冬至も過ぎ、一段落するはずがないのが曹魏だった。
何を思ったのか……いや、単純に面白がっているだけだろう。
退屈が嫌いな曹魏の皇帝陛下こと曹丕が西洋の祭りをすると言う。
何かと理屈をつけて宴をしたがる。
そこに美酒と珍しい食べ物が並べば、反対する者は少数になる。
司馬懿は少数派だった。
理由をつけて屋敷に帰宅したい。
サービス残業やアルコール接待というのは非常は面倒だった。
相手の機嫌を取りつつ、顔色を疑って、腹の中を探り合い。
そんな宴に出席する理由は一つもなかった。
屋敷の中でも、それが拡大感染しているのを見て、司馬懿は眉をひそめた。
冬でも枯れない針葉樹林の大きな木が目立つところに飾り付けられていた。
鋭い葉は常盤の緑。
永遠を意味する色合いで、西洋では珍重されている。
そこに人形をかたどった焼き菓子が飾られ、大きな靴下がぶら下がっていた。
毛糸製のそれは巨人族でもサイズが合わなそうなほど大きい。
「馬鹿らしい」
司馬懿はためいきをついた。
靴下の中に願い事を書いた紙を入れておけば、サンタクロースが叶えてくれる。
そんな迷信を実行に移した少女は己の婚約者だった。
植え付けたのは曹丕なのだから質が悪い。
司馬懿は靴下の中に手を入れれば変形折りした紙が入っていた。
破かないように気をつけて開いていけばためいきが深くなることが書きつけてあった。
元気な少女らしい文字運びではあったが妙齢な乙女らしい色香は一切なかった。
これっぽっちも、微塵も。
丁寧に書かれた手本通りの文字が願い事を書き連ねていた。
流麗や典雅といった様子もなく、墨跡は整っているだけだった。
これが恋文だったら味気がないと盛大に思ったぐらいには、整いすぎている文字だった。
書いた人物が自分の名前すら書けなかったことを考えれば、進歩していると評価しなければならないだろう。
筆の握り方すら知らずに、司馬懿が文字通り手取り足取り、教えることになったのだ。
際どい意味ではなく、密着率もそれなりにあったはずだが、完全に幼子に手習いを教える教師としての役割だった。
一という文字すら書けなかったのだ。
文盲という言葉が存在しているのは司馬懿も知識としてあったが、まさかここまで酷いとは思わなかったのだ。
護衛武将が命令書が読めない。
返事が書けない。
では、戦場では大騒ぎだ。
作戦の立案どころではない。
それでは司馬懿自身が困ると最低限の手ほどきをした。
その元・護衛武将はスラスラと自分の願い事を書けるようになった。
褒めるべきなのだろうが、本当にサンタクロースが来ると信じこまれていても困る。
子ども騙しに引っかかる。
入れ知恵をするのが後を絶たないためだろう。
司馬懿が先手を打っても無駄だった。
原因が曹魏の最高権力者どもなのだ。
防ぎようがなかった。
「司馬懿様、お帰りなさいませ」
ひょこひょこと元・護衛武将のがやってきた。
「今日もお疲れさまでした。
外は寒かったと思って、あたたかいお茶を持ってきたんですけど」
女性らしい服装にもだいぶ慣れてきたのか、裳裾を踏むような真似はしなくなった。
お盆の上には淡い色合いの茶が入った白磁の器があった。
司馬懿は手にしていた紙と己の婚約者の顔を一往復する。
紙には即物的でくだらない願い事が大量に書き連ねられていた。
それも小さな文字でびっしりと。
叶えてやる気にもならない量の願い事だった。
「せめて一つに絞れないのか!?」
「一つは無理です!」
は即答した。
金にがめつく、物質的な富に執着を見せる。
そんな精神は少女の生まれと育ちに影響しているのだろう。
食べるのにも困る貧困した寒村出。
父を亡くして、病気がちな母と幼い弟妹を養うためにわずか16歳で護衛武将として仕官したのだ。
結婚して相手の家に養ってもらう、という手段すらなく。
