■注意書き■
ヒロインの藤野紗季(ふじの・さき)の過去が実際に被害にあわれている方にはトラウマ級だと思うので、自衛をお願いいたします

舞踏会に行けないシンデレラと魔法が使えない魔法使い

 男女の間に友情は成立するのか。
 微妙な話題だった。
 アンケートも取られているが、賛否両論で、明確な答えは出ていない。
 心の中に隠しているものに、正答ができるはずもない。

 僕と彼女は『友だち』だけど、そこには友情はない。
 僕は異性愛者であり、彼女は――そう彼女と呼べるほど、女性らしい外見をしていて、女性らしい性格をしているのだ。
 僕は彼女を恋愛対象として見ていた。
 出会った時から、ずっと一人の女の子として好きで、気持ちは変えることはできなかった。
 彼女――藤野紗季(ふじの・さき)が僕のことを『友だち』と思っているから、僕たちは『友だち』だった。
 一緒に食事をして、一緒に恋愛映画を見て、一緒にゲームセンターに行ってクレーンゲームで散財して、一緒に美術館に行って、一緒にカフェ巡りをして、神社ではおみくじの運勢を張り合う。
 誰かと一緒の時もあれば、二人きりの時もある。
 同じ高校で出会ってから、大学を出て、お互い別の職種の会社に入社して、社会人になってもなお、僕たちは『友だち』をしていた。

   ◇◆◇◆◇

 残業が終わって、会社から出る時に、スマホを確認すると、大量の着信履歴と未読のlineが待っていた。
 直近のlineは紗季のものではなかった。
 紗季の中学時代からの親友の清水晴菜(しみず・はるな)のものだった。
 僕にとっても友人と呼んでもいいような知人である晴菜からのlineは充分に気を滅入らせるものだった。

『魔法使い、シンデレラを回収して』

 呪いのような文字列だった。
 この文字列で何度、僕は体のいい魔法使いになったのだろうか。
 王子さまにはなれない、と釘を刺されているようなものだった。
 シンデレラが恋をするのは舞踏会でダンスを踊った王子さまだけ。
 物語は魔法使いが用意できなかったガラスの靴を手にした王子さまがやってくることでハッピーエンド。
 魔法使いはその恋を手助けするだけだった。
 僕は『友だち』として魔法使いの役割を果たすために、電車に飛び乗った。
 残業続きの会社員や遊び疲れた学生たちが乗車している電車内で、添付されていた地図を見ながら、僕はためいきをつく。
 晩飯ぐらいはまともなものを食べたかったが、今日もカップラーメンになりそうだ。
 栄養補助食品よりはマシだったけど、あまり嬉しくはない。

