三浦紬


 三浦紬、20歳は非常に困っていた。
 もうすぐ21歳になる共学の大学に通う女子大学生だった。
 専攻をしたゼミナールの課題に対してではない。
 必要な単位を落しそうなわけでもない。
 こういった事態を招いたのは紬が引っ込み思案な性格なせいだということは分かっている。
 生まれた歳=彼氏のいない歴が同じ。
 さらに言えば異性の友人がいない歴もほぼ一緒だった。
 そう「ほぼ」一緒だった。
 スクールカーストでは底辺。
 目立つような容姿をしているわけではなく、取り柄と言えば真面目なところだけ。
 講義に欠席することもなく、受講中は必死にノートを取っている。
 板書をしない教授でもノートを取って、後から試験対策として別のノートに清書しているぐらいだった。
 だから要領のいい同性の知人からノートのコピーを依頼されるのはよくあることで、「紬ノート」という単語がある。
 だからスクールカーストの底辺にいるのに、とりあえず話すような知人がいて、連絡を取るぐらいの知人はいた。
 同じゼミナールの先輩や同級生とも仲は良好な方だと思っている。
 紬の人生は「その他大勢」だったのだ。
 モブ中のモブ。
 いてもいなくても気がつかれない。
 ある日、紬が消えても「紬ノート」がなくなるだけでトラブルなんて起きなさそうだった。
 三日ぐらいで、みんな忘れてくれそうな勢いがある。
 が、しかし、紬を人生を最大級に困らせてくれる原因が目の前にいた。
 増永陽馬という爽やか系の気配り上手なイケメン。
 いかにもモテます。
 女性に不自由したことがありません。
 そんな異性が目の前で食事をしていた。
 紬との共通点は同じ学年だけ。
 学部こそ同じだが、学科が違うから、ゼミナールだって違う。
 接点という接点は……あの日までなかった。
 それなのに学食とはいえ毎日、昼ご飯を一緒に食べる仲になっていた。
 一応、友人という関係なのかもしれない。
 「紬ノート」の利用者でもなく、お互いの連絡先を知っている。
 それどころか、おはようとおやすみのスタンプが毎日、陽馬から送られてくるのだ。
 これが高校だったらイジメにあっていただろう。
 大学構内であっても噂にはなっている。
 爽やか系イケメンというのは気配り上手で、異性の友人も多いから、紬が一人ぐらい混じっても、大きな問題にはならないのかもしれない。
 男女ともに性的な意味を含んでいなくてもモテる。
 「人たらし」という単語のままの存在だった。
 ムードメーカー、という感じで、いつでも人の輪の中心にいる。
 スクールカースト天辺にいるような陽馬は美味しそうに学食を食べていた。
 話を振るのも、話を広げるのも、陽馬だった。
 紬は曖昧に相槌を打つだけ。
 そんな相手と一緒にご飯を食べていて楽しいのだろうか。
 ……楽しくないような気がする。
「紬ちゃん、食欲ないの?」
 陽馬は自分の食べ終わりそうな学食から、紬のプレートを見た。
 紬の季節の野菜がふんだんに使われた日替わり定食は、あまり減っていなかった。
 食べるのが遅いということも差っ引いても、心配されるぐらいには。
 あなたのせいで胃に穴が開きそうなんです。
 とは内気で消極的な紬に言い出せなかった。
 曖昧に微笑むだけだった。
 出会ったその日には陽馬の中では「三浦さん」から「紬ちゃん」になっていた。
 紬も「増永くん」だったのだが、粘り強く食い下がられて現在は「陽馬くん」になっている。
 恐るべき社交性。
 「紬ちゃん」なんて小学校に入学してから呼ばれることはなかったのだ。
 最後に呼んでくれたのは幼稚園の園長先生だった。
「風邪でも引いた?
 急に寒くなったよね」
 明るく陽気に陽馬は言った。
 紬は上手に返事ができずに残りの昼ご飯を食べる。
 正直、味はまったく分からない。
 陽馬と昼ご飯を一緒に食べるようなってから、こんな調子だった。
「次の土曜日、用事ある?」
 陽馬は気にせずに尋ねる。
 手帳を出さなくても、紬の用事なんて高が知れている。
「特には?」
 口の中に入っていたニンジンを咀嚼し終わると紬は答えた。
「え、ホント?
 じゃあ19時ぐらいに会える?
 紬ちゃんの好きなカルーアミルクが本格的で美味しいお店があるって知ってさ。
 一緒に行かない?」
 陽馬はにこやかに言う。
「終電前には帰るけど?」
 紬は確認をする。
 一応のところ紬はまだ若い女の子であり、お酒を提供されるということはそれなりの繁華街というところだろう。
 人たらしの陽馬がそこまで女性関係に困っているとは思えないけれども、異性とアルコールを程よく取った後の展開……というのはお約束である。
 お持ち帰りをされるわけにはいかない。
 一夜の恋とか、割り切った関係とか。
 そんなものは紬にはハードルが高い。
 だからこそ実年齢と彼氏がいない歴が同じになってしまっている。
 現在進行形で。
 古すぎるとか、固すぎるとか、言われても、変えられない性格だった。
「もちろん、当然でしょ」
 陽馬は安心させるように言った。
 紬には門限があるわけでもないし、20歳過ぎの娘を心配するような過保護な家族ではない。
「じゃあ、楽しみにしているから。
 詳しくは後でメールするね」
 陽馬は笑った。
 爽やか系イケメンの全開の笑顔を被弾することになった、紬は箸を握りしめてしまう。
「増永~。
 ナンパしている暇があるなら、次の講義のノートを貸してくれよ。
 予習しているんだろ?」
 少し大きめな声が陽馬を呼ぶ。
 「紬ノート」があるように「陽馬ノート」もあるみたいだった。
「オレのノート代は高いぞ」
 陽馬の声は気さくで、明るい。
「分かっている。
 今度、メシ奢るからさ」
 声の持ち主は懇願するように言う。
 本当に困っているのだろう。
「学食よりもアマギフがいい。
 使い道が多いからさ」
 陽馬は応じる。
「現金だな」
「おトクに生きなきゃ。
 Win-Winだよ。
 じゃあね、紬ちゃん。
 ゆっくりご飯を食べていって」
 気配り上手な陽馬は紬に声をかけてから、プレートを持って立ち上がる。
 紬は残り少なくなった学食を見つめ、ためいきをついた。
 訳が分からない。
 こんな冴えない女子をかまう、とか。
 暇つぶしか、慈善事業の一環だろうか。
 とりあえず休日の予定が一件、増えたのは確実だった。