金持ちの家の私娼になれるほどの美貌や教養にも恵まれずに。
売り払えるものは自分の生命だけ。
優にとってお金は家族を養うために存在していた。
非常に麗しい家族愛であり、美談なはずなのだが……目の前の少女を見ると、冗談に聞こえる。残念なことに。
「だったら、サンタクロースも呆れるだろうな」
「良いんです。お願いが叶わなくても」
は意外なことを口にした。
「一番、叶って欲しい願いは書きませんでした。
サンタさんでも無理です。
だから……書きませんでした」
真昼の照明器具。
そう呼ばれるほど無駄に明るい少女にしては珍しい表情を浮かべた。
苦々しい。
切ないような笑顔だった。
「そこまで言うと逆に気になるな。
何を書かなかったんだ?」
「司馬懿様は叶えてくれますか?」
何も染まらない色。
無欠な黒い瞳は縋りつくように司馬懿を見上げる。
「ものによる、としか言えない」
司馬懿は答えた。
簡単なものならサンタクロースの代わりになるつもりだった。
屋敷で靴下がぶら下がっているのを見た瞬間から。
「司馬懿様の護衛武将にしてください」
「残念だが、叶えられない」
それがの一番の願い事だという。
司馬懿は叶えてやることができるが、叶える気にならない願い事だった。
「ですよね。わかっています。
サンタさんで無理だって。
護衛武将に復帰できるほどの腕は持ち合わせていません。
二度と戦場にお役に立つことはできないでしょう」
だから願い事には書かなかったんです、とは視線を床に落とした。
「お前の価値は護衛武将だった、というだけではない」
司馬懿は言った。
少女が戦場で大怪我を負ってまで助けてくれた。
何度も生命を救ってもらった。
そんな感謝でプロポーズをしたわけではない。
司馬懿はそこまで酔狂でも、慈善家でも、物好きでもない。
自身が価値があった。
存在自体に価値がある、というのに。
少女の方はまったく気がつかずに、納得をしていなかった。
頑なに護衛武将だった頃を懐かしむ。
金を積まれても、玉を積まれても、傾かない天秤に優は載っている。
ようやく見つけられた幸せの可能性だった。
何度も見て見ぬふりをした司馬仲達が司馬仲達になる前に夢を見ていた昔。
そんなくだらない夢をもう一度、信じさせたのはだった。
飽きれるぐらいの単純さで、真夏のような公平な日差しを投げかけて、司馬懿を影から引きずり出した。
「とりあえず一つに絞れ。
叶えられる範囲で叶えてやろう」
司馬懿は妥協した。
「司馬懿様のお傍にいさせてください。
できるだけ長く」
は顔を上げて言った。
護衛武将でなくなってもできることだった。
それだけが願い。
迷いもなく断言した。
そういうことだろう。
少女の願い事は今も昔もさほど変わっていない。
司馬懿の願いとも一致する。
が、わかりやすい形の方が良いだろう。
「殿から言われたことだ。
それを利用させてもらおう。
休暇を取らせてもらう。
日付がたまたまクリスマスだっただけだな」
面倒な宴に欠席する理由もできた。
言い出した元凶にはキッチリと責務を果たしてもらう。
「良いんですか!?」
の声が喜びに彩られる。
「屋敷でゆっくりと過ごすのも悪くないだろう。
たまには仕事から離れたくなるからな」
軍師という仕事はそれほど良いものではない。
内政干渉なら、まだやりがいがあったが……ほぼ戦の準備だ。
自国が有利になるように、他国の人間の生命を多く簒奪する。
「お仕事熱心な司馬懿様でもそんなことを思うんですね。
意外です」
は大きな瞳を瞬かせてから、笑った。
「お休みの間にすることをたくさん考えないと駄目ですね。
今から楽しみです♪」
それは一点の曇りがない空に輝く太陽のように明るいものだった。
無駄に輝かしく、無駄に照りつけてくる真夏の太陽。
半年以上に見たそのものの輝きをの魂は放っていた。