誰がために
「将軍は何のために戦っているのですか?」
旗下の青年は期待するような瞳で尋ねた。
チョウリョウでは平均的な鳶色の瞳を持つ青年は、実にチョウリョウの民らしかった。
父親のモウキンによく似ていて、少年の持たない良心のようだった。
「何だと思いますか?」
茶にも緑にもなれない曖昧な瞳を細めて少年は問いを返した。
将軍位にあるのが不釣り合いなほどに若い――幼すぎる少年だった。
けれども、その位階を疑う者は少数になった。
一点の穢れすら許さない法律の番人よりも厳しい南城の城主。
シ・ソウヨウは『白厳の君』と呼ばれるようになった。
「シュウエイならきっとお金のため、と言い出しそうですね」
ソウヨウは旗下の一人の名前を挙げた。
チョウリョウの土台を支える翔の姓を持ち、その直系の嫡男でありながら、わざわざ一兵卒として戦火に身を投じた青年だ。
シュウエイの字が伯俊であることを知る者は多い。
南城に出入りしている商人や南城に来たばかりの系譜を持たない平民の兵士ですら、シュウエイを字で呼ぶし、本人もまたそれを強要する。
だから姓を知る者は一握りだった。
本人が潔癖なまでに、実家の名前が出すのを嫌がっているから、自発的に姓を名乗らない。
翔家は財力でもってチョウリョウを支えている。
巨万の富というのならば習家がいるが、翔家は商わないものがない。
どんなものでも商うことから、翔家の当主・キンアは『死の商人』と呼ばれているのだ。
シュウエイが父親の蔑称にも近い二つ名を嫌っているわけではない。
ソウヨウの旗下として似たり寄ったりの活動を疑問を持たずに遂行しているのだから。
シュウエイに訊いてわからないものは少ない。
敵が陣営を敷いた地形から、所持している兵馬の量、備蓄から弾きだされる行動限界時間、夕餉についてくる甘味まで。
「それは伯俊殿に失礼では?」
ユウシは言った。
「シュウエイならそう答えますよ。
他に立派で美しい志があったとしても、お金以外の言葉で語らないと思います」
ソウヨウは核心を持って言った。
翔郎(翔家のお坊ちゃん)は、そういう人間だった。
高潔な精神と狡猾な戦略が頭の中に同居している。
「カクエキも似たり寄ったりでしょうね。
酒と女に使いたから、金を稼ぐだけだ、と。
だから二人は気が合うのでしょうか?」
ソウヨウは旗下の一人の名前を挙げる。
北方出身者であり、軍属にならなければ生命がなかった犯罪者である青年だ。
元は河賊だったらしいが、とあることがきっかけで陸に上がって、都近くで大暴れして、獄中に繋がれた。
それを義理人情の篤いモウキンが見出して、チョウリョウ軍に所属させたのだ。
元々カクエキは生命に執着するような性格をしていない。
良くも悪くも刹那主義だった。
カクエキには『今』しかなかった。
過去は捨てたし、未来を期待していない。
「ユウシは何のために戦っているのですか?」
ソウヨウは改めて、旗下に尋ねた。
「チョウリョウのためです」
お手本通りの言葉がお手本通りの響きで返ってきた。
理想的な兵士だった。
上の言葉を疑うことをせず、前向きで、諦めを知らない。
「ユウシらしいですね」
ソウヨウは上機嫌に微笑んだ。
「私の戦う理由は一つですよ」
ソウヨウの生まれたシキボはチョウリョウによって滅ぼされた。
版図拡大のために飲みこまれた一地域だった。
最前線の砦としては瀟洒な佇まいの南城に、シキボの城はかつてあった。
今や見る影もない。
そして、ソウヨウはチョウリョウの皇帝から命を受けて、南城の城主を勤めている。
茶色の瞳を持てないソウヨウがチョウリョウに忠誠を誓っているわけではない。
命令違反をして、首が刎ねられることを危惧して、戦場に身を置いているわけではない。
殺されるぐらいならもっと前に殺されていただろう。
いくらでもチョウリョウ側には機会はあった。
生かしておく利点が多少あり、皇帝として即位した若い男性にとって駒としてそれなりの価値があるだけだ。
「『約束』を守るためです」
ソウヨウの右手は剣をふれる。
宝剣のような飾り物のように優美な剣。
束に様々な緑の玉が埋め込まれて、黒漆塗りの鞘を持つ。
ソウヨウのために誂えられたソウヨウだけしか扱えない剣には、極上の絹でできた朱色の女性ものの飾り紐が束も鞘も無視するように厳重に巻かれていた。
容易に抜刀することがかなわない、それには色々な噂話が付きまとっていることをソウヨウ自身も知っていたが、自ら話したことはない。
「将軍の約束が果たせるといいですね」
ユウシは軍場には不釣り合いな笑顔で言った。
ソウヨウは目を瞬かせる。
「約束は果たすためにするものです。
叶ったら、また新しい約束をするものです。
将軍は守るとおっしゃったので、きっと約束が果たす日が来ますよ」
善良な青年は言った。
ありえない未来を肯定されたような気がして、少年は機嫌よく笑った。
「ユウシは良いことを言いますね。
私はどんな『約束』であっても忘れませんよ」
ソウヨウは自分自身に言い聞かせるように言った。
鷲居城で過ごした時間に交わした約束は十指では足りない。
ささやかな約束が多かった。
何でも知っているつもりであっても、成人前の子ども同士だった、ということだ。
未来なんて考えたりもしなかった。
すぐ先に、どんな運命があって、どんな道があるのか、考えたことがなかった。
今日のくりかえしがある、と信じていられた空間だった。
「さあ、では皆さんの願いを乗せて、本日も戦場に行きましょう。
我が軍に勝利を」
声変りをする前の澄んだ声が言った。