ノエル

「おにーさん、一晩、買ってくれない?」

 繁華街の客引きの声にしては慣れていない。
 色気もないソプラノボイスに矢島匡史《やじまただふみ》は義理で振り返った。
 匡史から15センチほど下にあった頭の持ち主は、この寒さだというのにマフラーどころかコートすら着ていなかった。
 アイボリーのセーターと赤いチェック柄のプリーツスカート姿だ。

「悪いが間に合ってる」

 機嫌がさらに悪くなるのを感じながら、匡史は言った。
 この辺の治安が悪くなっているのは知っていたが、未成年が客引きをしているとは思わなかった。
 裏でどんな組織があるかわかったもんじゃない。
 踵を返して遠ざかろうとした匡史のコートを少女の小さな手が握った。

「いい夢を見させてあげるよ。
 男の人って、好きなんでしょ?
 ワタシ、初めてだから、それなりに価値があると思うんだけど?」

 少女は言った。
 改めて顔を見れば、悪くない顔立ちだった。
 背伸びをしすぎた化粧をしておらず、ほぼすっぴんだろう。
 冷たい街灯の下でも若々しい張りと艶をもっている肌で、シミやそばかすはない。
 くっきりとした大きな二重の瞳は必死だった。

「自分を安売りするんじゃない。
 ……いくつか知らんが、そういう仕事がしたいんだったら国が認可しているところに雇ってもらえ。
 それでもピンハネが当たり前だ」
「もう行ったよ。
 18歳でも高校生はダメって言われた」
 輝きのあるリップクリームが塗られた小さな唇がケロッと言った。
「学校に通えてるんだったら、親はどうした?
 心配してるだろ?」
「おかーさんからは一晩、帰ってくるなって言われた。
 今日は家で恋人とクリスマスするんだって。
 ワタシぐらい大きな子どもがいると邪魔みたい」
 サバサバと少女は言った。
 少女の中では当たり前になってしまっていることは、この国では当たり前じゃない。
「手持ちのお金ないし。お腹空いたし、一晩あったかい場所にいたいから。
 おにーさんだったら良さそうだと思って声をかけたんだけど」
 少女はあくまでも気にした風でもなく言葉を続ける。

 どこがメリークリスマスだ。
 おめでとう、なんて言葉がふさわしくない。
 サンタクロースなんて信じていないし、都合のいい奇跡なんてもっと信じていない。
 聖なる夜は性なる夜の間違いだろう。

 匡史の確信を深めるだけ充分な言葉を18歳の少女は言った。

 二人のやりとりを目にも留めずに、聞きもしない通行人たちにも苛立つ。
 キャンドルは結局、冷たいLEDを模したもので、本物のあったかさはない。
 サイレントイブと歌うわりに、街は賑やかだ。
 定番のクリスマスソングが流れ、自分たちのことだけしか考えていない人々たちの話し声ばかり聞こえてくる。

「警察に行くか?
 保護してもらえるだろ」

 匡史はせめてもの善意で言った。
 自分ができるのは、そこまでだった。
 駅前の交番まで距離は歩いて5分だった。

「そーしたらおかーさんが怒られちゃうじゃん。
 おにーさんがそういうつもりならバイバイ。
 ありがと」

 少女は雑踏の中に紛れ込むように走り出す。
 手放されたコートの裾が匡史に戻ってきた。

 なんだって、最後に笑うんだよ。
 罪悪感が残るじゃないか。
 君にあんたことを言わせた大人たちと同じだって、オレまで扱われるだろ。
 マトモな大人のつもりじゃないけど、雪が降ってもおかしくない寒い夜にコートも着せずに空腹な子どもを追い出した。って。
 そんな大人と同類にはなりたくなかった。

 軽い足取りで雑踏の中に飛び込んだ少女の背中を匡史は必死に追いかける。
 見失ったら最後。
 二度と見つけられないだろう。
 肺が絞り出すように息苦しさを訴え、革靴を履いた足がアスファルトを蹴り上げる度に痛んだ。
 この寒さだというのにシャツに汗がにじむのを感じながら、匡史は走った。
 イルミネーションは無駄に明るく、街行く人たちは幸せで。
 それなのに少女ばっかり不幸せだ。
 匡史は追いかけて、追いかけて、華奢な肩をようやく掴んだ。

