月と風
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もしも、自分に手が余るようだと感じたなら、そんな時こそ空を見上げなさい。
創造主たちは勤勉であった。
寝る間も惜しんで、生きとし生ける者たちのために世界を整えた。
創造主たちはまず「神」を創った。
世界を正しく、安定させるために。
「神」はそこに坐すだけで、世界は正しく動くのだった。
次に創造主たちは「神」が世界を安定させるために働く「小さき神」が必要だと思った。
数多の「小さき神」たちが創られた。
創造主たちは、「小さき神」たちの中で最も最初に完成した「小さき神」に特権を与えた。
「神」をよく助け、世界が美しく保ち、「小さき神」たちをまとめる者として。
その「小さき神」の名は、ブランと言う。
秀麗な若者は、空を見上げた。
その姿を見たものは一柱とていなかったが、いたらためいきを禁じられなかったことであろう。
ブランは美しい若者であった。
「小さき神」たちが性を明確に持つ中、ブランだけは曖昧な姿形をしていた。
男でもないし、女でもない。
幼くはないし、年老いてもいない。
ブランは若者としか表現しきれない、外見を持っていた。
肩を覆うほどの髪は、月明色。
伏せがちな瞳は、黄金に劣る白銀。
月の光を紡いで織り上げたような白い衣を、白い肢体がまとう。
その姿を見て、男性と思う者が少ないほど儚く、女性と思う者が少ないほど凛としていた。
ブランはやがて、空を見ることに飽いたのか、歩き出した。
「小さな神」たちが住まう場所は実に多彩で、色々な場所に瞬時に行くことができる。
立場上、ブランは一つの場所に留まることにしているが、望めば世界の果てまで一瞬きの間に行き来できる。
ブランは広くはない、ブランのために用意された神殿を歩き出した。
一つ一つ確認しなくても、何がどこにあるか、何が変化したのか感じ取ることはできたのだが、ブランはわざわざ目で見て、手に触れた。
気の遠くなるような暇つぶしであった。
動いていなければ、たちまちためいきをついてしまう。
思考は常にその方向に向かうように、方向付けられている。
ほんの一瞬の隙を突くように、ブランの感情は染め上げられてしまった。
ブランは立ち止まり、ためいきをこぼした。
「小さき神」の長は、公平であるべきはずの立場にいながら一つの執着を抱えていた。
これが創造主への思慕であったり、「神」への畏敬の念にも似た憧れであれば、これほどまでにためいきをつかせなかったであろう。
人の子たちが「恋」と呼ぶ感情、そのものを抱いていた。
それが、ブランを大いに困らせ、悩ませるのだ。
創造主たちが「小さき神」に何を望んでいたかはわからない。
彼らは違う世界に旅立っていってしまったのだから、問うことはできない。
しかし、問いただしたかった。
何ゆえ、このような「思い」を創られたのか。
薄っすらと真意がわからぬでもないが、あまりな仕打ちではないだろうか。
創造主の命令とあらば、喜ぶことはあれども、逆らうことなどできよう筈がないというのに。
何も「恋着」と言う感情を植えつけることはなかろうに。
どす黒く、身のうちに渦巻く感情に、翻弄されてしまいそうだ。
どこにいても、求めずにはいられない。
その気配を感じ取れば、大いなる喜びで、体中が歓喜する。
他の者と仲良さそうな姿を見るにいたっては、焦げるような熱に身を灼かれる。
誠に「小さき神」に相応しくはない思いだ。
いっそのこと長の座など他の者に譲り渡したい気分であった。
もしも、自分に手が余るようだと感じたなら、そんな時こそ空を見上げなさい。
そう言ったのは、創造主の一人。
手が余るどころか、身に余る感情です。
ブランは弱音を吐きたかった。
しかし、吐けるような相手はどこにもいない。
