Twilight
同じ日本にいるのだから、いつか会おう。
それが最期のメッセージだった。
顔を見たこともない、声を聞いたこともない。
そんな相手だった。
すれ違っただけの相手だった。
数日後、その家族からメッセージがもたらされた。
英文で書かれたメールは――訃報だった。
どこにでもあるような、よくある話だった。
人気の少ない夜の時間、飲酒運転をしていた車が青信号の横断歩道に突っ込んだ。
閑静な住宅地で、時間も遅かった。
横断歩道を渡っていた人物は、すぐさま救急搬送されたが、病院にて死亡が確認された。
その葬儀への案内だった。
++++
生まれて初めて参列する葬式というものは奇妙なものだった。
白いカーネーションを献花台に捧げる。
そこで初めて写真で顔を見た。
実の父親よりも歳を取っていた。
多くを語るような相手ではなかったし、インターネットとはそんなものだ。
プライベートなことまで踏みこむことはマナー違反だった。
ずいぶんと慕われていたようだった。
日本だというのに、当たり前のように様々な癖のある英語が飛び交っていた。
年齢も、体格も、髪の色も、肌の色も、瞳の色も違っていた。
その中で、青年は身の置き場がない、と感じた。
どう考えも自分が一番若い。
元の位置まで着席すると、遺族の挨拶を聞く。
それで式次第は終わりのはずだった。
参列者が帰るのに合わせて立ち上がる。
「もしかして《Twilight》かしら?」
片言の日本語で声をかけられて振り返った。
戸籍上の名前から選んだ、一番長く使い続けたハンドルネームだった。
この葬儀で、学生といった若さで、黄色人種ともなれば、珍しいを通り越しているのだろう。
すぐさま遺族から特定できたのだろう。
「そうですよ。お世話になりました」
《Twilight》と呼びかけられた青年は英語で答える。
「実は形見分け? というものがあるの。
日本ではあることなのでしょう?
是非とも《Twilight》に受け取ってほしい、という故人からの希望があって」
と老婦人といったた女性は片言の日本語と共に小箱を手渡す。
「感謝いたします」
青年は英語で答えて、礼儀上小箱を受け取った。
「あなたのことを最後まで心配していたみたいだから、お守りだそうよ」
老婦人は片言の日本語で言った。
青年は微笑むだけにとどめて、立ち去った。
日本らしいお悔やみの言葉はふさわしくない。
死者は神のもとで安らかになるのだから。
《Twilight》と呼ばれた青年は、新幹線の中で小箱を開いた。
シンプルなシルバーピアスが入っていた。
青年は捕まえ損ねた流れ星のようだ、と思った。
もし、この星を捕まえることができたのなら、渇望するような願いは叶うのだろうか。
そんな未来はあり得ない、と微かに笑った。
世話になった相手の願いだ。
両親からもらった体を損なう行為だとわかっていたが、青年はピアスホールを開けた。
いつの日か、お守りが必要なくなる日が来ることを期待しながら。
++++
青年にとって、両親はあまりにも善良的だと思っている。
今時、珍しい家庭だと思っている。
理想的な家庭なのだろう。
できるだけ物分かりの良い息子を演じていた。
それでも閉塞感は否めなかった。
両親の希望通りの大学に入学にしてからは、親離れと称して、自由に気ままに過ごすことにした。
モラトリアムの時代、と言えば通りが良かった。
両親も咎めることはなかった。
それが変わったのは父親が遠縁の親戚の葬式に行った日からだった。
姻族ぎりぎりと呼べる中学生の少女を両親が引き取ったのだ。
唐突に『妹』ができたのだ。
父親からは『兄』として振る舞うように強要された。
記憶がない時に母親を亡くし、父親だけに育てられた少女は、小さな白い箱を抱えて、よれよれの中学校の制服をまとっていた。そこには表情らしいものはなかった。
もちろん身近な死に直面すれば、思春期の子どもには重たいものだろう。
しかも見知らぬ地に連れてこられて、顔見知りもいない。
だが、父親から見せられた書類を一読した青年には暗澹たる厄介ごとだと思った。
アルコール依存症の父親から育てられ、虐待を受けていた形跡が丸わかりだった。
慢性的な栄養失調で、極度に背が低く、細すぎる肉体。
まだ日本では有名になっていないが重度な精神疾患を抱えていることが理解できた。