「へ? おにーさん?
 もしかして、強制的に連行する気?
 現行犯逮捕は犯罪者じゃないと一般人にはできないんでしょ?」

 少女は大きな瞳をさらに大きくして、言った。
 社会人になって運動習慣をつけなかったせいだろう。
 匡史はすぐに話せないほど息切れをしていた。
 全力疾走なんて高校のスポーツテストが最後だったような気がする。
 クラスの平均値が全国のタイムと並ぶまで走らされた。
 体育会系じゃない匡史はお荷物だったわけで、今だってなかなか息が整わない。
 少女の方は現役の高校生らしく元気が有り余っていた。

「おにーさんじゃない。
 矢島匡史だ」

 匡史はあまり使い道の少ない仕事で使っている名刺を一枚、差し出した。
 普段から使わないから名刺入れから出すのにもたついてしまった。
 少女はおっかなびっくりに小さな手で紙切れを受け取る。

「君の名前は?
 高校生でも18歳になっているんだろ?」
「え、あ、うん。
 キタジマノエル。
 高校名を言った方が良いの?」
「どっちでも。
 キタジマは方角の北に、普通の島か?」
「そうだよ」
 ノエルは名刺をひっくり返したり、街の明かりに透かしたりして楽しんでいた。
 偽造防止用に顔写真には箔押しがしてあって、新札よりはチープだがホロ箔も入っている。
「ノエルは、万葉仮名の乃に花が咲くに瑠璃の瑠」
 乃咲瑠は改めて名乗って笑った。

 マトモじゃない親はマトモじゃない名前を付けるらしい。
 辛うじて漢字は読めるが、キラキラネームの亜種だ。
 それに皮肉すぎる名前だった。
 ノエルはフランス語で『クリスマス』。
 もともとの語源はラテン語で『誕生日』だ。

「乃咲瑠は今日が誕生日だったのか?」
「おにーさん、じゃなかった匡史さんあったまっいー。
 よくわかったね。
 女カンケーで詳しくなったの?」
「まあ、そうだけど」
「今カノ? って、クリスマスイブだから別れたばっかで元カノ?」
「別れたのは最近だけど、ずっと上手くいっていなかったし。
 教えてくれたのは彼女じゃないな。
 お袋だ。
 外国文学が好きだったから半強制的に覚えさせられた」
「ふーん、マザコンなんだ」
「そういうのも破局の原因だな」

 匡史は苦笑いをした。
 昔だったら売れ残りのクリスマスケーキと呼ばれた年齢を過ぎた。
 結婚適齢期なのに、恋人と長続きしない。
 結婚していたり、彼女がいる友人や知人からすれば、匡史の価値観が令和じゃないらしい。

「どこが悪いの?
 産んでくれた母親に感謝してんでしょ?
 親孝行じゃん」
 乃咲瑠は真剣に言った。
 その産んでくれたはずであろう母親に恋人と過ごすから邪魔だと家を追い出された女子高校生が、匡史がマザコンであることを全肯定する。
 乃咲瑠の育っている家庭はすでに機能不全を起こしている。
 匡史の親子関係だってマトモではないが、もっと重苦しい。
 会ったばかりの赤の他人の匡史がどうにかできるレベルを通り越していた。

「普通は女は誰よりも一番になりたがる。って聞いたな」
「ワタシはまだ女にカウントされないかも。
 家族とか、友だちとか、大切にしてるのカッコイーって思うし」
 乃咲瑠は自然に言った。
 親はともかくとして友人には恵まれているらしい。
 それだけが希望の灯だ。
 学校の友だちでも高校生だと、まだ頼ることはできないだろう。
 最低限、高校卒業して、独り暮らしできるほど自立している。
 金銭面にも恵まれていなければ、安易な救済すらできない。

「乃咲瑠のことは買えない」

 匡史はキッチリと言った。
 名刺を手にした小さな手が震えているのは、寒さだけではないだろう。

「今日会ったばかりだけど、このクリスマスムードだ。
 お互いパートナーはいなかった。
 だから、ここから先は自由恋愛だ。
 オレとは年齢差があるけど、乃咲瑠が18歳過ぎているなら成人だから、付き合える。
 付き合ってる彼女と一緒にご飯を食べるのも、朝まで過ごすのも犯罪じゃない。
 親も同意だって言えそうだしな」

