禁断の愛

 共同計画の第二期も終わりが見え始めた。
 とはいえ、あくまで『上』が計画したプロジェクトの進行が順調なだけだった。
 成績もまずまずと判断して、『上』は新しい計画を練り始めるだろう。
 あるいは準備段階は終わっているのかもしれない。
 だからこそ、プロジェクトのリーダーになっているディエンにも余裕ができ始めていた。
 与えられた研究室で論文を読んでいるところで自動扉が開いた。
 サイレント・ソングに彩りを与えながら、靴音が響く。
「ようこそ、俺の愛しの女神様」
 ディエンは紅い瞳を転じて、シユイを出迎えた。
 読みかけの論文は自動的に栞が挟む込まれる。
 もっとも、そんなものがなくも苦労したことはディエンはなかったし、他の研究員たちも似たり寄ったりだろう。
「茶化さないで。
 真剣な用で来たんだから」
 金褐色のクセ毛を揺らしながらディエンの机まで近づいてくる。
 研究院の窮屈な濃紺の制服すら上等なドレスのように見える。
 白光の中で金属糸が複雑な浮かび上がる。
「いつだって俺は真剣なつもりだ。
 シユイに嘘をついたことはない。
 ストレートに褒め言葉だと思ってくれればいい」
 ディエンは肩をすくめた。
 出会う前から心に奪われた写真の女の子は喜怒哀楽がハッキリしている。
 天使のように愛らしい笑顔の写真を見てから、隣に越してくる日を指折り数えた十年以上前の話。
 会って、話してみれば、無垢で無邪気そのものだった。
 ずっとディエンはその恒星の引力に引きつけられている。
「外見は私が決めたものじゃないもの」
 シユイは不機嫌な顔をした。
 研究院では誰も話題にしない。
 そんなデリケートな生まれのせいだろう。
 薔薇の研究院はナチュラルが他の研究院よりも多い。
 比較対象のサンプルが多ければ、他人よりも感性にズレが大きいシユイでも途惑うこともあるのかもしれない。
「それは設計段階の話だろう?
 成長に後天的な要素が一つもないと言えば嘘になる。
 例えば髪の長さ。
 これは個人の自由の範疇だ」
 わかりやすい例をディエンは上げた。
 穢れのない女神のように神々しいスタイルの維持も後天性だ。
 髪の色、瞳の色を変えるのはシャワーよりも手軽なのに、研究院では何故かタブー視されている。
 が、肌の色を紫外線で焼くことまでは止められていない。
 メラニン色素が勝手に変化した。
 それを規約違反だと口に出す馬鹿はいない。
「……そういわれてみればそうね。
 仕事中だったの?
 プロジェクトは持ち出し禁止だから個人的な研究かしら?」
 シユイはディエンの机に手をついて、モニターを覗きこむ。
 白い繊細で陶器のような柔らかな手がふれている樹脂造りの机にすら嫉妬したくなる。
 ディエンは心の中で苦笑した。
「プライベートだよ。
 扱うのが高等生命体理論だから、隣接している。
 それに提出前の後輩の論文を読むのも研究院では伝統だろう」
 ディエンは答えた。
「後輩?
 じゃあ、ヤナ研究員の論文?」
 金褐色のまつげを瞬かせて、シユイは尋ねる。
 音楽的な声質は先ほどまでの不機嫌さは、どこへ行ったのか興味津々だった。
 あいかわらず星のことになると夢中になる。
 わかりやすいほど純粋だった。
「そうだ。
 シユイの専攻とはだいぶかけ離れているから、興味の薄いところだろうな。
 こっちも辞書と他の論文を並行しながら作業だから」
 樹脂造りの椅子に背を預けて、ディエンは答える。
 大量に開かれたウィンドウには様々な学者が書き残した論文が表示されている。
「トップ研究員が?」
 不思議そうにシユイが訊く。
「ヤナの個人的な研究は『上』では評価されづらいが、難しい分野でね」
 良き隣人ではあるまいし、ディエンはただの人間だ。
 暫定的にトップ。
 第一位研究員と呼ばれているだけで、権限が増えるわけでもない。
 ……雑用が増える傾向はある。
「惑星を作るのが得意、って聞いたけど?
