弱虫侯爵家の次期当主なんて、わたくしと釣り合いがとれませんわ!

「私に決闘をして欲しい、か」

 藍玉《アクアマリン》のような瞳が紅茶の入ったカップに移動した。
 そのことにアルベリア・グロワール16歳は大不満を覚えた。
 思わず手にしていたティーカップの中身を顔面に叩きつけたいぐらいには。
 グロワール公爵家の第一子。
 『炎舞の悪魔』と呼ばれる少女にとって、生まれ落ちた時に決められた婚約者は苛立ちと文句しか出てこない相手だった。

「相手の名前を知らないけれども、それだけ情熱的な恋だというのなら身を引こう。
 私の一存、ということで話は通るだろう。
 君の父君であるグロワール公爵にも話をつけておくよ。
 円満な婚約解消をしよう」

 軟弱者。
 弱虫侯爵家のシエルブラン家の次期当主。
 カミルアルバン・シエルブランは穏やかな笑顔で気負いなく言った。

「それでも、わたくしの婚約者なのですか!?」

 アルベリアは淑女らしくなく声を荒げた。

 ヴァントール王国には国防を司る五大公爵家八大侯爵家が存在していた。
 王家に匹敵するほどの家柄だけあって、様々な魔法を使うことができた。
 他国が恐れて手を出さないほどの魔法使いの集団だった。
 グロワール公爵家はアルベリアが『炎舞の悪魔』と呼ばれるように、火属性の攻撃魔法を得意として、敵を焼死させることも、敵地を草すら生えていない焦土と化すのもできた。
 わずか16歳の少女にもできるのだ。
 ところがどっこい五大公爵家八大侯爵家の末席、シエルブラン家といえば、何故家名を連ねているのか分からない。
 それほどまでに能力がなかった。
 その辺の貴族や平民に比べれば、魔法力は高いのだろうが、それでも魔法省の中では目立つ立ち位置にいるわけではない。
 実際、カミルアルバンも魔法省の中でも閑職と呼ばれる史書編纂係についている。
 つまり歴史を整理して、書記のように、新しくできた法案などをまとめて、書類整理をしているだけの地位だ。
 これといって特筆する能力は必要ないだろう。
 魔法学園時代の成績も座学は悪くなかったようだけれども、実践的なテストとなるとほどほどだったらしい。

「私との婚約には君の意思はまったく入っていない。
 魔法の相性だけで決まった縁組だ。
 君が跡継ぎになれない女児として生まれてきたから、ちょうど良い婚約者候補がいなかった私に決まったんだ。
 五大公爵家八大侯爵家の中で、私がまだマシな家柄だったというだけだ。
 他の家には先約があったからね。
 だから、君が『真実の愛』を学園内で見つけて、それを貫くというのなら、私からもグロワール公爵に伝えれば穏便に婚約は解消されるだろう」

 少しも気に留めてもない雰囲気で十も年上の男性は言った。
 本当に気概がない。
 これでも国防を司る家の次期当主なのだろうか。

「君が珍しくお茶会の招待状をくれたと思ったら、このことだったんだね。
 父君に直接訴えるよりも、先に私に話して根回しをしておいた方が両家に禍根を残さないだろう」
「わたくしは決闘をしてくださるか、訊いたのです」
「そんなに問題のある相手なのかな?
 わざわざ決闘なんて、時代錯誤のことをしなければならない。
 ……つまり実力を示して、君を勝ち取るというパフォーマンスをしなければならない、と」
「わたくしには『真実の愛』とやらかは分かりませんが、お相手がそうおっしゃいました」
「それは情熱的だ。
 婚約が決まっている令嬢に近づくのだから、それぐらいの勇気がある方が良いだろう。
 称賛に値する。
 それで相手の名前を私が耳にしてもかまわないかな?」
「ええ、もちろんですわ。
 決闘をしていただくのですから」
「それについては保留にして欲しいのだけれども。
 私自身、それほど高度な魔法を使えるわけではない。
 18で学園を卒業してからは最低限の鍛錬しかしていないから、剣の腕前も酷いものだろう。
 勝敗なんて最初から目に見ている」
「ええですから、ハンデをくださるらしいですわ。
 カミルさまが先手だそうです。
 魔法の詠唱や剣を振り下ろすまで何もしない、とおっしゃっていました」
「これまた素晴らしい条件だ。
 そこまでハンデを与えられて私が負けた場合は、誰もが認めるしかないだろう」
「カミルさまもですか?」
「もちろん祝福をしよう」