 詭弁に近かった。
 だが、付き合っている彼女とあたたかい場所で腹いっぱいデザート付きのディナーを食べて、日が昇るまでの時間を過ごすのはトラブルにはならない。
 今日が誕生日の少女にだってクリスマスを味わってほしかった。
 高校生なんて、まだ子どもだ。
 大人の、親が言うことなんて妄信的に信じ込んでしまう。
 匡史が見ていないところで、乃咲瑠には悲惨な末路を辿って欲しくなかった。

 クリスマスなんて奇跡が起きない。
 待っていたって奇跡なんて大盤振る舞いはされない。

 だったら、馬鹿みたいにくだらない手段で、一晩ぐらいは大人らしくサンタクロースになってもいいじゃないか。
 売れ残りのクリスマスケーキが誕生日の少女のバースデーケーキになっていいじゃないか。

「ありがと。匡史さん。
 贅沢を言うならイチゴが天辺に乗っているケーキかパフェが食べたい!
 食べたことないから!」
 乃咲瑠は満面の笑みで言った。
「お安い御用だ。
 その代わり24時間オープンしているファミレスになるけどな。
 さすがにレストランとか予約できる時間じゃないし、ホテルは満室だ」
 匡史は言った。

「え? ホテルも?」
「綺麗なところは予約で早い段階で埋まってる」
「そっち目的でも?」
「場末のところでもこの時間じゃ厳しいだろうな。
 だからカラオケとか漫画喫茶とか、違う意味で使うヤツらがいるわけで。
 あったかいとこがいいんだろ? 乃咲瑠は」
「うん。そりゃそうでしょ。
 こんなに寒い夜なんだから」
「悪い大人はトイレに連れ込むぞ」
「げ。寒いどころじゃないじゃん。
 そんなトコで一晩、持たないよ!」
「だから、自分を安売りするんじゃない、と言ったんだ」
「おにー、じゃなかった。
 匡史さん、いい人で良かったー。
 意外にワタシの見る目、ってあるかも」
 無邪気に乃咲瑠は笑った。

 複数のテナントが入ったビルの中では広い方に匡史は案内する。
 家族連れや大学生ぐらいのカップルもいるような安心できるファミレスだ。
 ソファー席に案内されて、乃咲瑠はメニュー表を見て固まった。
 匡史にとってはコーヒー代にもならないドリンクバーの値段や食べたがったイチゴを使ったデザート値段に驚いたようだ。
 この程度の店にも親から連れてきてもらっていないことが痛々しいほどわかった。
 匡史がお腹が空いて限界だ、と押し切って、勝手に注文した。
 ちょうどよくクリスマス2名様セットがあったのも運が良かった。

 クリスマスイブなんて口実だ。
 昨日までの夜と同じ時間線。
 夜が明ければ街は例年通りに正月ムードになるだろう。
 寝不足になりながら出勤する明日の朝はそれなりに疲労感があるだろう。
 それでも起きなかった奇跡に後悔しながら、仕事に行くよりマシだ。
 ココアなんて贅沢、と言いながらデザートプレートまで綺麗に食べつくした乃咲瑠を見ながら、匡史は思った。

 大枚というほどの金額ではなく18歳の女子高生を矢島匡史は買った。
 詭弁や欺瞞を使ったが、結局は同じ意味だ。

 朝日が昇って、本当のクリスマスになるまで二人はファミレスで過ごした。
 途中で乃咲瑠は眠ってしまって、ファミレスのテーブルに突っ伏していた。
 店員は迷惑そうな顔をしていたが、ドリンクバーを利用していること逆手にとって、匡史のグラスが空になる度におかわりをしていたのだから、文句はつけられない。
 乃咲瑠が20歳を過ぎていれば半個室のある居酒屋に連れていって、好きなだけ眠らせることも可能だったが……仕方がない。

 始発が走り出して、世界が朝になった頃に、匡史は乃咲瑠をゆすり起こした。
 遠慮する乃咲瑠にモーニングを食べさせてから、スマホでの連絡先も交換した。
 名刺はすでに渡してあるのだから、あとは乃咲瑠の気持ち次第だ。
 出勤時間までたいして睡眠時間が確保できない、とわかっていたが、そこまで悪いクリスマスイブではなかった、と匡史は思った。

 乃咲瑠という少女が名前の由来通りに聖なる夜を連れてきてくれた。
 その一晩の夢は、まだ匡史の中に漂っている。
 歳末という年の瀬の中で。
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