すでに睡眠障害を抱えており、食事すらまともに食べない。
家庭的な食事に、一切、手をつけようとしない。
そのために栄養点滴を受けることも多かった。
何かに怯えるように、クローゼットに逃げこむ。
青年は、その度に『兄』として『妹』の面倒を見ることになったのだ。
両親からの電話も増えた。
++++
そして、この日も母親から電話がかかってきた。
大学の講義が全部終わったら帰る、と言い残すと青年は電話を切った。
すでに夜の遅い時間に帰宅すると明からに両親は不満そうだった。
青年は与えられている自室に戻った。
室内には古典的なクラシック音楽が流れ続けていた。
青年が家を出る前にかけていったCDだった。
嫌いではなかったが、好みでもない。
わざと足音を立ててクローゼットに近づく。
クローゼットの扉をノックする。
『妹』の戸籍上の名前を呼ぶ。
腕時計の秒針が一周するほど待っただろうか、反応はなかった。
青年はゆっくりと扉を開いた。
黒づくめの服の中に埋もれるように、真っ白なワンピースをまとった小柄な『妹』が眠っていた。
安心しきっているのだろう。
健やかに眠っていた。
こちらの気配に気がついたのだろう。
『妹』は目を開けて、こちらを確認すると逃げるように距離を取ろうとする。
が、狭いクローゼットの中だから逃げる場所もない。
「お腹空いてるだろう」
青年は鞄の中から未開封の栄養補助食品とペットボトルをクローゼットの傍に置く。
そして目の前で、同じような物を口にした。
青年が完食するのを見届けると『妹』は恐る恐る手を伸ばして、クローゼットの中で食べ始める。
両親が見たら、眉を顰めるような光景だろう。
それを知りながら、青年はしばらくそういう生活を『兄』として続けた。
食べられる固形物を少しずつ増やしていった。
危害を加える相手ではない、と『妹』もわかってきたのだろう。
何かあるとクローゼットの中に逃げこむことが多かったが、ノックすれば自発的に出てくるようになった。
こちらが話しかければ、言葉を発しないものの意思の疎通ができるようになった。
気に入った音楽もあったらしい。
青年が家を出る前に、一枚のCDを差し出すようになった。
モーツァルトを代表するような、1/fゆらぎを持つような古典的な音楽だった。
やがて『妹』の部屋にCDごと渡すと、自分の部屋の布団の中で眠るようになった。
それでも、起きている時間は青年の部屋の片隅にいることが多かった。
青年が放置していれば、『妹』は小さな体を小さくして眠りこんでいることも増えてきた。
さすがに畳の上に、いつまでも寝かしておくわけにはいかない。
抱え上げてみれば、驚くほど軽い体だった。
娘を欲しがっていた両親が買い与える服は、少女趣味も良いところだった。
淡い色のワンピースは針仕事の集大成と呼んでも良いものだ。
着せ替え人形にするのが楽しいらしい。
それを揃える程度にしか切らない髪が彩るものだから、よくできたビスクドールのようだった。
落とした瞬間、陶器のように砕け散るのではないか。
そんなことを思うほど、精巧にできた人形のような『妹』だった。
青年がためいき混じりに、小さな体を抱き上げて『妹』の部屋の布団に押しこむことも日常になりはじめた。
++++
そのうち、善良な両親が勉強を教えるように青年に言ってきたのも当然の帰結だろう。
一応、大学で教職の単位を所得中だったのだから。
暇さえあれば『妹』は青年の本棚を物色していた。
大学の講義で使うようなテキストだ。
青年はほとんどノートといったものを取らなかったし、書いても要点のみであったり、ノート提出が必須の講義のみであった。
第一、青年の書いた要点は英語なのだ。
中学生には読めないだろう。
パラパラとめくっては無表情に眺めている。
相も変わらず、ほとんど会話は成立していない。
とりあえず引き取る前に使っていたと思われる教科書や副教材を見て、青年は唖然とした。
使った形跡がなく、新品同様だったのだ。
まともに義務教育を受けていない、ということだろうか。
『妹』に写真のふんだんに使われている副教材を広げてみせる。
小さな手がパラパラとめくっていく。
どうやら気に入った写真があったらしい。
国語の便覧だった。「糺の森」を注目していた。
白居易で有名な『長恨歌』に出てくる「連理の枝」だった。
