羨望 壱
「風呼殿が羨ましいです」
鍛錬が終わった後、青年はポツリともらした。
フェン・ユウシ。
絲将軍のお気に入りの配下で、誰もが羨む出世の道を歩む青年である。
言われたほうは、肩をすくめる。
いくつも玉飾りを通した赤い髪は一目で北方民族と知れるものだ。
遠目では黒く見える瞳も、間近で見れば青。
恵まれた上背からしてチョウリョウの民とは異なる。
「そんな良いもんじゃねぇな」
ヤン・カクエキは答えた。
「人殺しの腕前を褒められてもなぁ。
これしか役に立てない」
配給された槍を元の場所に戻す。
得意の武器はわずかに反りのある曲刀だが、絲将軍のご意向というヤツで、一通りの技能を習得させられる。
その辺は同僚のシャン・シュウエイは実に器用にこなしてくれるわけだが、平民出身のカクエキやユウシには難しかった。
通常の鍛錬だけでは足りずに、こうして個人的な時間を割かなければならない。
「見習うなら伯俊だろ」
カクエキは言った。
チョウリョウの重鎮に名を挙げられるシャン家の血筋を持ちながらも、一平卒から叩き上げた軍人である。
いや、軍人だった。が正しい。
チョウリョウの皇帝の寵臣であるシ・ソウヨウの目に留まってしまったのが運の尽き。
贔屓もはなはだしい扱いで、異例の出世をしてしまっている。
「そういうところがすごいと思います。
伯俊殿に同じことを言っても、きっと風呼殿を見習えとは言いませんよ」
ユウシは言った。
「そりゃあそうだろう。
俺なんか見習ってどうするんだ」
「将軍から信頼されているじゃありませんか」
「信頼っていうのか、あれ」
カクエキは苦笑いをした。
一癖もある二癖もある上官は、誰も信じていなさそうな目をしている。
丸っきり空虚な目をして笑うのだ。
上官が楽しそうにしているときは…………。
「どうしたんですか?」
ユウシは尋ねる。
「いや、あんま楽しくないことを考えちまった」
カクエキは言葉を濁した。
将軍が楽しそうにしているときは、人を殺す瞬間だ。
寝ぼけたような曖昧な色の目が、キレイな緑になる。
薄く開けられた口元は、笑み。
対等な戦いを楽しむのではない。
一方的な戦をするときほど、笑うのだ。
自分より戦闘技能が劣る人間をなぶり、踏みにじる。
シキボの民、の本質はそこにあるのだろう。
どれだけチョウリョウの習慣に染まっていても、生死を分ける場所で違うと叫ぶのだ。
「私も将軍の信頼を得たいです」
ユウシは槍をぎゅっと握りこむ。
「十分、信頼されてるだろ。
大切なお友だちなわけだしな」
「将軍を守れるほど強くなりたいんです」
無茶なことを青年は言う。
息をするように自然に人殺しをする生き物を守る方法などない。
むしろ、こっちが守られている。
邪魔にならないようについていくで精一杯だ。
「風呼殿と同じ歳になるころには、将軍の信を裏切らない兵士になりたいのです」
ユウシは言った。
なかなか美しい夢だろう。
「俺が信頼されているのかは、ちょっとばっかり疑問だけどな。
いつ首切られるのか。
出会ったころは良く考えてた」
「将軍はそんな方ではありません!」
純粋な青年は顔を赤くして抗議する。
「今のところは、つながっているわけだ」
カクエキは自分の首をなでる。
柄に緑の石がはめ込まれた宝剣なら、一閃でカクエキの首を落としてくれるだろう。
それだけシ・ソウヨウという人物の剣技は優れている。
「当たり前です、風呼殿」
ユウシは言った。
戦での生存率を上げる方法は『信じる』ことだけだ。
自軍を信じられるか。
上官を信じられるか。
自分を信じられるか。
それが生と死を分かつ。
信じるものがない者は戦という闇色の手に、絡め取られるのだ。
「俺はそんな風朗(フェン家の坊ちゃん)が羨ましいぞ」
カクエキはユウシの頭を一撫でした。
信じるものをたくさん持っている。
自分を過信することなく、向上していこうとしている。
「風朗ではありません。
雄大という字があります!」
「どっちも変わんないだろうよ。
名前なんてもんは」
「風呼殿にはそうかもしれませんが、私にとっては重要なんです」
キッパリとユウシは言う。
「青臭いこと言ってる間はまだガキの証拠だ」
カクエキは笑いながら言う。
「風呼殿が気にしなさすぎるだけでは……」
「さぁてな。
どっちでもいいさ」
カクエキは言った。
見上げた空は、故郷で見上げた空とは違う色をしていた。
潮の香りがしない風がカクエキの側を通り抜ける。
失ったものが多すぎた。
あの海を思い出す。
「風が呼ぶほうに向うだけさ」
カクエキは呟いた。