 一般的な研修生でもできることよね?」
 シユイが確認する。
 スクールを卒業して、アカデミーに割り振られ、そこを順当に卒業してる頃には比較的簡単な惑星の設計図ぐらいは引けるようになっている。
 さらに研究院に所属して研修生になる頃には、『上』からも成果も求められる。
「レプリカが得意だ。
 再現率が異様な数値を叩き出す。
 技術的には失われたものであっても、限られた資材で再現できる。
 骨董趣味だとか言われるが、あそこまで完璧にレプリカは俺でも作れない」
 ディエンは答えた。
 薔薇の研究院は前時代的な骨董趣味でできている。
 そう他の研究院では評価されるがヤナのレプリカはそれを軽く超える。
「私にはもっと無理そうね。
 研究室に置いてあるものは前時代的なものばかり。
 太古の黄金惑星にあったもののレプリカ。
 ……稀有な才能ね」
 シユイは納得したようにつぶやく。
「そういうこと。
 で、今は植物学に傾倒しているらしい。
 『薔薇真珠』がいい機会になったのかもしれないな。
 植物学者になれるような知識力だ」
 初めて造った惑星。
 それも愛する相手と共同で作成した星。
 懐古趣味でつけた名前は『薔薇真珠』。
 貝の体内で作られる天然の真珠だけに与えられる美称。
「ああ、それで。
 あなたは人間の可聴領域で歌う生き物が専攻ですものね。
 隣接と言うには遠いような気もするけれど」
 高等生命体理論の前段階で植物学も含まれる。
 遺伝子の進化樹は枝分かれしながら明確にディエンやシユイまで到達する。
「他に論文を読める相手がないないのだから仕方がない。
 薔薇の研究院だから、先行論文が残っているぐらいだ。
 『上』に許可を求めてデーターベースの開示を頼む必要性がありそうだ」
 ディエンは微苦笑を浮かべた。
「そこまでニッチな論文なのね。
 面白そうだわ」
 ヘーゼルの瞳はキラキラと輝いている。
 宇宙構成学が専門分野だから、ディエンが読んでいるヤナの論文を理解するまでどれぐらいの月日が必要だろうか。
 他の分野も幅広く知ることは悪くはないが……。
「ここに来た用件よりも?」
 ディエンは話の軌道を戻す。
「……ついつい話し込んでしまったわ。
 あなたと話すのは色々な発見があるから。
 昔からのクセね」
 シユイは困ったように微笑んだ。
 麗しい唇が紡いだ用件は、相も変わらず突拍子もないことだった。
「禁断の愛が分からない?」
 ディエンは尋ね返した。
「恋愛小説における山場というのは恋人同士のジレンマだと思うの。
 何かしらの障害があって二人は結ばれない。
 もしくは片方が想いを告げられない。
 これで定義はあっているかしら?」
 シユイは真剣な表情で言った。
 どうやらテキストをかなり読み込んだようだった。
 女性主人公の恋愛小説にずいぶんと造詣が深くなった。
 が、偏りがあるのは相変わらずだった。
 気になるタイトルから片っ端から手に取っているようだ。
「間違ってはいない」
 ディエンは頷いた。
「そう、良かったわ。
 ここの前提条件が違っていたら、最初から考え直しだから。
 いくつかのテキストで『禁断の愛だから』というフレーズがあったの。
 禁止される愛なんてあるのかしら?」
 ヘーゼルの瞳は真剣だった。
「ない」
 ディエンは明確に答えた。
「じゃあ、ディエンにも禁断の愛が理解できないの?」
 それは困ったわ、と付け足すようにシユイはつぶやいた。
「禁止される愛がない、というだけだ。
 想うだけなら自由、という言葉もある。
 他人に迷惑をかけなければ、心の中でどういったことを考えていても自由だろう?
