「ハロウィン」25年版

 麗らかな昼下がり。
 訂正、爽やかな昼下がりのことであった。
 確かに秋うららという言葉がないわけではないが、わざわざ秋とつけるのである。
 西洋ならインディアン・サマーなる言葉もある。
 小春日和にしては少しばかり早いが、そんな時期である。
 少なくともこの曹魏では。

 日差しも柔らかく、木々が色づいていた。
 そこにのどかさを拍車をかけるのは、明るい話し声だろう。
 うら若き女性たちが集まっておしゃべりに花を咲かせていた。
 張儁艾でもいたのなら美麗な成句の一つや二つを語っていただろうが、あいにくと席を外していた。
 彼とて曹魏の立派な武将であり、数少ない智将にカウントをしておかなければならない。
 芸術を愛する張儁艾がいないのは彼自身も悔やまれることであっただろう。

 それぐらい華やかな集まりであった。
 粒ぞろえが良いのがご自慢な曹魏の皇后陛下の下で働く女人たちが中心になって、他愛のない話をしていた。
 天気の移り変わり、下ろしたての衣の話。実りの秋を迎えて美味しかったデザート。
 麗しい女人たちが下草に腰を下ろして、そのような話を無邪気にしていたら不用心だろうが、そこは心配ない。
 甄姫の護衛武将の恵も混ざっていた。
 休暇中であったから女性ものの衣をまとっていたが、ちゃっかりと手の届く範囲に愛用の剣がすぐさま抜刀できるように置いてあった。
 まるで見えない境界線か、絶対の結界のように。

 そんな場所にやや風変わりな小柄な少女が混じっていた。
 別段、場違いないほど醜い容貌をしているわけでも、恥ずかしくなるほどのボロをまとっているわけでもない。
 美人かと言うと、愛らしいとジャンル分けがされるだろう。
 クリッとした大きな瞳は黒で幼さや無垢さが駄々洩れ……いや、にじみ出ていた。
 衣の方も女官たちが身にまとうよりも上等なものを自然と着こなしていた。

 少女の名前は

 甄姫さまの取り巻きに混ざっているから、もしや噂の娘の東郷公主かと勘違いするわけにはいかないほどの大きな少女である。
 まあ、混ざっているのはノリと勢いである。

 はこの曹魏において最高権力者たちから寵愛を受けている。
 実家が大きかったかと言うと、どこの地図に名前があるんだ? と訊きたくなるような寒村出である。
 本人も自分の名前も書けなかったほどの無学でもあった。
 愛らしい容貌をしているものの、色仕掛けなんかで寵を得るほどの器用さも持ち合わせもなかった。
 芸術、琴や笛の腕前も、最近は何とか形になってきたところだ。
 だったら、どうやって取り入ったんだ!? とツッコミが入りそうだが「戦争中ってそんなもんだよね」ということである。

 元・護衛武将である。

 天下の神童と呼ばれるほどの腕前で、曹魏には少ない弓兵であった。
 戦場に出た回数は少ないものの、その戦績は特筆するべきだろう。
 名だたる武将であってもできないことを16歳で仕官した少女はやってのけたのだ。
 しかも複数。

 おかげさまではケガで引退することになったが、一目も二目も置かれているのだった。
 もちろん戦場で挙げた功績だけではない。
 何が間違ったのか。
 それとも、こういうのが運命というものだろうか。

 司馬懿の護衛武将だったは、引退することになった戦場で、司馬懿からプロポーズされて、断るなんてとっさに頭が働くはずもなく、了承してしまった。

 こういった発言をすると、まるで司馬懿が惚れ込んで一方的に求婚したような気もするが……矢印の方向は間違っていないから訂正する必要もない気もするが、の方もきちんと司馬懿を恋愛対象にしていたのだから、問題はないだろう。

 と司馬懿は相思相愛な婚約者同士であった。

「そろそろキンモクセイも咲きますね〜」
 のんびりとした口調では言った。
 金色の小さな花が風に揺れて落ちてくるさまは太陽が作った飴玉が零れてくるように美しいのだ。
 十里先でも香りがわかる、と呼ばれる花だ。
 曹魏の庭院でも咲いていて、書斎の窓を開けると香りが漂ってくる。
は桂花が好きなのね」
「嫌いな人がいるんですか〜?
 あの司馬懿様ですら文句を言わない花なんですよ」
「あら、そうなの?」
「そうですよ。
 お香を焚くよりも、自然と香る花の方が好きみたいです。
 お金持ちって考えることが違うんですね♪」
「お香の方が芳しいと思うのだけど」
「ですよね!
 キンモクセイなんて、実がつかないから、お腹にたまりません、
 あ、でも、お茶に香りを移したものは素敵だと思いますが。
 こういうのもお金持ちの道楽ですよね〜」
 はニコニコといつも通りに語る。