 カミルアルバンはおっとりと言う。
 シエルブラン家は役立たず。
 そうささやかれるのも納得するほどの熱意の無さと弱々しさだ。
 16歳の少女には、何故八大侯爵家から除外されないのか理解ができなかった。

「では決闘してくださいませ。
 お相手の名前はテオファルク・グロワール。
 当家の傍系で、わたくしよりも二つほど年上の男性です」
「なるほど。
 同じ血族内か。反対意見の方が多いだろうし、少々、困難な相手だね。
 確か二つ名は『焔の軍神』。
 肉体強化の魔法が得意で、魔法具である【神殺し】の継承者。
 強度の高い金属のリルディランの大剣に付与魔法で焔をまとわせる。
 接近された時点でたいていの相手は死を覚悟する。
 一薙ぎしただけでも焔が敵に致命傷を負わせる」
「お詳しいのですのね」
「仕事柄ね。
 資料の整理は得意だし、覚えるのも苦痛ではない。
 ましてや傍系とはいえグロワール公爵家でも優秀な青年だ。
 戦時であれば軍馬を駆けさせて先陣を切っていたことだろう」
「では、わたくしのためにお引き受けしてくだいますか?」
「アルベリアは、どちらを応援するつもりだい?
 何度も言うように、円満に婚約破棄ができるように手続きをするのも私はやぶさかではない」
「わたくしの願いはカミルさまがわたくしのために決闘をしてくださる、ということです。
 勝敗は……その時にわかりますわ。
 どうせわたくしはトロフィーか何かですもの」
「君がそこまで望むのなら、私も誠実に対処しよう」

 その言葉に、アルベリア・グロワールは、できるだけ艶やかに笑った。
 内心の苛立ちを隠しきれなかっただろう、と感じながら。
 いちいち人の心を逆なでることが得意な婚約者だった。
 どうしてこんな弱虫と将来結婚しなければならないのだろうか。
 柔らかそうな蜂蜜色の髪に藍玉《アクアマリン》のような瞳。
 魔法学園時代に剣術をしていたとは思えないほどの線の細さ。
 筋骨隆々な戦士や高潔な騎士たちのような力強さに欠けていた。
 腹が立ち悔しくなるほどの弱虫っぷりだった。


   ◇◆◇◆◇


 古式ゆかしい決闘は国王陛下臨席の天覧試合になった。
 決闘自体が廃れていたし、みな娯楽に飢えていたから高位貴族だけではなく、学園を通うことを許された平民たちも観客席を陣取っていた。
 五大公爵家の一席、グロワール家の傍系とはいえ『焔の軍神』。
 八大侯爵家の末席、シエルブラン家の次期当主。
 それが一人の少女をめぐって闘うのだ。
 こんなことは絵物語にすら出てこないだろう。
 王家の席の近く、アルベリア・グロワールは着席することを許された。
 勝利者に花冠を与えるためだ。
 あくまでも試合ということで回復魔法が得意な魔法使いまで用意された。
 テオファルク、カミルアルバンの両名が怪我をした時のためだけではない。
 飛び火して観客席を埋めるギャラリーが怪我した場合にも迅速に動けるためだった。
 ついてもついても堪えられないためいきと共に、事の成り行きをアルベリアは見ることになった。
 薄情な婚約者殿は負けるのだろう、と思いながら。

 生まれた時からの婚約者だ。
 学園を卒業後はシエルブラン家に嫁ぎ、子どもをなすと幼い頃から言われ続けてきた。
 入学前、グロワール家でゆっくりと過ごしていた頃にはシエルブラン家の悪評など知らなかった。
 けれども、学園に入学してからアルベリアの心境は一変した。
 悪評を払拭せずに、涼しい顔をしているカミルアルバンに苛立つようになった。
 こんな覇気のなく、情熱の欠片すらない相手が夫になるのは許し難くなった。
 たとえ他家から弱虫だと言われても。
 芝居のように情熱的な言葉ひとつでもアルベリアにかけてくれたのなら。
 たった一人の大切な女性だと明言してくれたのなら。
 ここまでアルベリアを苛立たされることはなかっただろう。

