結婚問題

「もう嫌なことばかりが続きますね。
 大司馬という仕事は、体の良い雑用係です」
 弱冠にして夏官の長に納まった青年は、不平を言う。
 風が停滞しているかのような書斎の中で、竹簡の山に囲まれていれば、不満の一つや二つ、零れ落ちてしまうものだ。
 側で暢気に碁石で遊んでいた若き将軍が笑う。
「一つぐらい、あるんじゃね?」
 生粋の鳥陵の民とは異質な大柄の男の名は、カクエキ。
 大司馬の寵臣と言われ、誰もが羨む出世をした男である。
 エイハンよりも北の出身で、系譜も持たないような平民だ。
 平民の兵士たちが多くがそうであるように、男のヤンという姓は地名で、血縁というものに薄い人物であった。
 字のほうも通称という意味合いが強く、特別につけられたものでもない。
「姫さんと結婚できるんだし。
 良かったんじゃないんですか?」
 カクエキは言う。
 緑の瞳の大司馬はためいきをついた。
「そうでなければ、鳳様の顔に辞表を叩きつけていますよ」
 さぞかし清々するだろう、とソウヨウは思った。
 武官であっても、階級が上がれば上がるほど、雑務が増えていく。
 将軍ぐらいの地位であれば、副官や軍属の文官に押しつけることも可能であったが、大司馬となると押しつけられる範囲が減っていく。
 軍事で意見を求められる場での出席は確実であったし、予算を組むのでも意見を求められる。
 意外にも大司馬の管轄は広く、武力だけではなく、繊細な外交問題や平時であれば土木も司る。
 当然、六官の一人だから、六官が連名で奏上するときは絶対に呼ばれる。
 代表者として、責任者として、呼ばれるのだ。
 最悪なのは『朝議』だった。
 ソウヨウが率先して意見を述べる機会などない。
 いや、これより先は全くないほうが良いに決まっている。
 軍部が政治に口を出すときなど、戦争を始める時だけだ。
 飾りにしかすぎない地位だ。
 だからこそ、不満がたまっていく。
 さりとて文官になりたかったわけでもない。
「絶対、できないほうに賭けますよ」
 戯れていた石を碁盤に置き、カクエキは言った。
「見くびっていませんか?」
 ソウヨウは言った。
「できませんね。
 あの皇帝陛下に勝とうっていうのが間違ってます。
 返り討ちにあいますよ」
 赤い髪の男は楽しげに笑う。
「ずいぶんな自信ですね」
「姫さんのお兄上だ」
「……じゃなければ、一生、縁なんてできなかったでしょうね」
 ソウヨウは認めた。
 大切に想う乙女の傍にいたいと願うなら、我慢しなければならない問題だった。
 ソウヨウには信じられなかったが、兄妹の情というものは篤い。
 兄は妹を気にかけ、妹は兄を心配しているのだ。
 二人の対面は舌戦のことが多いので、わかりづらいが、ソウヨウの目にもわかる程度には深いのだ。
 切り離すことはできないだろう。
 南城での約束は、夢のようなものだった。
 美しくも儚い。
 見られただけでも幸福になるような綺麗な夢だった。
「俺はあんな親戚は勘弁だけどなぁ」
 カクエキはサラッと言う。
 誰かが「風呼は風を呼ぶのではなく、風になるのだ」と言っていた。
 確か、留まらないという意味だっただろうか。
 そういう口ぶりだった。
「カクエキも結婚すれば、親戚がゾロゾロとついてきますよ。
 ここらで、どうですか?」
 ソウヨウは何となく持ちかけた。
 そろそろ妻帯してもおかしくはない年齢ではあるし、地位を持つ者が独り身を貫くのは難しい社会だ。
 鳥陵では『独身であることが罪』という考え方をする者が多い。
「緑の目以外で、心当たりなんてあるんですか?」
「秋霖なんてどうですか?」
 ソウヨウはメイワ付きの侍女の名前を挙げた。
 麦色の髪と青い瞳をした少女だ。
 カクエキと違う意味で、北方出身らしい娘。
 南城で働いていたのをメイワが特に気をかけ、都まで連れてきたのだ。
 口数も多いが、よく気が利く。
 白鷹城での評判もなかなかだった。
「……せめて成人してる女を紹介する、とか。
 そういう頭はないんですか?」
 カクエキの顔が引きつる。
「歳の差なんて気になりませんよ。
 最初だけです」
「シデンに寝首をかかれそうだから、お断りですよ」
「ケンソウではないんですか?」
 ソウヨウは小首をかしげる。
 兄のケンソウが怒るとは思えなかったが、無関係のシデンが絡んでくるよりも、わかりやすい構図であった。
「どうなるかわかりませんが、そういうことみたいですよ」
「?」
「結婚の許しをもらいにきたら、許すんですか?
