消えない烙印 07
成人まで半年。
さすがに周囲もしびれを切らしたらしい。
父王や兄だけではなく、嫁いでいった姉たちですら『気になる人はできた?』と訊いてくるようになった。
宴の後やお茶会の後。
あるいは手紙や花束や贈り物が届いた後。
この筆跡は素晴らしい。
書かれている詩は情熱的だろう。
気の利いた贈り物だ。
贈り主の男性をそう褒めたたえる。
たまには返事をしたら、どうだろうか、と提案をすることもある。
……そして、ベッドで金の首飾りを握りしめて大人しくしていたアニスの元に母親の王妃が訪れた。
あわてて起き上がり、身づくろいをしようと思ったが、そのままでいいと言われた。
国で一番身分の高い女性の前でするようなことではなかったし、産みの母親にするような態度でもないだろう。
王妃は完全に人払いをして、ベッドの上でうずくまるアニスの頭を優しく撫でてくれた。
母娘らしいふれあいな気がした。
「あなたは私たちを恨んでいることでしょう。
生まれてすぐに捨てて、大きくなったら急に呼び戻して。
今までの暮らしを手放させて、王女らしく振る舞うように強要して。
そして年頃になったから、有力な相手と結婚をしろと。
我ながら酷い親だと思います」
静かに母親は言った。
アニスはおずおずと顔を上げた。
明らかに後悔している親がいた。
王妃の言った言葉は、アニスが何度も考えたことだった。
物心がついてから、今までずっと思い続けていたことだった。
「ローザンブルグに帰れるように、私からも国王陛下に頼みましょう。
あなたが暮らしていた居城はレインドルク城だったわね。
そこまで行けば、また元の暮らしに戻れるわ」
哀し気に微笑みながら母親は言った。
……泣いているのだ。
「そのような親不孝なことはできません」
アニスは言った。
第一、送り出してくれた人々はアニスが本当の『家族』のところで幸せになることを信じていたはずだ。
今更、戻ってどうするというのだろうか。
アニスは王女らしく変わってしまったのだ。
外を駆け回るなんてしなくなった。
木登りだってできなくなっているだろう。
あるがままに振る舞う方法なんて忘れ去ってしまった。
いつだって物分かりの良い病弱な第三王女として微笑んできたのだ。
王女らしい生き方を急に変えられるほど器用ではない。
「ローザンブルグは素敵なところだわ。
私もそこで生まれて、あなたと同じ年ぐらいかしら?
ずっと暮らしてきたの。
国王陛下に出会う前はローザンブルグを出ることなど考えたこともなかった。
『エレノアール王国の大聖堂』と呼ばれる地に骨を埋めると思っていたのよ」
「え? お母さまもローザンブルグで育ったの?」
初めて聞く話だったのでアニスは驚いた。
誰も王妃の出身地など話題にしなかったためだ。
「そうよ。
それも、末端貴族だったの。
平民と変わらない暮らしだったわ。
マイルーク城を知っているかしら?」
「話だけは。
マイルーク子爵が幼なじみだったので。
城壁がない代わりに四方が森で囲まれていて、動物の憩いの場になっていて、城のすぐ側の礼拝堂にはどんな時期でも神に捧げることができるように、季節の花が絶えることがないって。
城が建国当時の様式だから、まるで砦のようで、麗しいレインドルク城やローザンブルグ城に比べたら、無骨なデザインだって」
アニスは思い出すように言った。
戯れにオルティカの居城の話をねだった時に聞いたのだ。
君が走り回っても誰も気にしないだろうけど、きっと美しくないと文句をつけるだろう。
と年上の幼なじみは微笑みながら言ったのだ。
「私はそこで、生まれ育ったの。
少し話下手で、不器用な父と優しく辛抱強い母の下で。
マイルーク子爵の娘として。
避暑に訪れた国王一家のお手伝いとして王家の離宮に出仕したの。
神さまが与えられた試練の始まりね」
後悔しているように灰青色の瞳を半ば伏せる。
「……お母さま?
お父さまに見初められて、子宝に恵まれて、幸せになったんじゃないの?」
アニスは目を瞬かせる。
かなり身分違いだが、それでも求婚されたのだったら、情熱的な恋だろう。
今だって国王が愛するのは王妃だけで、外国のように寵妃を持つことはない。
母親は女児のアニスだけではなく、きちんと兄である王太子を産み、健康で政治に明るい国民思いの男性として育て上げたのだ。
物語ならハッピーエンドだろう。
女としての幸せを体現しているはずだ。
「お父さまと結婚して、不幸せなの?」
アニスは思わず正直に質問してしまった。
淑女らしからぬ発言をした。
「不幸せではないけれども、幸福にはなりきれなかった。
……今でも、悔いることがあるわ」
哀し気に王妃は微笑んだ。
優しくアニスの頭を撫でながら。
だからこそ、よりアニスの胸は痛んだ。
「今まで家族ごっこに付き合ってくれてありがとう。
さあ、帰り支度を始めましょうね」
王妃は穏やかに言って、立ち去った。
残された娘はぼんやりと、それを見送った。
やっぱり本当の『家族』にはなれなかったのだと思った。
体に刻まれた烙印は消えることがないのだから。
二度目の捨てられる体験だ。
一度目は物心がつく前だった。
何度も考えたけれども、レンドルク城の人々は王都の人々よりもあたたかくて優しかったから、たまに引っかかるだけだった。
二度目の捨てられた体験は、言葉にならないほどの辛いものだった。
けれども、泣くのを咎められ続けた娘は素直に声を上げて泣くことができずに、……微笑んだ。