解説文をずっと読んでいる。
『比翼連理』が羨ましいのだろうか。
とっかかりはできたので、専門分野ではなかったが、そこから手をつけることにした。
教科書と新品のノートと筆記用具を持たせて、ダイニングテーブルまで連れ行く。
椅子に座らせてノートの取り方から指示する。
新品のノートに2Bの鉛筆で書かれた文字は、歳に似合わない小さな細く右肩上がりの文字だった。
そのほとんどがひらがなであり、小学校低学年が使うような漢字が稀に混じったが書き順が正しくないものだったため、形が歪だった。
そして要点だと思われる箇所をローマ字で書きつけてた。
音韻としての表記ではなく英語の正しい文法で書いた。
到底、中学生レベルではない英語表現だった。
母国語が英語の者が使うような『英英辞典』を引いて出てくるような英語を書きつけていく。
確かに青年の本棚には『英英辞典』は置かれていたし、それを『妹』が眺めているのも見ていた。
記憶力は悪くないらしい。
それも、また病理の一つなのだろうか。
「勉強熱心ね」
と母親が紅茶を出した。
カップ&ソーサーにこだわるのは趣味なのだろう。
『妹』はノートを書く手を止めて、その紅茶を見た。
おおよそ家庭的な生活と絶無だったのだ。
飲むか、どうかも怪しかった。
恐る恐るといった拍子で『妹』はカップに手を伸ばした。
ティーカップを握りしめる、という形に近いだろう。
「とっても美味しい紅茶なの。気に入ってくれると嬉しいんだけど」
どこまでも善良な母親らしい言葉だった。
青年は諦めて紅茶に手を伸ばし、口に運んだ。
紅茶よりもコーヒーの方が好みだったが、それを両親に言ったことはない。
出されるから飲んでいるだけの、ものだった。
喉の渇きを癒すためだけのものだった。
じっと青年を見ていた『妹』は紅茶を一口、飲んだ。
母親を見て
「ありがとうございます」
と『妹』は言った。
少なくとも母親に対して、初めてしゃべった言葉だった。
表情らしい表情はなかったが、それでも母親は嬉しそうだった。
「気に入ったのなら、いつでも喜んで淹れるわ。
それとも一緒に淹れる練習をしましょうか?」
子宝に恵まれずに、娘が欲しいと言い続けた母親らしい言葉だった。
「……教えてください」
自発的に『妹』は言った。
家族愛に飢えているのだろうか。
とりあえず自分以外にも馴染む先があることは良いことだろう。
青年は『兄』として判断した。
++++
それから『妹』は両親に馴染んでいった。
父親を小父さんと呼び、母親を小母さんと呼ぶようになった。
ようやく家族らしくなってきたのだ。
もっとも青年に対してお兄さんと呼ぶことはなかった。かといって戸籍上の名前を呼ぶわけでもなく、いくつか使い分けをしていたハンドルネームの一つを呼ぶようになった。
言葉は固いものの話すようになったし、母親の手伝いをするようになった。
自分で行動することが増えたせいか、きちんと家庭的な食事をとることが増えた。
洗濯も掃除も見様見真似ですることが増えてきた。
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善良な両親を騙すような真似になるとは思ったが、下調べをした病院に『妹』を連れていくことになった。
いくつかの心理テストとカウンセリング。
下った病名は青年が予想していた以上に重たいものだった。
現時点で、治る見こみはない。
画期的な治療法がこの国にはないのだ。
一生、『妹』は薬漬けになるのだろう。
根気よくカウンセリングを受け、周囲の援助が受けられれば、どうにか社会生活を送ることはできるだろうか。
幸いなことに知的障害はなかった。
ただ有名すぎて、嫌悪されるような病名だった。
医師に書いてもらった診断書を両親に見せた。
さすがの両親も押し黙った。
だが、善良な両親だった。
『妹』の病気を個性として受け止めるのも早かった。
少々、風変りといった様子で家族として扱った。
それに『妹』も不満を感じているような節はなかった。
近所づきあいの中でも、家族から溺愛された箱入りの世間知らずの内気な恥ずかしがり屋な『妹』として通るようになるのも早かった。
青年も、また過保護な『兄』として振る舞った。
