運命に恋に出会うまで

 盛夏も間近なある日の昼下がり。
 白鷹城も穏やかな時間が流れていた。
 ちょっとしたいざこざが辺境にあったものの、無事に制圧できたこともあって、フェン・ユウシは作成し終わった報告を持って、上官である大司馬の元へ向かっていた。
 遷都する前は皇帝陛下が使っていられた最も豪華で大きな書斎。
 大司馬府が開かれて以来、そこが大司馬のシ・ソウヨウの仕事部屋になっていた。
 朝議が終わって、まだ大司馬としての職務が残っている時間帯だ。
 ユウシは自分に与えられている下官を使わずに、直接、足を運んだ。

「ユウシ、お暇ですか?」
 竹簡の山に埋もれかかっていた大司馬であるソウヨウが尋ねた。
 大司馬としての装束を改めたものの、年齢相応の貴族としての衣はまとっていた。
 華やかな群青色の特級品の絹の衣には艶やかで、大きな鷹が飛翔する姿が金糸で縫い取られていた。
「大司馬に比べれば。
 こうして決裁書類を自分の足で運んできたぐらいです」
 ユウシは笑顔で応じる。
「そうですよね。
 少し世間話でもしていきませんか?
 ユウシに関わることなのですが」
 広げていた竹簡を丁寧に巻きながらソウヨウが尋ねる。
 あいかわらず仕事の量が多いと思う。
 南城時代はユウシは護衛としての任務に就くことが多かったから、南城の将軍だった頃からのソウヨウの仕事ぶりを見ているが、それに比べても量がある。
 ソウヨウが南城の城主になっていた時ですら、華麗に戦術を練りながらも、決済している書類の多さに驚いたものだった。
 自分だったら逃げ出したくなるほどの書類の量だった。
 それよりも大司馬の書類は多い。
「私はかまいませんが……その代わりに仕事が滞って大司馬が伯俊殿に怒られるのでは?」
 珍しく父であり副官のモウキンも同じ将軍位のシャン・シュウエイも席を外していた。
 どちらかが護衛を兼ねた見張りをしていることが多いのに。
「これも仕事の一環みたいなものですから、大丈夫です。
 単刀直入に訊きます。
 ユウシは結婚しないのですか?」
 斬れ味の良い剣のようにスッパリとソウヨウが尋ねる。
「まだ若輩者なので大司馬の下で勉強をしたいと思っています」
 ユウシは素直に答えた。
 地位に見合うだけの実力を身につけられたとは思っていない。
 成人の15歳になって父の下へ行き、そのまま目の前の青年に引き立てられたが、あくまで歳の近い配下が必要だったから、というのは父から言い含められていたし、周囲からも『お友だち』として贔屓されていると陰で言われている。
 その通りだと思っているので、足りない分だけの努力をして、早くみなから認められるような一角の人物になりたい、とユウシは願っていた。
「想い人は?
 心を惹かれるような女性はいらっしゃらないのですか?」
 ソウヨウが重ねて尋ねる。
「実は……チョウリョウの民なのに『運命』を感じたことがないのです。
 父にものんびりしすぎだと言われましたが。
 白鷹城の女性たちはみな麗しいと思いますが、この人でなければ駄目だとまではいかなくて。
 恋と言うのは兵法以上に難しいですね」
 父からも訊かれ、実家に顔を見せれば母からも困惑される事をユウシは話した。
 両親がすでに出会い、お互いに『運命』だと感じた歳を過ぎていれば当然なのかもしれない。
「それは厳しい問題ですね」
 ソウヨウは書卓に肘をつき言った。
「大司馬や伯俊殿が羨ましいです」
 自分自身の結婚の話題が出たのは、ソウヨウが秋には結婚を控えていることもあるだろうし、シュウエイが結婚をしたこともあるだろう。
 どちらも『鴛鴦婚』。
 チョウリョウの民が生涯一度に味わうという『運命』の『恋』だ。
 しかも芝居の題材にもならないような劇的な『運命』を乗り越えている。
 ユウシには輝かしくて、素直に羨ましいと思う。
「実はお見合いさせろと周囲が騒がしいのです。
 ユウシは将軍ですし、モウキン殿の息子ですからね。
 嫁に押し付けたい娘さんを抱えている家が多くて。
 みんな名だたるお貴族さまですよ」
 ソウヨウはためいき混じりに言った。
「え?
