虚構
格下のクニが人質を差し出すことは、珍しいことではなかった。
「遊学」、「行儀見習い」という名目が多かっただろうか。
クニを束ねる長の血族から選ばれるのが慣わしだった。
長の妹、末弟、あるいは娘。跡継ぎを選ぶことは少ない。
長子が選ばれるときは、計略が働いたときだ。
クニの内か、外か。
それは選ばれた当事者が知らない場所で、決められるのだ。
ギョウエイの場合は、内にも理由があったようだ。
偶然にも、トウテツは見聞きしてしまった。
以来、クニを思うときは微妙な気分になった。
いくらか制限をつけられるものの外国暮らしは、それほど辛くはなかった。
捕虜と違って、暮らしは優遇されている。
クニにいた頃よりも贅沢な暮らしが約束されていた。
出会いというのは、仕組まれるものか。
それとも、糸のように張り巡らされているのか。
この日も離宮の一角で、トウテツは怠惰な時間を過ごしていた。
朝が来て、昼が来て、夜が来る。
それで一日が終わる。
数えるのもかったるくなって、何もかも投げ出していた。
そんな日常に変化がやってきた。
くすんだ青の衣をまとった少年がトウテツの元にやってきた。
トウテツはのんきに日向ぼっこをしていたから、その人物を日の下で見ることとなった。
滅多にない幸運を手にした異民族の子どもは、それに気がつかずにいた。
「名前は?」
訪問者はいきなり尋ねた。
自分から名乗る、ということに思いつきもないのだろうか。
尊大、傲慢といった言葉が不思議と似合わない。
トウテツよりも一つか二つ年上だろうか。
子どもらしい無邪気さも、少年らしい闊達さもない。
水鏡のように澄んだ双眸の色は、茶に取れなくもない灰色。
このクニでは珍しい色だったらから、すぐさま誰だかわかった。
フェイ・ホウスウ。
チョウリョウの長の次男。
「ギョウエイのギョウ・トウテツ」
少年は名乗った。
「何と呼べば良い?」
ホウスウは言った。
誠実な印象でもつきそうなものなのに、意外だった。
綺麗すぎて、人形のようだ、とトウテツは思った。
やがて思い出す。
ギョウエイの隣のクニ、エイハンの乙女たちの目を。
全てを見通すかのように、透き通った瞳。
己を映す鏡のように、真っ直ぐな眼差し。
「好きに呼べば良いさ」
トウテツは肩をすくめた。
ギョウエイの長子として生を受けた。
雪と氷が閉ざすクニを出て、南方の地を踏んだのは、どういった巡り会わせか。
こうしたほうがクニのためになる。
父が言った。
父が決めた。
だから、トウテツはここにいる。
「では、何と呼ばれていた?」
ホウスウは言った。
「忘れた」
ポンとトウテツは答える。
それに相手はあっけに取られたようだ。
初めて表情らしい表情が浮かんだ。
「新しく名前でもつけてくれるのか?」
「そういうわけにはいかないだろう」
ホウスウは言った。
見てくれよりも真面目な人物なのかもしれない。
ちぐはぐだ。
女みたいにキレイな顔して、声だって悪くない。
仕えるなら、兄よりも弟のほうが面白いかもしれない。
トウテツは小さく笑い、立ち上がる。
見上げ続けるにも、首が痛くなってきたところだった。
ホウスウのほうが指5本分、背が高かった。
「俺は千里って、言うもんだ。
よろしくな」
トウテツは字を名乗り、手を差し出す。
それをホウスウは握り返す。
しなやかな見た目と違い、その手の平はかさついていた。
剣を握る者特有の肉刺(まめ)。
ここは尚武のクニ、か。
トウテツは心の中でためいきをつく。
「こちらこそ。
千里、このクニの礎になって欲しい。
ギョウエイの協力なしには、戦乱は収まらない」
ホウスウは言った。
言葉には熱意があり、綺麗ごとを並べているのとは違った。
平和を渇望していることがわかった。
「ああ、もちろんだ。
一緒に戦のない世の中を作ろうぜ」
トウテツはうなずいた。
◇◆◇◆◇
あのときの言葉に偽りはない。
生まれたときから戦争が続いているから、平和というものを味わってみたかった。
書物によれば平和は玉よりも素晴らしく、美しいものだと言う。
故郷に巡る「春」よりも美しいものだろうか。
長い冬を耐え、一斉に咲き誇るあの「春」よりも。
一度でいいから見てみたかった。
だから、トウテツは戦うことを選んだ。
平和のために、今日も戦場に立つ。