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それから定期的な通院が始まった。
家に馴染む前は、昼間の近所を散歩するだけで怯えていた『妹』だ。
電車に乗らなければならないような病院に一人で通院できるはずがない。
もちろん、その役目は『兄』としての青年に任された。
極端に他者との接触を嫌うはずの『妹』が手を引けばついてきた。
その事実が、両親から任された理由だった。
過保護すぎる両親と違い、適度の距離を取ったのが原因だったのだろう。
『妹』はほどほどの距離感が気に入っていたようだった。
他者と距離感を置きたがるのは青年と同じだった、というのに。
こちらは就活も、卒論も、教育実習もあったというのに。
厄介ごとは増すばかりだった。
++++
大学を無事、卒業し、就職もした。
独り暮らしを始めて『妹』とは縁が切れると思っていた。
物理的な距離が開けば、離れていくものだと思っていた。
が、ひっきりなしに両親から携帯電話にかかってくる。
また『妹』も家出紛いのことをしでかしたのだ。
連絡もなしに青年の独り暮らしをし始めたアパートの前で待ち続けていたのだ。
過去に連れ去り事件にあっているために、過敏にならざる得ない両親の手前、青年も放置するわけにはいかなかった。
『妹』の行動パターンからいえば、くりかえすのが目に見えていた。
青年は仕事の合間に実家に帰るはめになったのだ。
『妹』はあいかわずのようだった。
病識を持っていないものだから、断薬をしては不安定になっていく精神。
消極的な自殺をくりかえし、雨になれば水すら飲まない。
それが慢性的になっていた。
程よい孤独を手に入れることはできなかった。
青年の内面を理解しているはずの『妹』は遠慮なく近寄ってきた。
無事、義務教育を果たし、全日制の共学の高校に通い始めても習性は抜けきれないらしい。
年頃らしく青春を楽しめばよいものの、知識ばかりを詰めこんでいるようだった。
両親から聞く交友関係に問題があるようには思えない。
一応のところクラスメイトの中に、友人と呼べるような同世代の同性がいるようだった。
時折、実家で友人から勧められた少女小説や漫画を読んでいる姿も見られた。
ただ浮いた話が聞こえてこない。
女性というものは良くも悪くも父親に影響を受けて恋愛をする、という。
父親によく似た異性を選ぶ、という。
健やかな家庭に育てば、父親と似た趣味を持つ異性や雰囲気を持つ異性に惹かれるという。
『妹』は確かに実の父親を愛していたのだろう。
たとえ一般的な愛でなくても、それでも深く愛していたのだろう。
いつまでも手放さなかった白い小さな箱が、その証明のように思えた。
ろくに洗濯もせずに着続けた喪服のような中学校の制服が、その証拠のように思えた。
実の父親が死んだ日は梅雨の時期だった。
雨が降る度に思い出すのだろう。
本当は一緒に死にたかったのかもしれない。
それらを取り上げて、社会的な生活を送らせているのだ。
克服して『妹』は幸福な結婚をするのだろうか。
青年の善良な両親を手本として、人生観を構築しなおすのだろうか。
++++
『妹』が高校卒業後の進路を決める際に、青年も呼び出された。
進学校で上位の成績をキープしていた『妹』が専門学校に行きたい、と意思表示をしたためだった。
短大か四大を受けると両親は思っていただろう。
もちろん担任の教師も進路指導の教師も止めに入った。
だが『妹』は頑なだった。
今まで流されるように言いなりになってきた『妹』の初めての反抗だった。
青年が『兄』として確認してみれば、服飾学校の専門学校のパンフレットばかりだった。
それも一般的な専門学校ではなかった。
通常二年制が多い専門学校の中から四年制の専門学校を第一志望にしたのだ。
ウェディングドレスプランナー。
初めて興味を示した国語の便覧でも「連理の枝」を見ていた。
たとえ自分が幸福な結婚を送れなくても、それの手伝いをしたいのかもしれない。
あるいは間近で幸福な花嫁を見てみたいのかもしれない。
代償行為だろう。あるいは『昇華』になるのかもしれない。
深すぎる疾患を一生背負っていかなければならない『妹』にとっては良い目標になるだろう。
それに四年制の専門学校は取得単位数がある程度、求められるものの「高度専門士」という称号が与えらる。