   ◇◆◇◆◇


 陽馬との出会いは大学生だったらよくある話だった。
 合コンである。
 紬にしては事件だったが、ありきたりすぎるような出会いだ。
 独り身でいることが寂しくなるような季節の到来。
 あるいはゼミナールが本格的になる前にパートナーを確保しておきたい。
 男子も女子も変わりがない。
 普通だったら紬まで声がかかることはないのだけれども、急に女子の数が足りなくなってしまったらしい。
 女子側の幹事が「紬ノート」の常連だった。
 数合わせだから。
 後で埋め合わせはするから。
 会費は女子はほとんどタダに近いから。
 二次会は出席しなくてもいいから。
 そんな風に拝み倒されるような雰囲気に、紬は気圧されるように頷いたのだ。
 合コンという場で出会いを求めるほど紬は大人になり切れていなかった。
 キラキラしすぎていて、逆についていけなかった。
 雰囲気の良い飲み屋での半個室。
 メニューは幹事側が決めていたものの、フリードリンク制だった。
 お金を払ったからには元を取るつもりで、紬は飲んでいた。
 できるだけ、場の中心にならずに、ひっそりと。
 それが悪かったのだろう。
 男子側の幹事の増永陽馬に気がつかれたのだ。
 明らかに盛り上がっていない人物は悪目立ちをしたのだろう。
 幹事なのだから、みんなが楽しんでくれないと困るわけで。
 ましてや「人たらし」の陽馬の性格的に見逃がせるはずもなく、程よいタイミングの座席異動で隣に座られたのだ。
 そこで一通り話し込まれた。
 簡単な自己紹介と誕生日、星座、血液型などなど。
 よくあるテンプレート的な話題。
 初対面だったら無難だろう。
 別に異性じゃなくても訊くような話だった。
 女子は星座占いとか、血液型占いとかが好きだから、この手の話は定番だ。
 占いなんかで相性を決められても困るし、それだけで仲良くなれるわけじゃない。
 出生場所や日時まで調べるホロスコープだったら、意味があるのだろうか。
 そんなことを思いながら、紬はカルーアミルクを飲んでいた。
「好きな色は?」
 世間話の一つ。
 だから紬はこだわりもなく答えた。
「青、かな」
 特に好き嫌いをするほど色にこだわりがあったわけではなかった。
「そうなんだ。
 イメージ通りだね。
 オレの好きな色は――」
 軽く酔いが回っている陽馬は楽し気に話す。
 そんなこんな二人は出会った。
 以来、三浦紬は増永陽馬に気にかけられている。