他の「小さき神」たちとは違い、ブランは孤独であった。
人のいない場所で、そっとためいきをつくのが精々であった。
身が引き裂かれるような思いを植えつけていった創造主を恨むことはできない。
彼が創りだしたのは、ブランが焦がれて止まない者。
いや、逆だ。
彼は己が創造した者を守りたかったからこそ、ブランに「恋着」を覚えさせたのだ。
「小さき神」の長であるブランだからこそ、彼の創造主に選ばれたのだ。
この世界の終末まで、この思いを抱えていなければならないのか。
いつか来る終わりが早く来ればいいと願ってしまう。
それほどまでに苦しく、歪んでしまう。
自分が自分として保てない。
「神」は何をしておいでなのだろうか。
これほどまでに狂ってしまった物がいるというのに、排除しようという動きは全く見られない。
創造主はこうなることを見越せなかったのだろうか。
「恋着」のあまり、もっとも大切な者が破滅の危険がある、とは。
自分がおかしくなっていくのが、よくわかる。
誰にも渡さないようにするためには、壊してしまえばいいのだ。
そうすれば、全てが手に入る。
瞑い感情に満たされていく。
それはあまりに甘美な果実。
熟れすぎて、地面に落ちる直前の。
「ブラン」
澄んだ声が、名を呼ぶ。
空気が振動を起こして、耳朶に響く。
振り返らずともわかる。
「小さき神」の末妹レラ・ピリカ。
「私の可愛いレラ・ピリカ」
ブランは言葉を紡ぐ。
レラ・ピリカを創造した彼が好んで呼んでいた言葉を再構築する。
嬉しそうに風の女神は笑った。
彼女は何より自分を創造した創造主を慕っていたから。
「お久しぶりね」
「ええ、あなたはいつも自由ですから。
もう少し一つの場所に留まってもいいと思いますよ」
「あら、そんなことを言っても無駄よ。
私は私のやりたいようにして良いと、父様はいつも仰っていたわ」
ニコニコとうら若き乙女は言った。
創造主を「父」と呼ぶのは、彼女ぐらいなものだ。
レラ・ピリカと彼女の創造主は、実の親子のように仲睦まじい関係であった。
その気安さが言葉の端々に感じ取られる。
「ええ。
そして、私には娘をくれぐれも頼む。
目を放した隙に、とんでもないことをしでかすやも知れない、と。
よく言ってらっしゃいました」
ブランは微笑んだ。
ずいぶんと昔の話だ。
繰り返し、繰り返し話される言葉は、まるで解けない魔法のようにブランを縛る。
「そんなことはしないわ」
「さあ、どうでしょう?
私には未来が見えませんから」
「ブランも父様も心配性ね。
世界はこんなにも広いというのに、閉じこもってばかりいたら溶けて消えていってしまうわ」
レラ・ピリカは朗らかに言う。
「ですから、出て行くあなたを留めたりはしないでしょう?
小言ぐらいは言わせてもらわないと」
「立場がない?」
女神は可愛らしく小首をかしげる。
「わかってらっしゃるなら、私の気持ちも汲んでください」
「だから、叱られると思っても一番にブランのところに来るのよ。
父様がいない今、私の帰る場所はブランのところぐらいしかないもの」
クスクスと何がおかしいのか、笑いながら女神は告げる。
「嬉しがらせを言っても、無駄ですよ」
「本当のことよ。
私はブランのことが大好きよ」
眩しいほどの笑顔で、女神は言った。
時が止まったような、錯覚を覚えた。
しかし、どこかに冷静な自分がいる。
歓喜の感情とともに、諦めにも似た倦んだ感情がある。
「この世界の……次に?」
努めて、感情を出さないようにブランは言った。
「ええ、もちろん」
レラ・ピリカは言った。
「それは光栄ですね」
ブランは表面上嬉しそうに、微笑んだ。
それから、空を見上げた。
もしも、自分に手が余るようだと感じたなら、そんな時こそ空を見上げなさい。
それはレラ・ピリカの創造主がブランに言った言葉。
彼に「恋着」を植え付けた男が言った言葉。