 『愛』というフレーズじゃなくても『上』は口に出さない限り、取り締まれない。
 生きている人間を輪切りにするわけにはいかない、からならな。
 基本的には、問題行動を起こさない限り、自白剤といった薬物の使用も禁じられている」
 ディエンは研究院での常識を改めて説明する。
「じゃあ、『禁断の愛』って何?」
 シユイは無邪気に尋ねる。
 答えが欲しくてすぐさま大人に尋ねる子どものような口調だった。
「自分一人で考えたのか?」
 ディエンは再確認する。
 考え抜いた末でループに陥った可能性もある、と判断したからだった。
「イールンと一緒よ。
 私だけじゃ理解できなかったから。
 友だちと一緒だったら解けると思ったの」
 シユイは胸を張って答える。
「人選ミス」
 ディエンは即答した。
「まだ結婚を考えるほどの年齢じゃないぐらい若いから?」
 シユイは問いを重ねる。
「それもあるけど、そもそも研究院には――正確には結婚という制度が残っている場所は少ない。
 広い宇宙の中で、故郷の船は数少ない例外だ」
 ディエンは保守的な故郷を思い出しながら答えた。
 薔薇の研究院に在籍していながらも目の前の恋人と結婚を意識するのは、今まで培われた人生観からだろう。
 両親が結婚したのだから自分たちもするだろう、と思ってしまう。
「そうね。指摘されて初めて思い出したわ」
 クセのある金褐色の髪を細い指先でくるりとクセを思い出させるようにシユイは巻く。
 困惑した時や不安な時のシユイのクセだった。
「イールンは『良き隣人』だ。
 あえて『子ども』という単語を使うが、『子ども』を作るのに制約はない。
 俺たち以上に制約がなく、『子ども』を作る理由のほとんどが個体数の減少により、維持するために『上』同士が遺伝子を掛け合わせて『子ども』を作る。
 受精卵は人工子宮で育てられ、妊娠も出産も子育てすらせずに個体数を保つ。
 個人的に『子ども』が欲しくなった場合もクローニングがほとんどだ。
 自分の細胞から自分の『子ども』を作る」
 ディエンは『良き隣人』の知っている知識を話す。
 常識になりすぎて、問題にもなりすらしない話題だった。
 だからこそ人工生命体、人工機械と言われるのだった。
 黄金惑星を出た人類たちにとっては信じられない子孫の残し方だった。
 部品でしか過ぎないのだ。
「たまに好ましく思える相手と遺伝子を混ぜて『子ども』を作ると聞いたわ。
 それで子育てもする、と」
 シユイは小首を傾げる。
 ヤナ経由でイールンの遺伝子学上の『兄』が結婚したことをディエン自身も聞いている。
 シユイとイールンは友だち同士なのだから、もっとオープンに話していることだろう。
「好ましい相手に通常の倫理観はない。
 それこそ恋愛小説に出てくる『禁断の愛』の相手でもかまわない」
 ディエンは言った。
「例えば?」
「結婚という制度がないのだから、既婚者という存在がない。
 成人していると『上』が認めているのならば、歳の差も関係ないだろう。
 同性であっても、遺伝子を提供してもらうだけなのだからかまわない」
 ディエンは『禁断の愛』が古典化した理由を説明する。
「それは研究院の中でも同じじゃない」
 シユイはハッキリと言った。
「遺伝子改良できるから近親者でもかまわない。
 親、兄弟の関係であっても同じだ。
 そもそも『良き隣人』を作るにあたって俺たち祖先がやったことだ。
 動植物の品種として固定するために、近親での交配は必須だ」
 ディエンはかつてであったら『禁断の愛』と呼ばれたことを人為的に行った説明をする。
 神の領域に人間がふれた禁忌だ。
 宇宙歴以前に行われた罪深き実験。
 何故、人類はもう一つの人類を造り出したのか。
 ディエンには理解できないし、わかりたくもなかった。
「……そういうことね。
 それじゃあ、イールンにとって障害のある恋はないのね」
 シユイは頷く。
「そういうこと」
 ディエンは形ばかりの笑顔を浮かべた。
「じゃあ、私は一生『禁断の愛』が理解できないまま終わるのね」
 残念そうにシユイは言った。
「ある意味、俺たちはしているじゃないか」
「え?」
「シユイが引っ越してきた理由だ。
 通常妊娠できないために、受精卵を作るにあたって、遺伝子改良をした」
 デザイナーベイビー。
 その出自はシユイのアイデンティティに関わる。
 生まれる前にどうすることもできない壁だ。
「ええ」
 シユイは気まずそうな顔をした。
「その船だったら、ナチュラルに分類されている俺との恋愛は禁断だろう。
 紅い瞳は一度も遺伝子改良をしたことのない証拠だ」
 ディエンは薄く笑った。
 研究院だからこそ問題にはならない。
 あるいは保守的な故郷の船だったら、何も言われないだろう。
 お隣同士だった同い年の幼なじみの二人は、結局結ばれたのか、と笑い話になるだけだ。
「周囲に反対されても愛してくれた?」
 ヘーゼルの瞳が真っ直ぐとディエンを見る。
「故郷を離れる結果になっても、シユイが俺を嫌いになるまで手を離さない」
 ディエンは断言した。
「まあ、素敵ね。
 『禁断の愛』を貫いて、大恋愛をしていることになるのね」
 シユイはようやく嬉しそうに笑った。
「納得いただけたのなら、幸いだ」
 ディエンも紅い瞳を細めた。
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素材【evergreen】