 審判が試合開始の合図を告げた。

 カミルアルバンは黒い短剣を片手にしていた。
 十字架のようなそれは全長30センチもないほど。
 殺傷能力があるとは思えない。
 『焔の軍神』の懐に入り込むとしても、心臓を一突きできるのだろうか。
 短剣を振り下ろした瞬間にテオファルクは【神殺し】を使うことができるのだ。
 観客たちのクスクスと笑う嫌な声がアルベリアの耳にも届いてくる。
 手にしていた花冠を炎で消し炭にしたいほどの怒りが湧きあがる。
 アルベリアはそれらに耐えて唇をかみしめた。

「この短剣はダガーの中でもスティレットと呼ばれるものです。
 国内でも珍しく、他国でもあまり使われない大昔の武器です。
 付与魔法を使われていないただのダガーです。
 もちろんシエルブラン家に伝わる魔法具でもありません。
 私の個人的な趣味の持ち物です」

 歴史の教科書でも読むように穏やかにカミルアルバンは話し出す。
 藍玉《アクアマリン》の瞳がちらりと空を見上げた。
 青空が広がり、決闘のための舞台には濃厚な影ができていた。

「このスティレットは武器としてはあまり有用なものではありません。
 見ての通り、刀身に刃がついていません。
 ただ突き刺すためだけのダガーです」

 カミルアルバンは暢気に歩き出して、テオファルクに近づいていく。
 それから笑った。

「他国では慈愛の行為《ミゼリコード》という別名もあります」

 片手に持っていた黒い十字架のダガーを石畳に投擲した。
 まるでテオファルクの影を縫い付けように。

 アルベリアはぎゅっと花冠を握りしめる。
 一秒にも満たない。
 瞬きするほどの刹那。
 これから起きるであろうこと。
 火属性の魔法がカミルアルバンに降りかかる、という事実から目を逸らしたかった。
 回復魔法で治癒をされても痛みは残る。
 皮膚は爛れ、肺は焼かれ、呼吸ができなくなる。
 あるいは【神殺し】によって、大量の血が流れるだろう。
 そんな未来は見たくなかった。

 が、アルベリアの予想を反していた。
 会場内が先ほどのまでの意味と違ってざわつく。
 テオファルクは石像になったように硬直して動けずに、カミルアルバンがゆっくりと間合いを詰めて、その手から【神殺し】をすんなりと奪い取った。
 本来の所有者以外が手にしているのに魔法具は暴走することはなかった。
 カミルアルバンはゆっくりと剣を振り下ろす。
 自分よりも背が高いテオファルクの首筋に【神殺し】をピタリと据えた。

「あの、審判の方。
 さすがにこの状態でしたら、私の勝利だと認めて欲しいのですが?
 学園を卒業して以来、最低限しか鍛錬をしていないので、これだけ重量のある武器を持つとうっかりと手を滑らせそうで恐ろしく」

 平素と変わらない口調でカミルブランは言った。

「勝者、カミルアルバン・シエルブラン!」

 審判があわてて口にする。
 観客も、アルベリアにも理解不可能なものを見せられた。
 水を打ったような静けさが会場内を支配した。
 王家とそれに近いエーデバイス公爵家の嫡男であるレオンハルトだけが拍手を贈った。

「さすがに疲れました。
 【神殺し】はお返しします。
 貴重な魔法具ですから」

 カミルアルバンは大剣を舞台に置き、石畳に突き刺さったままのダガーを静かに抜いた。
 いつものような足取りでアルベリアの下までやってくる。

「約束通り決闘をしたのだから、勝利のキスや抱擁までは求めないけど、褒め言葉のひとつぐらい欲しいと思うのは贅沢かな?」
「お怪我がなくて何よりですわ」
「ありがとう、アルベリア。
 その言葉だけで充分だよ」

 にこやかに笑うカミルアルバンの蜂蜜色の髪に、アルベリアは手にしていた花冠を載せた。

 が、次の瞬間にとんでもないことが起きた。
 今までだって異常事態が続いていたのだ。
 けれども、それを上回るほどの光景だった。
 アルベリアの視界に銀の砂塵がばらまかれる。
 よくよく見ればリルディランの鋭い欠片が視界を覆ったのだ。
 それらはアルベリアを傷つけることなく、反射するようにあらぬ方向に行く。
 そう、それは粉砕された大剣。
 【神殺し】が持ち主の下に戻っていった。
 アルベリアの体は突然のことに、悲鳴を上げるよりも、呼吸の方が止まって、喉が絞めつけられた。
 鋭い欠片の数々はテオファルクを肌を突き刺す。

