第八十六章
海月太守――海沖達とその婚約者である海姫がやってきた。
城主であるソウヨウ自らが出迎える。
そこまで礼を払う必要性はないのだが、これにはわけがある。
ホウチョウがお出迎えをしたい、と言ったためだ。
まさか公主だけを表に出すわけにもいかず、ソウヨウも付き合うことになった。
ホウチョウのおねだりにはめっぽう弱いソウヨウなので、この展開はある程度予想されていた。
護衛にあたるユウシは困ったように笑い、シュウエイは渋い顔をした。
カクエキは一抜けし、ここにはいない。彼は堅苦しい席が嫌いなのだ。
モウキンは別件の処理中で珍しく席を外していた。
なかなかそうそうたる顔ぶれである。
それに動じることなく海月太守は礼に則って、言葉を述べる。
軽く聞き流しながら、ソウヨウは観察した。
シュウエイの言ったことは間違いではなかった。
主観が入りすぎているきらいもなくはなかったが。
沖達はチョウリョウの基準よりも背の高い男だった。
ソウヨウよりも高いが、シュウエイに比べれば指二本分は低いだろう。
痩せているために立派な体躯とは言い難く、武門の出には見えなかった。
日の光を浴びたことがないのだろうかと思わせるほど色は白く、それが名門であることを誇示するのではなく陰気に映る。
神経質で、排他的な印象が強い。
情に流されない、打算的な人間。
確かに、そう見えた。
「どうぞ、ご自分の城だと思ってくつろいでください」
ソウヨウはおっとりと微笑む。
さて、何故彼はこの城を選んだのだろうか?
この城が抱える軍事力に興味があるのだろうか?
それとも、ソウヨウ自身に用があるのか?
「ご迷惑をおかけいたします」
沖達は形ばかりの微笑を浮かべ、頭を下げる。
ささやか過ぎて気がつかない癖。
彼は人と距離を取る。
その間合いは小剣を扱うそれと同じ。
「いいえ、お気になさらず。
長旅でお疲れでしょう。
お部屋に案内いたします」
ソウヨウのこの言葉が、歓迎の儀礼の締めくくりだ。
それを待っていたと言わんばかりに喜色を浮かべる人物がいる。
できるだけ穏便に済まして欲しいと婚約者を見遣れば、ソウヨウは予想外の展開に驚くことになる。
「ファン!
会いたかった」
海姫がホウチョウに抱きついた。
少女らしい澄んだ声である。
……ファン?
ソウヨウは記憶を洗いなおす。
どこかで聞いた音の並びである。
すぐさまそれが恋人の小字であることに気がつく。
正確にはファンファンである。
誰も呼びはしないので、ついつい忘れてしまいそうになる事柄だった。
「華月、お久しぶりね。
とっても、びっくりしたわ」
こちらも嬉しげに言う。
「ボクもびっくりしたよ。
ファンが出戻ってきたなんて」
海姫はニコニコと言う。
あまりの開けっぴろげさにチョウリョウ側の人間は驚く。
「でもどり?」
ホウチョウは小首をかしげる。
「よくあんな不細工な男のところに嫁ぐ気になったなぁ、って感心したんだけど。
ギョクカンの王って醜男じゃない?」
歯に衣着せぬ物言いである。
「と言うよりも、人間じゃないわ。
私、あんなに醜い生き物を見たのは初めてよ」
ホウチョウは真剣に言う。
こちらも遠慮のない物言いである。
……醜い?
ソウヨウは玉磊塊の顔を思い出す。
ああ、確かに醜い顔立ちだった。
だが、人間ではないと言うのはなかなかな発言である。
「で、今度はその男にしたんだ」
海姫はホウチョウから離れて、ソウヨウの方を見る。
真っ黒な瞳にマジマジと見つめられ、ソウヨウは途惑う。
本当に黒い瞳だ。
虹彩と黒目の区別がほとんどつかない。
「優しくて、頭が良くて、剣の腕も立つ……。
目がとっても綺麗なシャオ?」
海姫は面白そうに笑う。
「ええ、そうよ」
ホウチョウは自慢げに言う。
「ファンの男の趣味はいまいちだな。
こんな色の目が良いのか」
海姫がけなす。
「とっても綺麗じゃない!
緑色がかっていて、とても神秘的よ」
「だったら、鳳の色の方が綺麗だ。
茶と言うよりは灰色で、感情が強く出ると青みが増して見える。
雷を宿した嵐の色だ」
「華月にはこの柔らかな色の良さがわからないのね」
ホウチョウは小ばかにしたように海姫を見る。
「一生わかりたくないね」
海姫はにやっと笑う。
「背が高くて、とてもかっこいい沖達?
ごく普通じゃない。
華月の趣味だって、そう良くないわね」
「沖達の良さがわからないとは、ファンはまだまだ子どもだなぁ。
我が領地内の女はこぞって沖達の」
「好い加減になさい」
ピシャッと沖達は言った。
「せめて今日一日は大人しくするようにと、ここに来る前に申し上げたはずですが?
華月様も納得していらっしゃったはずですよね?
それが何と言う体たらくですか?
やはり領地に帰っていただいた方がよろしいようですね」
「え!
やだ。
ボク、大人しくするから……。
お願いだよ、沖達。
帰りたくない。
せっかく、ファンに会いにきたのに……」
海姫は沖達にすがりつくように、その袖を掴んで顔を見上げる。
先ほどの元気の良さは鳴りを潜めて、いじましい姿である。
「ごめんなさい。
もう、しないから……。
お願いだよ」
海姫の言葉に沖達はためいきをつく。
沖達の瞳の色は優しい。
怒ってはみるものの、最後には許してしまうのだろう。
甘やかしているのがその一瞬で感じ取れた。
「本当にご迷惑をおかけします。
なにぶん、幼い方ですから。
平にご容赦ください」
沖達はソウヨウに向って言う。
「いいえ。
とてもご自由な方ですね。
シュウエイ、部屋を案内してあげてください。
後ほど、お茶でも」
ソウヨウはのんびりと微笑む。
「はい」
沖達はうなずいた。
そして、部屋にソウヨウとホウチョウだけが取り残される。
「想像と違いました」
ソウヨウはポツリと呟く。
「?」
ホウチョウはきょとんとして、ソウヨウを見上げる。
「仲が良いなぁ、と思って」
「あ、そうね。
華月は沖達が大好きなのよ。
できるだけ嫌われたくないんですって」
「できるだけ?」
「ええ、できるだけ」
二人は顔を見合わせて、笑う。
「でもね。
私とシャオの仲には、負けるわ!」
ホウチョウは笑顔で断言した。
ソウヨウは面映かった。
海月太守が滞在先を白鷹城にしたのは婚約者のため。
実に、自分の婚約者を甘やかす人だ。
……と言うのはどこまでが実で、虚なのか。
ソウヨウは目の前の人物を眺める。
紛れもなく海月太守である。
二人の間にある卓には、竹簡が広げられている。
ホウスウからの親書である。
これが、本来の役目。
そう思うと、自然と笑みがこぼれる。
「承りました」
ソウヨウはうなずいた。
「そう言っていただけると、信じていました」
沖達は言った。
どこまでも読めない色の瞳。
苦手だ、とソウヨウは思った。
こういう人物を引っ掛けるのは大変だ。
早いところ弱みを握ってしまわなければならない。
敵対すると、厄介極まりない。
そう、考えた。