「今までどこに行っていた?」
上官の開口一番の台詞だった。
その中には当然、苛立ちや不快感がかなーり含まれていた。
並の兵士であれば涙をして、土下座をしていたことだろう。
謝罪の言葉を壊れた機械のように流し続けていたかもしれない。
三國一デリケートな軍師であることを除いてあっても、普通だったらそうだ。
司馬懿の唯一の護衛武将・は平然としていた。
慣れというのは恐ろしいものである。
人間は適応していく生き物だから、どんな環境にも慣れていけるのだ。
もっとも感情表現が豊かな少女であってから、ほんの少しばかり後悔したような表情を浮かべていた。
司馬懿の叱責は当然のものだろう。
護衛武将だというのに、はしばらくの間、司馬懿から離れていたのだ。
戦場で肉の盾がいなくなる。
武将であれば誰だって文句の一つもつけたくなる。
だって離れたくて離れたわけではない。
ナイスアングルから城壁から司馬懿が下りたために、そんなことができるはずがない護衛武将の優は置いていかれたのだ。
理不尽といえば理不尽な理由だった。
「申し訳ありません」
はぺこりと頭を下げた。
とりあえずゴマをすっておこう、とか。
ご機嫌取りをしておこう、とか。
そんなことを考えて口にしたわけではない。
口答えできる立場ではなかったからだ。
の小さな心はズキズキと痛みまくりだった。
護衛武将なのに。
唯一の。
それなのに職務を離れた。
は手にしていた弓をぎゅっと握りしめる。
頭を上げる前に見た光景が心に灼きついている。
職務から離れた結果が目の前にあった。
上等な青紫の絹の衣に破られていた箇所があったのだ。
……傷を受けた証拠だった。
本陣にいるのだから、すでに治療済みで、動くのには支障がないのだろう。
でも、そういった問題ではない。
自責の念で今にも押しつぶされそうだった。
黒い瞳は地面ばかりを見つめ、唇はかみしめる。
顔を上げられそうになかった。
泣きたい、気分だった。
「私は『どこに行っていたか』を質問したのだ。
質問に答えられないようなことをしていたのか?」
司馬懿はイライラと尋ねた。
パッとは顔を上げる。
「恵先輩と合流できたので『腰抜けごっこ』をしていました」
は正直に答えた。
「腰抜け?」
訝しがりながら色素の薄い目が優を見る。
「敵が『安全地帯から攻撃してこない腰抜け』と声高に言っていたんです。
ですから、私は腰抜けらしく、死角からちまちまと矢を放ったんです。
恵ちゃん先輩が上手く撹乱してくれたので、この通り無傷です。
矢も補充してきたのでご心配なく」
は離れていた間の話を報告する。
「誰がお前の心配をした」
冷酷に司馬懿は言った。
「まだ戦が終わっていないので護衛武将は必要だと思っていたんですが?
役に立っている、とは言えませんが、本国に帰還するまでは、と」
は言った。
自分の存在が必要不可欠まではいかなくても、それなりに役に立っていると思いたかった。
そのために戦場を駆け抜けて、本陣まで還ってきたのだ。
上官の下まで、辿りついたのだ。
息が切れるとか、そんなものじゃない全力疾走で。
「……なるほどな」
司馬懿は冷静に頷いた。
「もしかして減給ですかっ!?
そ、それともクビとか?
私には仕送りをしなきゃいけない家族がいるんですっ!
それだけは勘弁してくださいっ!!」
は必死になって言葉を重ねる。
こんなところでクビになるわけにはいかなかった。
命あっての物種、なんて裕福な人間だけのフレーズだ。
命を懸けてもいいぐらいの大切のものの方が多い。
鴻毛よりも軽い、という言葉だってある。
みたいな人生だったら、羽よりも軽いだろう。
「話が飛躍しすぎだ。
お前が不在の間、敵陣が一つ陥落したという報告があった。
しかも片手間としか思えないほど迅速に。
遊軍が落すとしても不可解な道筋だった。
お前たちの仕業だったんだな」
「ス、スミマセンっ!!
武功を立てようとか思ったわけじゃないんですっ!!
神様に誓ってもいいです!!」
縋りつく勢いでは言った。
「乱戦状態だったはずだが、よく矢を射られたな」
「それは日々、鍛錬していますから!
司馬懿様の追尾型ビームを避けながら傍にいてフォローするとか!!
それに比べたら楽チンでした!
死角から矢を射るなんて安全すぎます!!
一生『腰抜け』でもいいカンジでしたっ!!」
はハキハキと答えた。
「護衛武将としては減点な発言だな。
馬鹿にされて喜んでどうする?」
呆れたように司馬懿は言った。
「へ?
だって自軍の損害は好きない方が良いに決まっているじゃないですか。
そのための計略ですよね?
ましてや私は弓兵なんです。
接敵されたらアウトです。
命はひとつしかないんですから、ずぶとく生き残りますよっ!!」
は素直に言った。
とっくのとうに命の使い道なんて決めている。
たったひとつしかない命だから。
最大限に使い切るつもりだ。
それまで生き残らなればならない。
「殺しても死なないほど丈夫そうだな。
薄荷かドクダミか……」
司馬懿はためいきをついた。
「次の作戦まで休んでいろ」
「了解しました!」
は元気よく返事をした。
とりあえずクビから遠ざかったようだ。
まだ一緒にいられる。
最期まで。
私の命が尽きるまで。
その瞬間まで見ていたい人だから。
傍にいられる。
は『良かった』と笑った。