四年制大学と卒業と同時に与えられる「学士」と同等の評価が与えられる。
高校と同じようにクラス制が採用される専門学校ならば、就職するのも難しくなく、所得する資格でいくらでも潰しがきく。
青年はそう判断した。
反対する大人たちに向かって『兄』として『妹』を庇ったのだ。
青年が『兄』として強制されたわけではなかった。
面倒なことから距離を置きたかったはずの自分が動いたのだった。
見返りのない行動は好きではなかったはずだ。
それなのに、青年は厄介ごとに首を突っこんだのだ。
結局のところ『妹』の意思は尊重される結果になった。
++++
その後、『妹』を冷たくあしらっても、気にした風でもなかった。
他人との距離感がわからないのだろうか。
初めて心を開いた相手だったせいだろうか。
鳥の雛のような刷りこみで、親鳥に迷惑をかけ続ける。
『妹』としての特権だと言わんばかりに。
ずかずかと無神経にも、青年の心に入りこんできた。
普通の人間だったら、立ち去るような扱いもした。
それなのに『妹』は同じ距離感にいた。
青年の実家の自室で眠りこむような立ち位置に居続けたのだ。
中学に転入する前のように。
『妹』は捕まえ損ねた流れ星のようだった。
お守り、だと言われた形見分けは、戒めになった。
いつかは幸福になって離れていくはずの『妹』だ。
そう言い聞かせられ続けたのだ。
青年は最初から『兄』ではなかったのだ。
その関係性が終わる日がくる。
所詮、作られた『兄妹』だったのだから。
『兄妹』という関係性に固執していたのは青年の方だったのだ。
物分かりの良い息子、という立場に慣れすぎたのだろう。
自分のことよりも、『妹』の幸福を願うほどには抜き差しらぬ想いに気がついた。
『妹』が幸福になるところを、一番身近で見ていなければならないだろう。
青年は疑似的であっても『兄』なのだから。
それでも一秒でも長く『兄』として振る舞った。
いつかは綺麗な想い出になると信じて。
捕まえ損ねた流れ星は大きすぎるようだった。
きっと、この願いは叶わない。
++++
あと何度、誕生月と称して『妹』を振り回すことができるのだろうか。
『兄』の仮面をかぶり続けて、接することができるのだろう。
出会った時、中学生だった『妹』は十二分に綺麗になった。
抱えている病気は重たいものだが、理解するパートナーが現れれば、個性的なものにはなるだろうが、結婚するのに支障はないだろう。
それだけの一般常識を手に入れた。
対人に対するコミュニケーションに問題はあるものの、ネットゲームを長く続けているのだ。
やがてネット恋愛するのかもしれない。
オフ会で出会って、そのまま交際のきっかけになるかもしれない。
実際のところ、すでにオフ会で本気になっている男がいるぐらいだ。
チャットをしただけ、というのに。
仮想現実だけではなく、現実で出会ったら、恋に堕ちるだろう。
娘が欲しがった母親の教育は完璧なもので、専業主婦として夫を支えていくには充分な生活能力を持っている。
決して出しゃばらず、夫を立て、金銭感覚もブレていない。
両親が溺愛したせいで、異性への免疫が極度に低い。
ある種の男の願望を集めるだけの美質を備えている。
『妹』の方は、相変わらず自分のこととなると、無頓着のようだった。
すでに社会人として独り立ちしているはずなのに。
実の両親の影から抜けきれないのだろう。
強制不可能な病理だとわかっているが、女性として幸福になってほしいと思う。
それは、すでに『兄』という立場から逸脱している。
だからこそ、一年に一度の贅沢だと言い聞かせている。
来年もあるのだろうか。
『妹』が紅茶を飲むために、引っくり返した砂時計のようなものだ。
さらさらと砂が零れていく。
目に見える形で終わりが来るのだろう。
いつまでも《Twilight》の時間は続かない。
ぼんやりとした時間は、それこそ終焉を迎えるだろう。
砂時計の砂は落ち切った。
慣れた手つきで『妹』はカップ&ソーサーに紅茶を注ぐ。
洗練された動作だった。
何もできなかった小さな『妹』はもういないのだ。
青年は、そっと紅茶を飲んだ。
《Twilight》の時間まで、あともう少しだけ、と甘えながら。
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