ピーピーと泣きたいぐらいの気持ちだけど。
「私が忙しいのが嫌なのだろう?」
「はい、そうですけど」
 は唇を噛む。
 私の勝手でお仕事を減らしてください、とは流石に言えない。
 曹魏が必要としている人なのだから。
 戦が終われば、犠牲になる人が減る。
 それはの死んだ父親のような徴兵される平民のように。
 兵になった人たちは故郷へ、家族のもとへ帰ってこれるのだ。
 父を戦で亡くした優にとっては、二重拘束だった。
 好きな人とは一緒にいたい。
 でも、軍師としての仕事――戦の終結は急いで欲しい。
 完全な我が儘だった。
「ほんの数分前の会話まで忘れ去るのは鳥頭だな」
「そーですけど。
 え?
 数分前?
 あ、え、えーーー!!
 忙しい司馬懿さまが私のことを……その、あの。
 考えてくれてるって」
 の声は見事にひっくり返る。
 確かにこれでは鳥頭と言われても仕方がない。
 現金にも心臓が飛び跳ねて、ドキドキとする。
「年が始まったのに、すぐに終わってほしいのか?」
 確認するように司馬懿は訊く。
「卑怯です。
 その言い方、卑怯です!!
 軍師は卑怯なぐらいじゃないと務まらないってわかってますけど!!」
 は全身で叫んだ。
 淑女らしくない大声だとわかっていたけれども、言いたいことは何でも言ってしまう。
「では新年の挨拶ができるな」
 司馬懿は言った。
「はい。
 明けましておめでとうございます」
 は深々とお辞儀をした。
 新年らしい挨拶は重要だ。
 区切りになるし、節目だ。
 去年と今年が違うように。
 ……去年は護衛武将をしていたけれども、今年は違うのだから。
「始めから、そう挨拶をしておけ。
 誤解を招くような発言は控えるように」
 司馬懿が忠告するように言う。
「肝に銘じます」
 は頑張ってドキドキを抑えるように告げた。
 新しい年の幕開け。
 これから始まる日々は、どんなものになるだろうか。
 少なくとも好きな人の心の片隅には置いておいてもらえている。
 それがには泣きたくなるぐらいに嬉しかった。

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