   ◇◆◇◆◇


 約束の土曜日。
 出かけると言ったら、お父さんは複雑な顔をして、お母さんには「お洒落をしていきなさい」とワードローブの確認をされた。
 陽馬が「本格的で美味しいお店」と言ったのだから気軽な居酒屋ではないだろうし、チェーン店でもないだろう。
 それなりの格好をして行かないと悪目立ちをする、から気合を入れていかなきゃダメなのだろう。
 集合場所、と指示されたのは大学のある路線沿いのターミナル駅。
 約束の時間の15分前には陽馬が改札前で立っていた。
 爽やか系イケメンっぷりが発揮されていて、ちょっとはお洒落をしてきて良かったと紬は痛感した。
 それでも釣り合いが取れていなさそうな凸凹コンビな気がする。
 隣とか歩いちゃダメなような。
 さりげなく歩調を合わせてくれた陽馬の斜め後ろを紬はついていく。
 気の張るような高そうなバーに辿りつき、紬に心拍数は格段に上昇する。
 今まで陽馬との食事は、学食以外は自分で食べた分どころか、割り勘にすらしてくれなくて、奢りだったのだ。
 カクテルが一杯当り千円越えしそうな気がする。
「どうしたの、紬ちゃん?」
「陽馬くんはこういうお店とか、よく来るの?」
 紬は緊張しながら尋ねた。
 陽馬は気にせずにお店のドアを開ける。
「よくは来ないかなぁ~。
 けっこう口コミとか調べて、雰囲気とかも良さそうだったし。
 本当は下見をした方が良かったんだろうけど」
 カウンターの奥にいるバーテンダーが静かに来店の言葉を告げる。
 ちょっと高めのスツールに器用に紬が座れるはずもなく、陽馬の手を借りるはめになった。
 メニュー表すら見せずに、陽馬は一杯目のカクテルを頼む。
 紬の目の前にはカルーアミルクが置かれた。
 普段、飲むようなカルーアミルクとは段違いだということが分かった。
 バーテンダーさんが入れてくれた手順だって、本格的だった。
 綺麗に磨かれた透明なグラスは、薄暗い店内でも輝いて見えた。
 まるで宝石のように。
「じゃあ、乾杯」
 陽馬はいつもよりも声を落して言った。
 騒ぐような居酒屋のノリでしゃべったら、お店の雰囲気が台無しだろう。
「乾杯。
 連れてきてくれて、ありがとう」
 紬は感謝の言葉を言った。
「オレが紬ちゃんと来たかっただけだから、遠慮しなくても」
 陽馬は笑顔で言う。
 ……勘違いする人続出だろうな、人たらし。
 と紬は思ったけれども、曖昧に微笑んだ。
 爽やか系イケメンなのに、気配り上手なのだから、老若男女からモテまくりな気がする。
 場違いだと感じながら、紬はカルーアミルクを一口飲んだ。
「美味しい」
 思わず言葉が零れた。
 今まで飲んできたカクテルは全部、適当に混ぜられた紛い物だったような気がしてくる。
 そんな味がした。
「ホント?
 気に入ってくれた?
 嬉しいな」
 陽馬はにこやかに言った。
「うん、とっても美味しい」
 自分の語彙力の少なさを残念に思いながら、紬は何度も頷いた。
「もう一つ、プレゼント。
 お誕生日、おめでとう」
 陽馬はカウンターに綺麗にラッピングされた小箱を置いた。
 リボンの色は青。
 初めて陽馬に出会った合コンで紬が適当に答えた色だった。
「この色、嫌いになった?」
 珍しく陽馬が不安げに訊く。
 アクセサリーが入っているようなサイズの小箱だ。
「嫌いじゃないけど……。
 あの、こういうものは本命の女の子に渡さないと勘違いされるというか」
 紬は痛々しいと思いながら言った。
 あくまで陽馬とは学食を一緒に食べる異性の友人だった。
 たまに他のご飯を誘われたこともあったけど、陽馬にはたくさん友人がいたし、異性の友人だっていた。
 紬は、そのはじっこにいるだけの一人にしか過ぎない。
「もしかして脈なし?
 何度も二人きりで晩ご飯を食べたりしたからイケると思っていたんだけど。
 確かにデートだって言わなかったけどさ。
 紬ちゃん無自覚だったんだろうけど、お酒が出される場所にホイホイとついていっちゃダメだよ。
 男が奢るとか、100%下心しかないからね」
 陽馬はためいき混じりに言った。
 完全にお説教モードだ。
 紬は思いっきり勘違いしていたことに気がつく。
「あの、ゴメンナサイ。
 私、実は彼氏いない歴と実年齢が一緒で。
 お付き合いとかしたことがなくて、告白とかされたこともなくって。
 全然、分からなかった」
 紬は正直に話した。
「紬ちゃんのことが本気で好きだから、彼氏候補として見てもらえませんか?」
 陽馬は真剣に言った。
「あ、はい」
 紬は途惑いながらも頷いた。
 三浦紬、21歳。
 異性の友人だと思っていた人物からしっかりと恋愛対象にされているなんて思ってもいなかった。
 青天の霹靂という単語のままに、振り回される一年の始まりだった。
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