#04. Burnable garbage.
その日はよくある一日だった。
私の休日であり、かといってゲームにログインする気にもなれずに、窓を閉じていた。
フローリングの床に寝転がりながら、視覚を遮断していた。
オーディオプレイヤーから流れているのは古典的なクラシック音楽だった。
感傷的になっているのだろう。ずいぶんと昔に発売されたCDであったし、普段ならわざわざこのCDをかけることはない。音楽情報としてパソコンに入っているし、同じ指揮者の同じ楽団のCDを購入しているからだ。個人的に購入したCDは綺麗なものだった。同じ物を所持し続けるのは無駄に近い。が、私とて譲れないものもあるのは確かだった。
聴覚に集中していたから、当然、その音に気がつくのも早かった。
施錠しておいたはずの鍵が開けられて、フローリングが軋む音。
私が立てる音よりも、間隔が開くし、音も大きい。単純な体積の差だろう。別段、彼が――《黄昏》が粗野なわけではない。どちらかというと、無駄の少ない、人の目を気にするような所作だろう。いてもいなくてもわからない。存在感のない仕草ができる。
だからといって窒素とは違う。人間が活動するために必要な空気中に必要な成分のほとんどを占めるものを窒素――有毒空気と発見されたのは皮肉なものだ。
原子番号7。元素記号はN。植物には不可欠な成分でもあった。
「食事、食べれなかったのか?」
声が降ってきた。私が寝ころんでいるから当然の事象であろう。
私は目を開いた。《黄昏》がいた。彼にとっても休日に当たる日なのだろう。ラフな姿ではあったし、見落としそうな流星のようなシンプルなシルバーピアスも髪の隙間から見えた。
「水分なら摂った。
病院へ行くほどだとは思えない」
私は発声をした。気管に違和感はなかった。ただ他者と会話をしていなかったために掠れてはいただろう。
《黄昏》から指摘された通り、一般的な食事は摂取できていない。豆乳飲料を無理やり飲みこんだぐらいだ。しかもわずか200mlの紙パックですら持て余してしまった。あとは脱水症状を起こさない程度に、定期的に水分を摂っていたぐらいだ。常温になってしまったお茶が入ったガラスの保水筒がテーブルに放置されている。
「……睡眠は?」
《黄昏》が確認をする。
「いつも通りだ」
私は正直に答えた。面倒なことだったが、フローリングの床に肘をつき、体を起こした。
私が座ったからだろう。《黄昏》もまた私の近くに腰を下ろした。それでも若干の身長差が開く。
「つまり寝ていないと」
《黄昏》は私を見た。
距離が近いせいか、虹彩の色までわかる。似ているようで似ていない。この場合、私の方が悪いのだろう。
《黄昏》の虹彩の色は、日本人に最も多い色をしている。濃褐色。つまり『黒』と呼んでもいいようなダーク・ブラウンだ。
「横にはなった。
薬なら処方通りに服用した。
数えてみるか?」
私はパソコンのモニターの前に置いてある紙袋を差した。さすがに幼い頃とは違う。独り暮らしができるほどの大人になったのだ。薬を処方された通りに飲まないことのデメリットぐらいは理解している。
「次に行く時にきちんと自分から話せるか?」
《黄昏》はあくまでも冷静な目で尋ねる。念を押す形に近いだろう。あいかわらず心配性だった。
私という存在が他者に対して、心配、同情、憐憫をイメージさせてしまうのは、変えることのできない『私』という個体だからだろう。努力をしたことがなかったわけではないが、実を結んだことはない。過程に重きを置いて許されるのはせいぜい高校生までだろう。
成人した人間には許されていない。結果こそが社会的に評価される。どれだけ努力したところで、それを許容するほど世間というものは心が広くない。
「そこまで《黄昏》に迷惑をかけるわけにはいかない。
それで何の用だ?