 それを微笑ましく聞いていた女性陣の表情が固まった。
 絶対零度まで気温が下がったんじゃないか、と言った感じで凍りついた。
 恵もとっさに愛剣の柄を握ったぐらいだ。

 例外的だったのはだ。
 聴力にすぐれ、観察眼にすぐれた弓兵だったの笑顔はもっと輝いたものになった。

「司馬懿様♪ どうしたんですか〜?」

 はニコニコと尋ねた。
 本来、武将はこの時間は仕事中である。
 ましてや内政の政務官まで任されている多忙な司馬懿がのんびりと散策なんて、時間が取れるはずもない。
 無言でつかつかやってくるのも、普通だったら恐怖である。

「皆さん、サボりじゃないですよ。
 ちゃんと休憩時間です!」

 はきちんと伝えておいた。
 別に司馬懿を恐れてのことではない。
 ホウレンソウである。
 報告、連絡、相談の一環。
 あまりにも護衛武将と上官という時代が長かった(当社比)。
 慣れ、である。

「お菓子か、悪戯か?」

 司馬懿は機嫌の悪そうな顔で言った。
 三國一デリケートでキレやすい軍師である。
 機嫌の良い時の方が少ない。
 ここにいる女人たちはわかっていたが、それでも怖いものは純粋に怖い。
 図太すぎるのか……いや大らかで、天真爛漫な明るい性格のは気にしなかった。
 護衛武将時代に慣れきってしまったのだ。

「お菓子ならありますけど、いりますか?」

 上等な竹細工の籠からはお菓子を差し出した。
 綺麗にラッピングされたカボチャマフィンである。
 オレンジ色のマフィンの天辺には、ローストされた緑色のカボチャの種がトッピングされていた。

「いらん」
 あっさりと司馬懿は断った。
「へ?」
 は瞳を何度も瞬かせる。
「言え、と命令されたから言いに来ただけだ」
 司馬懿は上質な紙に書かれた命令書を広げる。

 軍議に使うのは竹簡である。
 書きそこなっても削れるからだ。
 紙の場合、一文字でも書きそこなった書き直しだ。
 だから滅多に使われないし、自信のある人物しか使わない。
 それにバカ高い。
 貴重品なのだ。

 そんな無駄遣い……いや、手の込んだことをする人物は一人だ。
 曹魏の帝王、曹丕である。

 達筆としか言いようがない堂々した墨跡で、証言者のいる人前で言うように、きちんと勅令の形式で書いてあった命令書だった。
 直筆なだけではなく、ご丁寧に判子まで押されている。

 これに逆らったら、悪ければ打ち首。
 良くても命令違反で無期の謹慎処分である。

 皇帝は気分次第で何でもできるとはいえ、口頭で命令すればいいものの、わざわざ書類作成したのだから手の込み具合が違う。
 完全に面白そうだったから、だろう。

「これも司馬懿様のお仕事なんですね〜。
 お疲れさまです」
 はしみじみと言った。
「司馬懿様がいらないなら私が食べる!」
 甄姫の護衛武将の恵が言った。
 闊達な印象の強い美女は体を動かすことも好きなら、美味しいものを食べることも好きだった。
「ダメですよ〜。
 私が作ったのは、これ一個だけなんです。
 司馬懿様専用です!」
 はキッパリと『他人にはあげない宣言』をする。
「もちろん司馬懿様がいらないなら、私が食べちゃいますけど」
 暢気に優は言葉を続ける。

「他には作らなかったのか?」
 司馬懿は尋ねる。
 半分以上用件は済んだのだが気になってのことだろう。

「今日の私は貰う側です♪
 こんな日は逃せませんからね!
 一年分のハロウィンのお菓子をゲットするつもりです☆彡
 ここに戦利品があります!」
 自慢気には竹籠の中身を見せる。

「では、これは貰っておこう」
 司馬懿はカボチャのマフィンを手にする。
「え? いらないんじゃなかったんですか?」
 は驚く。

「お前ではあるまいし、すぐには悪戯が思いつかない。
 そういう合言葉らしいからな。
 これで成立だろう」
 ためいき混じりに司馬懿は言った。
 明らかに疲れているか、呆れている。

「そういうことになりますね〜。
 あ、お茶でも淹れますか?
 休憩にするんでしたら私、淹れますよ」
 はすっと立ち上がる。

「遊んでもらっていたんじゃないのか?」
「司馬懿様が最優先です♪
 それに皆さんの休憩時間もそろそろおしまいです。
 それではお邪魔しました〜」
 はぺこりと頭を下げる。

 凍りついていた女人たちは笑顔で送り出し、護衛武将時代からの先輩である恵もまた「気をつけろような〜」と見送った。
 安全な曹魏の本拠地の城で何に気をつけるというのか。
 そんなことをわかるはずもないは不思議そうな顔をしながら、司馬懿の後ろをついていった。
 大切そうに戦利品のお菓子が詰まった竹籠を抱えながら。
 お菓子を渡したのに悪戯をされたかは、と司馬懿だけの秘密となった。

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