第九十九章
訃報はチョウリョウの都を駆けた。
いと尊き皇帝陛下は私室で休んでいるところであった。
それをもたらしたのは宰相であるエンジャクである。
ことがことだけに太師の露禽も一緒であった。
卓子に頬づえをつき、ホウスウは管弦でも聞き入るように軽く目を伏せ、その訃報を聞く。
艶々とした漆黒に螺鈿の木蓮が咲く卓子に、麗しい貌が映る。
「そうか、死んだか」
ホウスウはポツリと呟いた。
極上の琴すら恥じ入る声が、不思議な色合いで事実を確認した。
それから、呆けたように窓の外を見遣る。
庭院は夏の盛んな太陽に灼けつくように白い光を放っていた。
二人の老人はそれ以上の言葉を紡がず、室内には静けさが漂った。
渡る風すらなく、ジリジリとした暑さが耳に届くようであった。
若き皇帝はゆったりとした動作で臣下を見た。
「どう表現すれば良いのかわからぬな。
嘆くのが一番相応しいような気もするが」
ホウスウは言った。
突然の出来事に途惑うどころか、泰然とした様で、実に堂々とした様子である。
「わざわざ、泣きまねをせんでもよろしい」
エンジャクはためいきをつく。
「何故?
一応、友人であり、頼りになる臣下が亡くなったのだ。
それも不運にして、大層若いうちに」
嵐の色だと譬えられる瞳が宰相に言う。
「悲しくもないのに、泣いてどうする?
時間の無駄だろう」
合理的なことを宰相は言った。
目の前の悪戯っ子は、幼い頃からあまり進歩がない。
つまり、興味のないことはどんなに重要な事柄であってもあっさり無視するくせに、面白そうなことであれば労力を惜しまない。
「冷血動物、と言われるのは困る。
これでも人のつもりなのだから」
ホウスウは微かに微笑んだ。
「主上は現人神。
下々のように泣かなくてもよろしいでしょう。
そのように芝居っ気を出されても家臣一同ついてはいけませぬ」
露禽が穏やかな微笑みと共に言う。
「二人とも辛辣だな。
こう見えても私は悲しんでいるのだよ」
「友人が死んだのに泣くことができないほどに、心情が醒めていることを悲しんでどうする?
諦めろ。
そもそも裏をかきあう関係で、友情など育つものか」
エンジャクがホウスウの感傷をバッサリと切り捨てる。
「それでも、仲が良かったのだよ。
チョウリョウがギョクカンを併呑するまでは」
「主上、戦国の世の習いでございます。
敵である者は、たとえ肉親であっても容赦はしてはいけません。
御身は最も尊いのでございます」
露禽は言い含めるようにゆっくりと説く。
二人の老人が説教好きであることを思い出し、ホウスウは話題を強引に変える。
「さて、葬儀は盛大にしてやろう。
国葬だ。
将軍が死んだのだから、それなりにしなければならないだろう?」
「手はずはすでに整っています」
エンジャクは言った。
「有能な宰相がいてくれて助かる。
それに忠実な大司馬に、臆病者の太守。
そうだ。
沖達に褒賞を与えなければな。
何が良いだろう?」
ホウスウは露禽を見る。
「ご随意に。
いっそのこと新しい領土を与えましょうか?
ゆくゆくは州侯まで位階を上げてやればよろしい。
さすれば、都に呼び出す手間がかかりません。
主上は、海姫がお気に入りでございましたでしょう?」
「露禽兄」
エンジャクが聞き咎める。
「物事はもう少し柔らかく考えるべき。
切れ者揃いの臣下の筆頭が、そう堅い頭でどうする?
何も海姫を側女にしろと言うた訳ではあるまいし」
「同じことです」
「主上は我らよりも頭が堅い。
人にくれてやったものを今更取り上げますまい」
露禽はカラカラと笑う。
「沖達本人に、訊こう」
ホウスウは二人のやり取りに苦笑する。
やり込められた感が拭えないエンジャクは渋い顔で
「奥床しい人物ですから、さした望みも言いますまい」
と言った。
「そのときは、華月に訊くまでだ」
ホウスウは言った。
それが妥当だと二人の老人は無言で肯定した。
建平三年、七月。
行将軍 遠征の途中で、帰らぬ人となる。
一軍を率いて、北の夷を討伐中のことであった。
皇帝の命を受け、大司馬が援軍に向うが間に合わず。
享年 二十五歳であった。
皇帝 大いに嘆き悲しみ、朝議も滞りがちになる。