 私は平民ですよ。
 確かに実家は白鷹城に近い村ではありますが……。
 それに将軍位にいる独身男性というのでしたら風呼殿の方が年長です。
 先の色墓の戦いでの功績も大きいです。
 活躍をなされていますから、その分、武勇が広がっていらっしゃるのでは?」
 チョウリョウは鳥陵と建国され、天下統一が果たされたが、もともとは尚武のクニ。
 勇ましい男性が好まれる傾向が強い。
 先陣を切って戦う同じ将軍位のヤン・カクエキの方が魅力的に見えるはずだ。
「それがですね。
 カクエキはメイワ殿よりイイ女が良いと言うんですよ。
 しかも、自分は恋愛観が緩いから、お貴族のお姫さんたちの夫には向いていないと正々堂々と言いましたからね」
 困りました、と付け足すようにソウヨウは言った。
 半ば投げやりなのは少々、面倒だったからだろう。
「メイワ殿を超える女性ですか……。
 かなり厳しい条件を付けましたね。
 メイワ殿はチョウリョウ美人らしい、とは言いませんが、その他で勝てる要素のある女性は白鷹城でも、鳳凰城でも少数でしょうねー。
 しかも恋愛観がチョウリョウの民から外れるとなると。
 北方出身者にはありがち、と南城時代にも伺いましたが……」
 十六夜公主に最も古くから仕える奥侍女。
 南城で出会う前はさぞかし麗しいチョウリョウ美人だろう、と思っていたが、小柄で細身の色素の薄い女性だった。
 肉感的で闊達な印象こそなかったが、その笑顔は輝かしいばかりで、教養も所作も完璧だった。
 都で公主に仕える女性であればみなこのようなものだろうか、と田舎者のユウシは当時は思っていたが、将軍位を与えられて、白鷹城を拠点にするようになってから、段違いだと気がつかされた。
 皇后になってもおかしくないほどの教養と機転があり、なおかつ名家のお姫さまだと知り、シュウエイとは父親同士が古くからの付き合いがある幼少からの婚約相手であった、と聞いた時は、色々な意味で驚かされた。
「ええ、カクエキの戸籍で出身地となっている場所は一夫多妻制ですね。
 軍属になるまでその地域で長らく過ごしていたので、人生観を変えるような劇的な出会いでもないと」
 ソウヨウは茶とも緑ともつかない曖昧な色の瞳を書卓に落とした。
 生涯一度の『恋』と何度も聞かされて育った良家の娘さんたちには許し難いことであろう。
 皇帝の勅令もあり、本人の希望があれば、死別後の再婚が許された時は反発も大きかった。
 死別後の再婚ですら、である。
 一夫多妻や妻妾同居の暮らしが許された地域の出身者からすれば、強固で頑固な婚姻を結ぶチョウリョウの民の方が異質に見えるだろう。
 南城を中心とした色墓では離婚を手軽に行われ、女性の方から家を出ていくこともあると聞かされた。
 今でもその文化は否定されておらず、鶯鏡州州侯……つまり大司馬であるソウヨウの裁量に任されている。
「生粋のチョウリョウの民の娘さんで、良いところのお嬢さまたちには耐えがたいですね。
 配下のお見合いも大司馬ぐらいになると職務ですか?」
 ユウシは同じ将軍位にいるとはいえ、先輩にあたる年長のカクエキが結婚する気がないように見えた。
「周囲から押し付けられた雑務ですね。
 鳳さまがこれと言った女性に興味を示さないものですから」
 ソウヨウはこちらも問題なんですよね、と困ったように笑った。
 完全に諦めきった発言だったが、皇帝陛下との付き合いの長さからだろう。
 白鷹城が鷲居城と呼ばれた時代から。
 色墓がチョウリョウに併呑されてからの付き合いの長さだ。
 皇帝陛下の字を知る者は限られてくるし、それを呼ぶことが許されるのはもっと少数だ。
 ユウシは恐れ多くて呼ぶことすらできなかった。
「皇后が冊立されていませんよね。
 先の王朝のように後宮三千人という華やかさもありませんし」
 皇太后陛下がエイハンの民であり、それが外見に色濃く出たとはいえ中身はチョウリョウの民らしい。
 エイハンはカクエキの出身地である北方と同じぐらい北にあるかつての紛争地域だった。
 玉棺と鳥陵で分割されたクニだった。
 天下統一されたから、今では元のように一つの地域としてまとまっているだろうか。
「ええ。ですから結婚適齢期の娘さんを持つ家が花の盛りを過ぎる前に、将来のある男と縁をつけたいようです。
 親心ですかね?
