別離

「イールン。少し話があるんだ」
 惑星『薔薇真珠』を経過観察中のことだった。
 一般開放されていない地区だから人気はなく、二人きり。
 今日も大気は安定していて青空が広がっている。
 ヤナが望んだ太古の黄金惑星のように、美しい青空だった。
 あるいは薔薇の研究院で度々、目撃するような色をしていた。
 改まってヤナを口を開いたものだから、イールンは周囲を見渡す。
 バラ科の植物たちは巡回する風に揺れていた。
 花びらは散っていないけれども……。
 目の前の青年は稀有な存在だった。
 イールンにとって、という意味だけではない。
 黄金惑星の血を一度も絶やさずに連綿と引き継いできた純血種《ナチュラル》。
 しかも植物たちはヤナの精神とシンクロする。
 『シンパシー』持ちなのだ。
「しばらく研究院から離れることになったんだ」
 ヘーゼルの瞳は用件を伝えることに困惑していた。
 衝撃的な事実を知らされたイールンはただヤナを見上げた。
 想定外の理由に脳内が演算する。
 『上』が決めた研究員はよほどの理由がなければ自らの意思で研究院から離籍することはできない。
 体力の限界。脳の衰え。
 イールンたちには馴染みのないものだったが、人間にはある。
 目安としては三十代半ば。
 ちょうど生殖をするために研究院から離れる。
 ナチュラルの価値観からいえば『結婚』をして、繁殖をしたい、ということだろう。
 どれだけ理性的に振る舞っても人間は動物だ。
 適切な時期に肉体が成熟して、性的な欲求が高まる。
 研究院ではある程度セーブされがちになるから、やや遅く……晩婚の傾向がにあるだけで、本来のピークは二十代だ。
 早すぎる繁殖活動ではない。
 女性体であれば肉体が出産に耐えられる年齢になっていて、知識も親になるのに問題はなく、トラブルも起きづらい。
 第一子目を早めに持つことは第二子、第三子を持つのに有利だ。
 人類が繁栄していくためには重要な戦略だ。
 イールンたちのように造られた人類とは違う。
 ヤナはまだ十代であったから、まだ先の話だと思っていた。
 が、男性体として子をなすのであれば、すでに肉体は成熟している。
「あ、誤解ないで!
 故郷の……研究院でも変わった習慣が僕の家にはあって」
 ヤナは焦ったように告げる。
「家、ですか?」
 イールンの脳は新たなデータを加算されて演算をし直しをする。
 個人名と割り振られた市民番号しなかない時代だ。
 ファミリネームといったものは大昔にしかない。
 人間が黄金惑星を出てしばらくしてから廃止された。
 名乗る自由はあるが、あえて名乗るような人物は研究員向きではない。
 ナチュラルでも生まれ育った船の名前を名乗るぐらいだ。
「僕は惑星育ちでずっと地表で暮らしていたから。
 家に帰るのには、一回、研究院が籍を抜かないといけないらしくって。
 初めての手続きで僕にも、まだ理論的に話せない部分なんだけど。
 手続き上は依願退職扱いになるんだ。
 実際は休暇と変わらないんだけど」
 ヤナは言った。
「なるほど」
 研究院のルールを引き出しイールンは納得する。
「どこの星系の惑星に戻られるのですか?」
 イールンは尋ねた。
「家に帰ると言っても、家族と合流してすぐに移動するから、故郷の惑星に足をつけるわけじゃないらしい。
 大気圏内で船で拾われることになっている。
 予定では半月ほど、研究院から離れることに決まったんだ。
 行き帰りで大きなトラブルがあるとは思えないから、期間内に研究院に戻ってくるよ」
 ヤナは言った。
「里帰りではないのですか?」
 地表主義であればその故郷の惑星まで行ったのに、大気圏内までしか入れない。
 それは苦痛ではないだろうか、とイールンは考えた。
 特にヤナは生まれ育った惑星を愛していたように思えた。
 今まで共にした時間の中で、たくさんの知らないデーターをイールンに与えてくれたのだ。
「惑星開発に携わる人間だったら一度は憧れている太古の黄金惑星に行けることが決まったんだ。
 ……イールンと半月も離れるのは寂しくなるけど」
 ヤナはヘーゼルの瞳を半ば伏せる。
 ヤナの専攻は惑星開発だ。
 実際、二人が降り立っている薔薇真珠の惑星もヤナのユニークな発想がなければ、完成することがなかった星だ。
「あの星は『集合意識体』で決定で人類の24時間以上の滞在が許可されていないはずです。
 大気圏内を含めての計算です。
 いくつもの審査を受けて、大量の書類に一つも不備がなく提出しても、許可が出るのは一部の人間だけです」
 イールンは目を見開く。
「うん。すごく幸運でね。
 ……いや、本来は不幸があった、というべきところなんだけど。
 こういうところは僕が研究員なんだな、って思うよ。
 祖父が他界したんだ。
 前々から両親から話は聞かされていたし、最期は眠るような緩やかな死だった、と聞いた。
