「お金で買えないものってないと思います」
寒村出の小柄な少女は言った。
金にがめつい。
真夏の太陽のように明るすぎる少女の大きすぎる欠点だった。
いくら司馬懿が注意しても矯正できない瑕疵だろう。
最低限の施しすら天から与えられなかった半生だ。
自分の力で生き抜いてきた生命にとっては、自然すぎる感覚だった。
金で買えないものぐらいあって欲しい。
司馬懿がそう願ったところで、目の前の少女の価値観を覆すほどの説得力はなかった。
積まれた黄金の前で心が動かされない人間の方が少ない。
金さえあれば何でも手に入るのだ。
富の前では何もかもが無力だった。
そのような人物を何人も司馬懿は見てきた。
数えるのが馬鹿々々しくなるほど。
そのため途中から数えるのを止めてしまったぐらいだ。
「そうだな」
ためいき混じりに司馬懿は同意した。
「あ、でも一つぐらいはありますよ!」
何が楽しいのかはにこやかに言った。
何にも染まらない。
これ以上ないぐらいの無欠の色。
黒い瞳が司馬懿を見つめる。
「世界で一番のお金持ちでも、権力者でも。
あるいは武力があっても。
誰もがついていきたくなるようなカリスマ性のある人でも。
絶対に手に入らないものを知っています!」
は朗らかに言った。
そんなものが存在しているとは思えなかった。
「天帝もか?」
司馬懿は皮肉気に神の名を挙げた。
数多の神の中の最高神。
祀ることができるのは天子のみ。
この世界を造ったとされる神であり、今も天から地上を見ている。
王朝の天意が喪われ、易姓革命が起きるのは、天帝が決めているという。
生命の長さ、天命すら決めている神だ。
「もちろんです♪」
自信たっぷりには断言した。
寒村出で学がなかった少女でも天帝ぐらいは知っているはずだろう。
護衛武将として曹魏が雇用して、司馬懿の配下に就いた。
無能を傍に置いておくのは面倒だったので、最低限の手ほどきをしたのだ。
何も持っていない貧相な少女は短時間で弓兵としての腕前だけではなく、文官になってもおかしくないほどの知識と教養を手に入れた。
使い捨てにする兵士であってもそれなりに厚遇する曹魏だった。
司馬懿の下で長く続く人材というのは貴重だったので、周囲も可愛がった……もとい、気を使った。
にこにこと笑う元気が取り柄の少女は、美貌の皇后がお取りまきに加えたいと思うほど女性としても磨きがかけられた。
多少は好みの差があるだろうが、平民出の武将たちや出自を気にしない漢だったら、正妻に迎えてもいいと思うほどの妙齢の乙女になった。
司馬懿の目から見ても欠点すら愛らしく映るのだから、他の漢だったらもっと簡単に陥落されただろう。
「答えは?
私でも手に入らないものだとしたら、気になるな」
司馬懿は尋ねた。
は大きな瞳を輝かせて
「司馬懿様は手に入っていますよ。
私の『好き』って気持ちです。
司馬懿様にしかあげられません。
神様だって無理です」
言い切った。
呆れかえるような馬鹿話を聞かされたが、悪くないものだった。
金の前だったら恋心とて揺らぐだろう。
病がちな母親を盾に取られたら。
あるいは自分自身の生命を脅かされたとしたら。
誰だって首肯するだろう。
だがくの言葉は真だと思えた。
嘘がつけないほど、裏表のない少女である。
たとえ、この場だけの他愛のない話だとしても。
この瞬間だけの言葉だとしても。
心に広がったあたたかい想いで充分だ。
少女は本当に真夏の太陽だ。
北の地において、おせっかいなほど照らして、公平に木々の緑を輝かせて、影を小さくする。
司馬懿は機嫌よく微かに笑った。