「あ……。
 不可抗力ですが、この世に二つとない貴重な魔法具ですよね。
 ……弁償金額はどれほどになるんでしょうか。
 迅速にリルディランを肉体から抜いてください。
 魔力を持ち、増幅させる金属ですから体内に入り込んだままだと致命傷になります。
 傷口は治癒魔法ですぐに塞いでください。
 もし火属性の魔法がすでに付与されているのでしたら、内臓も焼かれてしまうはずなので、慎重に」

 藍玉《アクアマリン》の瞳は後悔をにじませながらもテキパキと指示を出す。

「これはどういうことですか?
 カミルさま」

 やっとのことでアルベリアは声を絞り出した。

「これこそが末席とはいえシエルブラン家が五大公爵家八大侯爵家の名を連ねられるひとつ。
 怖い思いをさせて悪かったよ。
 君が無事で良かった」
「説明になってません!」
「それはおいおいとするよ」

 困ったようにカミルバランは言った。


   ◇◆◇◆◇


「それではご説明ください」
 王宮の一室。
 休憩所として与えられた部屋でアルベリアは改めて尋ねた。

「シエルブラン家は有事の際であっても前線には出ない。
 基本的に国内の……王家の傍にいることが多い。
 盾、護衛役が近い。
 だからこそ他家から弱虫侯爵家と言われる。
 グロワール家や他の家と違って、最前線に立つことはありえない。
 当家がもし前線に出るとしたら撤退戦だけだ。
 他家が敵国から圧倒されて、前線が後退して、王家ともども落ち延びる時、シエルブラン家は足止め役をする。
 殿《しんがり》を務める、ともいうかな?」
「あの不可解な行動は?
 何故、テオフォルクは動けなかったのですか?」
「すでに魔法学園で習っているだろう?
 拘束魔法の応用だ。
 基本的に一秒程度しか動きを止められない魔法だけど、使い道次第だ。
 動き……筋肉を止めるんだ。
 体が動かなくなるだけではない。
 呼吸もできなくなるし、心臓も止まる。
 血の巡りも止まるし、脳にも障害が残る。
 そして、私は狡猾にも精神魔法をかけた。
 影をダガーで縫い付けられたから動けなくなった、と」
「詠唱がなかったですわ!」
「そんな暢気なことをしていたら撤退戦で逃げ切ることができないじゃないか。
 指揮官を狙って行うのが基本だけれど、乗っている軍馬でも効果がある。
 私は非力だからスティレットを使ったけれども。
 あれぐらいのダガーなら私でも投擲できるからね。
 それに試合だから殺し合いをするわけでもない。
 魔法具である必要はなかった」
「それでは、その後【神殺し】が砕け散ったのは?」
「それも学園で習ったはずだろう?
 いわゆる壁と呼ばれる防御魔法だよ。
 物理攻撃を遮断するんだ。
 咄嗟なことだったから、攻撃の全てを跳ね返してしまった。
 手加減ができなかったよ」

 後悔するようにカミルアルバンは視線を落とす。
 そこには弱虫なんていなかった。
 力を持っているからこそ、隠していることを知らされた。
 『炎舞の悪魔』と呼ばれるアルベリアとて、敵わないほど鉄壁の防衛力と的確な魔法の使い方だった。

「わたくしがカミルさまの婚約者でよろしかったのですか?」
「それはこちらの台詞だ。
 十も年上の年寄りへ嫁いでくるんだ。
 本当に『真実の愛』と出会えたのなら、君を束縛するつもりはない。
 幸福になって欲しいからね」

 穏やかにカミルアルバンは微笑んだ。
 ひたむきな藍玉《アクアマリン》の瞳の中にはアルベリアの泣きそうな顔が映っていた。

「わたくし、もう二度と決闘をして欲しいなんて我が儘を言いませんわ。
 こんな怖い思いをしたくありませんもの」
「それは助かるよ。
 荒事は苦手だからね」
 
 その口調はいつものようだったけど。
 アルベリアは二度とカミルアルバンを弱虫次期侯爵と思うことはない、と確信していた。
 強者ほど奢らずに、その才能をひけらさない、と知った。
 そして外野がどれほど言おうとも、努力に裏打ちされた誇りがあるからこそ、屈しないのだと。
 自分の狭量さや傲慢さがよく理解できてアルベリアは涙を流す代わりに唇をかみしめた。
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