 私には少々難解な考え方なのですが」
 親を知らずに育ったソウヨウは言った。
 父であるモウキンから聞かされた話では、ソウヨウは9歳の時にはすでに色墓の当主として据えられ、そのまま権力を維持し続けて、今に至るという。
 父親を亡くしたばかりの子どもがどうやって父親よりも年上の親族と渡り合ってきたのか。
 それを御せたいのか、深い謎すぎる。
「先代の武王様もお見合いで奥方を決められましたからね。
 『運命』だったそうですが。
 宰相殿の養女の大雀姫さまは素晴らしい方だそうで。
 直接、お会いしたことはありませんが、噂はかねがね。
 麗しく、情細やかで、控えめな人柄だと」
 伝聞でしか知らないがそこまで評判であれば、お見合い話も出ても仕方がない。
 実際、忙しい職務についた地位のある男性が独り身であれば、お見合い話は出る。
 顔だけでも合わせれば『運命』のきっかけになるには違いない、と。
 白鷹城が皇太后と十六夜公主が住まう離宮であり、後宮だからこそ、身分のある見目麗しい独身女性と話す機会が最低限とはいえあるだけで、軍属にもなれば極端に減る。
 婦女暴行が当たり前だった蛮野な玉棺軍とは違うのだ。
 規律が厳しいあまり、白だと言われ、『白厳の君』と二つ名を与えられたソウヨウの旗下であれば、さらに厳しくなる。
 大陸一厳しい軍規がある、とシュウエイですら新人たちに言っているのだ。
「私も会った内に入るか分からない程度ですが、素晴らしい女性なのは確かですね。
 姫も義理の姉として誇らしいと思っていらっしゃるようですし。
 というわけで、ユウシにもお見合いの打診が大量に舞い込んでいます」
 ソウヨウはおっとりと笑った。
 穏やかな口調だから、ユウシにとっては降りかかった火の粉だが、世間話にしか聞こえなかった。
「あまり実感が湧かないのですが……」
 ユウシは困惑する。
 『運命』の出会いとはどのような形で始まるものだろうか。
 一目で恋に堕ちる場合もあれば、それとなく深まる場合もあるという。
 ただこの人でなければ駄目だ、という確信だけはしっかりと持つ。
 チョウリョウの民たちは信じている。
 ユウシ自身も都に近い村で15まで育ち、両親たちの話を聞いているものだから憧れはする。
「玉棺との戦が終わったので、将軍からはほぼ名誉職ですからね。
 夷狄がいないとは言いませんが、辺境で命を落とすとは少々、考えづらいです。
 というわけでユウシは名家のお婿さんにしたい、もしくは娘を嫁入りさせたい有望株です。
 自分の力で『運命』を探さないとお見合いを仕組まれて、押し付けられますよ」
 ソウヨウは念押しするように言った。
 激することが少ない、よく通る声は戦場での命令を思い出させる。
「……ご忠告、心しておきます」
 ユウシはそう答えるのが精いっぱいだった。
 形もなければ、目にも映らない。
 けれどもあるという『運命』の『恋』。
 どうやって探せばいいのだろうか。
 若輩者のユウシには、まだ見つかりそうになかった。
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