電話もなく、メールもなく。
直接、家に来るなんて」
私と《黄昏》の関係性は、世間から見れば奇異なものだろう。お互いに合鍵を持っていて、勝手に家に上がっても問題がないのだから。
《黄昏》が私の賃貸契約を結んでいる家にアポイントメントも取らずに当然のように侵入してきたところで、住居侵入罪は成立しない。家主である私の意見は黙殺されるであろう。
そして、私もまた《黄昏》のアパートに上がりこんだところで、家主である《黄昏》から直接、合鍵をもらっているのだから問題にはならないだろう。
「顔を見に来たんだよ」
《黄昏》は言った。
「私にはよく理解できない感覚だな。
別段、現実世界で顔を見る必要はないだろう。
ネットで充分だ。
声だって聞けるし、顔を見ようとすれば顔だって見られる」
私の言葉は言い訳に等しいだろう。私がインターネット上にいなかったからこそ、《黄昏》は休みの日だというにわざわざ私の家にやってきたのだろうから。
いくら徒歩で行ける範囲にお互いの生活環境があるとしても。
「全部、無視ってる人間には言われたくないんだが?」
《黄昏》は私の予測範囲の質問をした。やはり咎めに来たのだろう。あるいは生存確認をしに来たのだろう。
「私を人間のカウントに入れる人間は少数だ。
botではないのは確かだが。
実在を証明する必要はないだろう?」
電話でも、メールでも確認できるはずだ。わざわざ顔を見に来る必要性はない。
やはり私が意識不明の重篤な症状を起こしている判断をされたのだろう。似ている状況下なのだから、私の言葉は上滑りしている。
インターネットができないほどには、私は生きてはいなかった。重度なインターネット依存症の私が長時間、インターネットにふれていないのだから、《黄昏》の判断は的確としか評価できない。
「raison d’etre(存在意義)してやろうか?」
《黄昏》は言った。
レゾンデートル。フランス語だ。英語の存在証明と言わらずにフランス語を使う辺り、あいかわらず博識であり、語学が堪能だ。
私とは違う人生を歩んでいて、私とは理解力が違う。《黄昏》にとっては片手間にできてしまうことなのだろう。
「神を殺したか、哲学的だな。
それとも科学的にアプローチするのか?」
神は死んだ、といって宗教から解放したのはニーチェだった。信仰で思考を停止させて生きるのではなく、地に足をつけて行きていく。時代に対して、センセーショナルな問題提起だった。
だからこそ『神は死んだ』という言葉だけが一人歩きしてしまい、趣旨まで話題にする人間はこの時代は少ない。
《黄昏》が言いたいことはもっともなことだ。死ぬな、と言ってるのだろう。誰もが隣人の死というものは嬉しくないだろう。
たとえすれ違っただけの相手であっても。あるいは、こちらが一方的にしか知らない相手であっても。『お別れ会』という名で開かれる宴。あるいは、俳句の季語にすらなる忌。定期的にくりかえされる儀式だ。私とて毎年のようにくりかえしている。
ただ神というのを哲学的にアプローチするとなると前時代的だろう。前提条件、という数学的な試みでしか証明できないのだから。『いる』ことを前提しなければならないほどの、存在ということだ。当たり前だが『いる』のだから、結論としては『神がいる』ことになってしまう。滑稽な話だが、宗教に縋りつかなくては民族意識を保てない場合は有効なのであろう。妄信とは、狂気にも似たものである。あるいは人間を殺すのだから凶器と言い換えても良いのかもしれない。
「どうせ人は死んだら燃えるゴミだ」
私は言った。
「《shi》」
《黄昏》が呆れたように私のハンドルネームを呼ぶ。
「法律で定められているだろう?
遺体は一部の例外を除き火葬にする、と」
私は定められていることを言った。先の発言は情緒的ではなかっただろう。私自身ですらそう思うのだから、付け足しておくことにした。私が体験して、今の私を形作った『喪失』はゴミ出しのカレンダーとは違っていた。
あれは多感な時期における『喪失』だったから印象深いのか、それとも身近なものだったから印象深いのか、私には理解できない事柄だった。
ただ今の私に黒い服を着せる日が近づくと、去来する感情があるのは確かだった。
『喪失』した存在を『燃えるゴミ』とは未だに思えない。手放すことのできないモノクロの写真に、私はしがみついている。
ただ私自身は『燃えるゴミ』としての評価されるぐらいでちょうどいいと思っている。
少なくても《黄昏》にとっては『燃えるゴミ』でありたい。愛玩動物以下の扱いでかまわない。
流れているCDが悪いのだろう。フローリングの床だというのに、嫌でも思い出してしまう。
《黄昏》の背中を見続けていた幼い自分を。あの頃は《黄昏》のタイピング音を子守歌代わりにしていた。打鍵音がそれほどうるさかったわけではなかった。使っていたキーボードも今と変化したとは思えない。
唐突に《黄昏》が私の手首をつかんだ。いきなり首をさわれるよりはマシだったが、あまり嬉しくはない展開だった。荒れることを知らない指が滑っていく。三本の指が私の青い浮き上がった橈骨動脈で止まる。先ほどまで私を見ていた《黄昏》の視線は、彼のアナログの時計に注がれる。時間にして60秒。
「安静状態でこの脈拍か」
《黄昏》はためいき混じりに言った。
「やっぱり病院だな。
自覚症状がなさすぎる」
《黄昏》は私を見た。この場合、私には決定権はないのだろう。今までもそうであったのだから、今回の場合もそういうパターンなのだろう。
私の手を離した《黄昏》は当たり前のように立ち上がり、私の家のクローゼットを開く。その中から羽織るのにちょうど良さそうな上着とストールを取り出す。私が黙って座りこんでいるからか、そのまま外へ出ても問題がない程度の支度をさせられてしまう。
その上で常に持ち歩いている鞄や携帯電話といった物を手渡される。
――その後の記憶は混濁していて曖昧だった。また『燃えるゴミ』になり損ねたのは確かだった。あいかわらず、私は《黄昏》の手によって、生かされているのだった。《黄昏》は空気のような存在だった。
きっと私が『燃えるゴミ』になる日が来たら、酸素の役目を果たしてくれるだろう。原子番号8。元素記号は0。私という個体に結合してよく燃やしてくれるだろう。それこそ 鼓動を刻む心臓も、思考する脳も、灼熱に焼き溶かされて、最後は真っ白な骨になる。私は骨組みだけになる。
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