 色墓の総領は」
 カクエキはニヤリと笑う。
 そこまで言われて、ソウヨウは気がつく。
「ああ、なるほど。そういうことですか」
 男女の心というのは複雑だ。
 戦場で響く銅鑼のように、とはいかない。
 それとなく始まり、それとなく深まるのだ。
 他人に興味の薄いソウヨウが見抜くのは、難しい。
「どうでしょう。
 難しい質問ですね。
 ああ見えても紆家の当主ですから……紫なんですよね。
 もちろん、緑の目をしていないからといって、妻に迎えてはいけないという法律はありません。
 前例だっていくつかあります。
 ですが、秋霖は色墓に行くでしょうか?」
 ソウヨウは絲の姓を持つ者として、色墓に戻ることはないだろう。
 今は太伯(一番上の伯父)が代理として立っているが、世代交代の波はやってくる。
 青を名乗る二伯(二番目の伯父)も、太伯とそう歳は変わらない。
 緑が不在。黄と青が欠けたら、次は紫だ。
 シデンには色墓に帰ってもらわなければ困る。
「無理だろうな。
 それ以前に、シデンのこと嫌ってるし」
 カクエキは簡単に言う。
「じゃあカクエキが妻にしても良いじゃないですか」
「今、すげー話が飛んだ。
 どうやったら、そんな理論になるんですか?」
「独身の男性が独身の女性に結婚を申し込むのは、かまわないと思いますよ。
 他に想う方や先約があるなら、まだしも」
 ソウヨウはキッパリと言った。
「ほら、俺、失恋したばっかりだから」
 大げさな動作でカクエキは言う。
 竹を割ったようなさっぱりとした性質の男の、その動作は作り物じみていて、笑いを引き出す。
 カラッとした話しぶりに、ソウヨウでなければ失笑をしていただろう。
「傷心を癒すのは次の恋だ。と聞きました」
 ソウヨウは大真面目に言った。
「どこからですか?」
「姫からですよ」
「物語じゃないんですか? それ。
 現実ってのは、そこまで甘くできていませんよ」
「そうですか?」
「大司馬は婚約解消したって、姫さんのこと好きなまんまでしょう?
 ……伯俊だって、そうだったわけだし」
 黒にも近い青い瞳が床を見つめる。
 口元には薄く、笑みらしきものがあった。
「シュウエイは諦めが悪いですからね。
 恋愛は諦めが悪いほうが有利なんでしょうか?」
「それを俺に訊くわけですか」
 失恋をしたばかりの若い男は、肩をすくめる。
「いけませんか?」
 ソウヨウは気にせずに尋ねた。
「伯俊よりも長生きすれば、機会はありそうだろう?
 それに頼りなる友人ってのも、悪くない」
 カクエキは自分の首筋をなでる。
「根深いですね……。
 恋愛というのは恐ろしいものです」
 心から、ソウヨウは思った。
 自分と姫の間にあるのは、もっと他愛のないものなのだ、と気づかされる。
 相手の幸せを祈るだけでは、足りないのだ。
 熱烈に求め続ける。
 その強さはどこから湧いてくるのだろうか。
「南城で伯俊の腕を折った大司馬のほうが恐ろしかったけどな」
「まだその話を持ち出すんですか。
 急いでいたんだから仕方がなかったんですよ。
 それに綺麗に完治したじゃないですか。
 ……日数もちょうど良かったですし」
 ソウヨウはケロリと言った。
 焦りは判断を鈍らせる、というがソウヨウは的確に判断をした。
 あの場で、シュウエイの腕を折ったのは間違いではなかった。
 噂は瞬く間に広がって、一般兵たちの気が集中し、命令を徹底させるのに役立った。
 誰だって、痛い思いをするのは避けたい。
 命令違反するものには相当の処罰を与えるのは、当然だ。
 公明正大な指揮官には、兵が自発的についてくるものだ。
 奇抜な作戦を展開するにあたって、兵からの不審の芽を摘み取っておきたかった。
 それよりも……。
 どこか予測どおりのシュウエイの動きのほうが、恐ろしかった。
 と、時間が経つにつれて思うようになった。
「恋というものには、魔でも潜んでいるのでしょうか」
 思考を目隠しし、理性を狂わせる。
 そして、その状態が心地よいと感じる。
 あのシュウエイですら、冷静な判断ができなかった。
 恋の魔力に絡め取られたら、どんな人物であっても逃れることができないのだろうか?
 先を見通す目を持っていても、自分というものを理解していても……。
「そういえば、鳳様はどんな風に恋に落ちるんでしょうか」
 ソウヨウは言った。
「皇帝が一人の女に入れ込んで良かった王朝なんて、ありましたか?」
 カクエキがつぎはぎだらけの知識で尋ねてきた。
 遠く異なる朝を訪ねて歩けば、ないわけではなかったが……、一人の女人のせいで調子を崩した王朝のほうが多かった。
 公平正大ではいられなくなるのだろう。
 傾ける想いが深ければ深いほど、国は沈んでいく。
 水を満々にたたえた皿をひっくり返すように、零れ落ちていくのだ。
「容貌はさておき、賢く、政に明るい女人が見つかると良いですね」
 ソウヨウはためいきをついた。
 後継をもうけて欲しいと思うが、政を傾けられても困る。
 何事も、ほどほどが一番だ。
 そんな人物が見つかるのだろうか。
 無理なような気がしたが、ソウヨウは自分の幸せのために、一応、祈っておくことにした。
 これ以上、嫌なことは起きて欲しくはない。
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