   ◇◆◇◆◇

 借りているアパートと同じ路線内の繁華街で途中下車をする。
 僕からすればちょっと高めの、気の張ったバーが並ぶ。
 チェーン店がないわけではないが、格安の居酒屋を利用する僕にとっては、記念日でなければ率先して予約を取らないような場所だった。
 が、紗季のおかげで道だけは通い慣れていた。
 すっかりバーテンダーと顔見知りになってしまったバーに入ると、紗季はカウンターに突っ伏していた。
 その横で晴菜がグラスを片手に持ち、スマホを眺めていた。
 セミロングの髪は綺麗に巻かれ、照明を落とした店内であってもキラキラと輝くように鮮やかに染色されていた。
 ネイルもサロンで施されているもので、魔女のような長さとどぎつい色合いをしている。
 男だったら恋人と歩いていても、一瞬は振り返るような魅惑的なボディの華やかな美人は、僕を見るとスマホをカウンターに置き、手を軽く上げて親し気に笑った。
 透明なカクテルグラスに透明な酒とオリーブのカクテルを片手に持ったまま。
 酒を酒で割るカクテルを飲んでも、ほろ酔い程度のようで、あいかわらず酒には強いようだった。
 何杯目かは訊かないでおこう、と僕は思った。
「遅かったわね、魔法使い」
 晴菜は言った。
「仕事が終わって直行したんだけど。
 鬼電とかありえない」
 僕はためいきをついた。
「こうなちゃったシンデレラを頼めるのは、吉田しかいないんだって。
 他の男だったらお持ち帰りしちゃうでしょ?」
 晴菜は気楽に言った。
 僕だってお持ち帰りができるなら、お持ち帰りがしたいぐらいだ。
「清水が送っていけばいいじゃないか」
 返事がわかっていながら、僕は言った。
 異性の『友だち』に家まで送らせるよりも、一緒に飲みに来た同性の『友だち』と帰る方が自然だし、わざわざバーまで誘ったのだから、最後まで責任を持つべきだとは思うが……。
「酔っ払いだもの。
 素面の吉田の方が確実でしょ」
 晴菜は自明の理だと言わんばかりに断言した。
 不毛だと思うけれども、定番のやり取りだった。
「で、藤野が飲んだの?」
 僕は確認する。
「シンデレラが?
 そんなことさせないわよ。
 酒の香りだけでもこの調子よ。
 疲れていたってのもあるんだろうけど」
 晴菜は横で眠っている紗季の肩を揺する。
 二人が親友なのが信じられないほど、服の趣味も、性格も違う。
 シンデレラという仇名がつくほど、紗季は美しく、清純な雰囲気だった。
 照明を受けて微かに輝く黒に近い茶色の頭髪、清楚なオフィスカジュアルの姿で、切り揃えられた爪も短く、男だったら言われなければ気がつかないようなピンクベージュが施されている。
「紗季、吉田くんが迎えに来たわよ。
 一人だと危ないから送ってもらいなさい」
 晴菜が声をかける。
 ゆっくりと紗季の頭が持ち上がる。
 何度か目を瞬かせると、紗季は小首を傾げる。
 その時に、髪が微かに揺れる。
 染めたり、縮毛矯正をした方がいいのかな、と高校時代に何度も悩んでいた髪も、社会人になったら誰も文句をつけなくなった、と喜んでいた髪だった。
「正博(まらひろ)くん?
 ……お仕事は?」
 紗季はぼんやりと尋ねる。
 まだ半分、夢の中なのだろう。
 習い性で確認したグラスには、オレンジ色の液体が微かに残っていた。
「終わったから、シンデレラをお迎えに。
 12時の鐘が鳴る前に帰ろうか。
 それともガラスの靴を置いていく?」
 僕は芝居がかった口調で尋ねる。
「酔っ払いじゃないから、靴を片方置いていくなんてしないわよ。
 買ったばかりのお気に入りの靴なんだから。
 それに正博くんまでシンデレラなんて呼ばないでよ」
 紗季は怒ったような口調で言う。
「そのグラスの中身は?」
 僕は尋ねる。
 紗季は珊瑚色の唇を嚙みしめる。
「あいかわらずシンデレラよ」
 晴菜がクスクスと笑いながら有名すぎるノンアルコールカクテルの名前を挙げる。
 僕が予想していたグラスの中身と一致した。
「ハルちゃん、どうして教えちゃうの!?」
「今更、吉田に隠しても無意味でしょうが。
 高校からの付き合いなんだから。
 紗季がアルコールがダメなのは二十歳になった時に、わかったことだし。
 まさか居酒屋の薄ーいカシスオレンジを一口でダメになるとは、思わなかった」
 晴菜が笑いを含んだ声で言う。
「黒歴史だから、その話はオシマイっ!
 みんなみたいにお酒がいっぱい飲めるって思っていたのに」
 紗季は顔を赤くしながら言った。
 カシスオレンジの一口でダウンしたから、一緒に集まったメンバーも驚いたのだ。
 店員も大慌てだった。
 よくよく聞いてみたら、家族もアルコールが苦手であり、遺伝的にアルコール分解酵素がない、と判明したのだ。
 最悪、死に至るということで、紗季自身も泣く泣く諦めた件ではあった。
「紗季ちゃん、送っていくよ。
 夜道は危険だから」
 誰よりも危険になりたい僕は無害な顔をして言った。
「ごめんなさい。
 いつも迷惑をかけて」
 紗季は微かにうつむいて謝る。
「今度、ご飯でも奢ってよ。
 ちょっと金欠気味だし。
 お洒落な店って一人じゃ入りづらいからさ」
 僕は『友だち』の距離で提案する。
「イタリアンにする?
 それとも、ボリュームのあるカフェにする?」
 紗季の声が弾んだものになる。
 奢るのは女の子の方なのに。
「任せるよ。
 紗季ちゃんの方が美味しい店を知っているから。
 早く帰らないと、馬車がカボチャに戻るよ」
 僕は急かす。
「あ、お会計」
「奢るわよ。
 この時間まで付き合わせたんだから。