 祖父が亡くなる前に映像電話もできたから、それほどショックじゃないから安心して。
 可愛がってもらった記憶もあるし、僕自身が研究院に興味を持ったのも祖父が研究員だったからだ」
 ヤナは努めて明るく言った。
 お悔やみの言葉など知らないイールンには助かったけれども。
 もたらされた新しいデーターは驚愕するべきなことだった。
 最近、死亡した元研究員。
 太古の黄金惑星――地球に墓を残せるほど功績を挙げた。
 墓標を建造させるほど、黄金惑星に愛着があり、強い希望があった。
 祖父という言葉から男性体で高齢。
 条件に一致するのは一人だ。
「似ていませんね」
 イールンはストレートに言った。
 遺伝子レベルで調整されるヒトとは違うのだ、と隔たりを強く感じる。
 個体差は性差すら曖昧にさせる。
 『上』こと『研究機関統合監査室』にも多少の情があるのだろうか。
 同じ個体同士を掛け合わせた場合は、いわゆる『家族』に見えるように特徴を持たせる。
 そういった指示が出るのだ。
 逆らったら重大な命令違反……犯罪行為とみなされ、除外される。
 デメリットの方が多いからリスク回避のために、イールンたちは従っている。
 ハオレンが黒い直毛を切らないのと同じだ。
 イールンと『兄妹』であるという一目で判別できる特徴になっている。
「隔世遺伝でもしない限り、そっくりとはいかないかな?」
 ヤナは気にせずに言葉を続ける。
「惑星育ちだったから、遺伝子のプールは狭い。
 研究員になるために幼年学校に通い始めた時はとっても驚いたよ。
 全然、違うんだなって。
 もちろん、そこには優劣を決めるのは正しいことじゃない。
 みんな違って、それがいい。
 僕もかなり変わっているから受け入れてもらえるだけでも研究院の心の広さに感謝している」
 ヤナは穏やかに微笑んだ。
 イールンとは違った意味で奇妙な目で見られたことだろう。
 そして、現在は『シンパシー』を持つために、もっと重責は増したはずだ。
「そうですね。
 ヤナにしばらく会えなくなるのは寂しいと感じますが、有意義な休暇にしてください」
 寂しい、という感情があることが嬉しい。
 一人では知らなかった感情だ。
 真珠の研究院でトップ研究員として過ごしていたら気がつかなかったまま終わったことだろう。
 無駄な感情、だと以前のイールンだったら思ったはずだ。
 でも、今はそれがとてつもなく嬉しい。
 それを教えてくれた青年を真っ直ぐとイールンは見つめる。
「ありがとう。
 僕もイールンに会えなくなるのは寂しいよ。
 連絡も取れなくなるしね」
「そういった法律です」
「うん、わかっている。
 ルール違反はしないよ。
 研究員の地位を剥奪されて、二度とイールンに会えなくなるから。
 さすがに嫌だ」
「お帰りをお待ちしています」
 イールンは自然と言えたことに喜びをかみしめる。
 ヤナが帰ってくる場所だと自信を持って言える。
 そんな自分が誇らしかった。
「明日の朝には発つ。
 行ってくるよ」
 寂しそうにヤナは言った。
「そうですか」
 ギリギリまで打ち明けてくれなかったのは、それだけ書類が多く、忙しかったからだろう。
 審査期間を考えても、頻繁に会って、薔薇真珠の研究――経過観測などをしている暇などなかったはずだ。
 寝る間も惜しんでくれたのだろうか。
「お体に気をつけて」
 人間らしい言葉だろうか。
 ヤナとの違いを知る度にイールンは意識をする。
 決して同一にならないように意図的に配列された遺伝子。
 だからせめて人間に近い考え方……思考パターン。
 『心』がヤナに似るように、と。
 寄り添えるように、と。
「後ろ髪を引かれる思いってこういうことなんだろうね。
 一生に一度もないようなチャンスなのに、イールンと離れたくないんだ」
 ヤナは困ったように笑った。
 それに合わせてバラ科の植物たちも枝を鳴らす。
 太古の黄金惑星。
 そこに降りられるチャンスは研究員であっても滅多に巡ってこない。
 一生に一度も大気圏内に入れずに終わる研究員が大多数だ。
 ヤナの専攻は惑星開発。
 そんな条件とイールンは天秤にかけてもらえた。
「とても光栄です。
 ヤナのその言葉だけでも私には望外な喜びです」
 イールンはストレートに告げた。
 感じたことを伝えた。
 それでもヤナの表情は晴れなかった。
 言葉選びを間違ってしまったのだろうか。
 適切な語句を選んだつもりだった。
「ありがとう、イールン」
 親切なヤナは静かな笑顔を浮かべた。
 やはりヒトでしかないイールンたちには寄り添うことはできないらしい。
 失敗は成功の糧。
 学習していけばいいだけだ。
 解析して、次までに理論を組み立てる。
 ヤナの半月の休暇中の課題がイールンの中で決まった。
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素材【evergreen】