 しかも、グラス一杯しか紗季は飲んでいないでしょ。
 ランチ代にもならないわ」
 晴菜は明るく言いながら、退店を促す。
「ハルちゃん、ごちそうさま。
 今度、穴埋めするから。
 最後まで話を聞けなくてゴメンね」
 紗季はショルダーバッグを手にすると、晴菜に頭を下げる。
「シンデレラは魔法が解ける前に帰るものよ。
 またすぐに会えるんだから気にしないで」
 晴菜はグラスを飲み干すと言った。
 紗季は申し訳なさそうに、もう一度、親友にお辞儀をした。
 恋人同士のように僕は紗季の手を取って、店を出る。
 そのことに紗季も、晴菜も、店員も不思議に思わない。
 そういう距離で僕たちはいた。
 来る時よりもガラガラに空いた電車の中で、並んでシートに座る。
「正博くんもゴメンね」
「いいって。
 僕たちは『友だち』なんだから」
「そうだけど。
 毎回、送ってもらうと悪いような気がして」
 本当にすまなさそうに紗季は言う。
「気を使わなくっていいって。
 清水だって、僕に送っていくように連絡をくれたし」
「うん」
「……またあったの?」
 聞き耳を立ててるような人物はいなさそうだったけど、デリケートな話題だっただけに、僕は声を潜める。
 僕が藤野紗季を『紗季ちゃん』と呼び、紗季が『正博くん』と呼ぶような関係になった原因。
 あるいは『友だち』なのに、手を繋いで歩くようになった原因。
 高校時代から紗季は可愛くてでお淑やかで大人しそうな美少女だった。
 そんな女の子がいれば、起きやすい事件であり、笑いごとにはできない犯罪行為だった。
 紗季の心を深く傷つけ、恋愛観すら歪めた。
 カクテル言葉のシンデレラそのものの女の子なのに、年頃になっても王子さまは迎えに来てくれない。
 どれだけ周りがお膳立てをしても、紗季が独りでは舞踏会に行けないからだ。
 僕も魔法は使えない、魔法使いだった。
 もし紗季に王子さまがやってくれば、この気持ちも踏ん切りがついて、諦められるのかもしれない。
 ちゃんと『友だち』になれるかもしれないけれども、高校時代から引きずっている気持ちは燻ったままだ。
「……そっちは大丈夫。
 ハルちゃんが結婚するって、両親も知っちゃったから、……いわゆる『いい人はいないの?』って話になっちゃって。
 今は怪しくないネットでの出会いもある、とか知ってるみたいで。
 共通の趣味のある相手だって探せるし。
 専業主婦になれ、と言わない旦那さんもいるって。
 仕事は辞めないで結婚はできるって」
 紗季はうつむく。
「まだ社会人二年目になったとこだよ。
 早すぎるとは言わないけど、遅すぎでもなくない?
 ……マッチングアプリとかテレビでも紹介しちゃっているから、そこからかぁ。
 親からだとハラスメントとは言い難いしなぁ」
 職場なら結婚ハラスメントだと断言して、どうにかできそうな問題だった。
 結婚に対する価値観はだいぶ流動的になったし、恋愛だって自由だ。
「本当に心配してくれているんだと思う。
 家に男の人を連れてきたこともなければ、正博くん以外と二人きりで出かけていないこともバレたから。
 その、……正博くんも『友だち』だからカウントに入らないってなったみたいで」
 紗季は泣きそうな声で告げる。
 僕にとっては残酷な話だったけど、笑顔を浮かべながら相槌を打つ。
「そっか」
 両親はきっと紗季の心の傷が癒えていると思い込んでいるのだろう。
 新聞に載るような大きな事件ではなかったし、カウンセラーの元に通うほどのものではなかったのだから。
「紗季ちゃんにも紗季ちゃんだけの王子さまはやってくるよ。
 男が全部、悪いヤツじゃない」
 僕は自分で言いながら痛々しいと思う。
 好きな女の子を慰めるためといえ、架空の理想の相手を想像するのだから。
「うん、わかってる。
 正博くんみたいに、男の人でもちゃんとした人がいるってわかってる。
 職場でも問題にならないし。
 ……でも、いざ、声をかけられると……怖くて。
 たまたまエレベーターの中でも二人きりになると、もうダメで」
 絞り出すように紗季は言った。
 男の自分にはどうすることもできない問題だった。
 しかも僕は紗季の望む『ちゃんとした人』でもなかった。
「紗季ちゃんに合わせて恋愛をしてくれるヤツもいるって。
 親に言われれば、焦るとは思うけど。
 親は親だし。
 こう言っちゃなんだけど、世代間の価値観ってどうしても差が出るし。
 紗季ちゃんのペースで好きな相手を見つければいいんだよ。
 それまで僕も『友だち』としてきちんと付き合うからさ。
 最後まで味方だから安心して」
 僕は笑顔のまま紗季を見た。
「正博くん、ありがとう。
 とっても感謝している」
 ホッとしたような顔をして紗季は言った。
 男性恐怖症、という一言では片付けられない問題だった。
 僕がこうして紗季の手を握っていても違和感を覚えていないのに、いざ異性だと意識すると恐怖の方が上回るようだった。
 紗季は結婚を夢見る女の子なのに。
 恋愛に憧れ、異性との交際だって期待しているだろう。
 じゃなければロマンティックな恋愛映画を見たりはしない。
 これは将来設計以前の案件だった。
 ためいきになりそうな息を無理やり飲みこんだ。
「僕はたいしたことをしていないよ」
 魔法使い失格だと思いながら、今夜もシンデレラを家まで送り届ける。
 日付が変わる前に。
 魔法が解ける前に。
 『友だち』として電車の中で話をしながら、考える。
 好きな女の子の幸せを。
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