意識する

 ハオレンがわざわざ『結婚』をすると言う。
 男性体と女性体が同じ年長者であるからして、普遍的には『兄』と呼ぶべきだろうが、残念ながらイールンは共に育てられたわけではないのでその概念は理解しがたい。
 真珠の研究院を目指し、トップ研究員になれるだけの資質を持ちながら、幼年学校―-スクールに上がる前から『変わり者』だったために、わざわざイールンは造られたのだ。
 イールンは現時点で造られたことに後悔はしていないので、『意識集合体』の判断は誤っていないだろう。
 そもそも研究院には『結婚』という前時代的な制度はない。
 そういったものは宇宙歴元年以降は形骸化をたどる一方だった。
 書式として一部の人間のために残されたが、イールンの過ごしている時代では珍しいを通り越している。
 今の今までイールン自身も『結婚』を意識したことがなかった。
 自分の生命が尽きる前に子どもを作る。
 それすら考えても見なかったのだ。
 イールンの持つ知識は常に論文として発表され、記録されている。

 けれども。
 ヤナとの想い出は?

 一緒に過ごした時間。
 その時に感じた心の動き。

 それを伝えておく相手はいない。
 いまだにイールンたちであっても脳の中身はブラックボックス化しているのだ。
 完全には解明されていないために、記録として媒体に残しておくのは非常に困難だろう。
 また毎秒毎秒変わっていくものを長期保存しておく方法は、現段階でも存在していない。
 そうすると自分の遺伝子配列をコピーして早めに伝えるのがベストだろうか。
 子どもが欲しい、というのはそういうことなのかもしれない。
 単為生殖する単純な生物のように。
 別段、研究院では珍しくもない行動だ。

 ただ、そこにヤナの遺伝子が混じっていたら?
 生殖活動を行わなくても、受精卵を作ることは可能だ。
 そうやってイールンも造られたのだから。
 自分とヤナの場合は、リスクは大きいだろう。
 根本的に種が違うのだ。
 単純に遺伝子をかけ合わせればいいという問題ではない。
 歪な惑星を作るように……そう『薔薇真珠』を創り出した時のように、調整はハイレベルになるだろう。
 どれだけ入念な計画をしても、一度や二度の挑戦では厳しいことは予想される。
 ただ、前例がないわけではない。
 娯楽などに興味の薄いイールンですら数件の成功例を知っている。
 あのハオレンですら挑戦するのだから、ちょうどよい身近な事例になってくれるだろう。
 『兄』個体なのだから、性差があるとはいえ遺伝子配列が似通った部分が多い。
 本来であれば真珠の研究院のトップ研究員であったはずなのだ。
 変わり者らしく論文はユニークだ。
 イールンでは発想できない斬新な視点を持っている。
 それを手本にできるチャンスはそう多くないことだろう。
 ただハオレンは『結婚』してから、子どもを作るという。
 研究院の外では、それが一般常識なのかもしれない。
 特にヤナは地上出身という珍しい育ち方をしているナチュラルなのだから、イールンの方から歩み寄るべきだろう。
 こういったことを相談してもシユイは怒らないだろうか?
 友だち、だと言われた。
 困ったことがあったら話して欲しいとも。
 イールンは時計の数字を確認してシユイがいる薔薇の研究院の部屋へと向かった。


   ◇◆◇◆◇


「結婚?
 いつかはするでしょうね」
 私室でくつろいでいたシユイは笑顔で出迎えてくれた。
 その上で、ストレートに答えてくれた。
「でも、ディエンは第二期のプロジェクトリーダーなのよ。
 忙しすぎて無理だと思うわ」
 シユイは疑いもせずに言った。
 そのことにイールンは瞳を瞬かせた。
 ディエン研究員とシユイは恋人同士なのだからありえる未来だったが、そこまで二人の関係が進んでいるとは想定外だった。
 ディエン研究員とヤナは仲が良く、二人ともナチュラルなのだから、イールンにとっては好都合な条件が揃っている。
「シユイはプロポーズをされたのですか?」
 イールンは念のために確認した。
「……プロポーズってあれよね。
 『結婚してください』って言われることよね?」
 ヘーゼルの瞳がじっとイールンを見る。
「おそらく一般的には」
 古い映像ディスクの中でしか見聞きしたことのない知識だった。
 バリエーションがいくつかあるようだが、結婚を申し込む……プロポーズの台詞では基本中の基本だった。
 エラーを起こす必要がないほどシンプルな表現だったからだ。
 何事もわかりやすい方が遠回りをしないで、解決する。
「言われたことがないわ」
 あっさりとシユイは言った。
 その口調は落胆もしていなければ、不安にもなっていなかった。
 いつもながらの活舌がハッキリとした物言いだった。
「それなのにディエン研究員と結婚する、という未来を疑ったことがないのですか?」
 イールンは規格外の友だちに驚く。
「迂闊だったわ。
 私の両親も結婚していたし、ディエンの両親も結婚しているの。
 だから、結婚するものだと思っていたわ。
 思い込みというのは怖いものね」
 シユイはにっこりと微笑んだ。
「思い込み……ですか?」
 確信しているような言葉にイールンは混乱する。
「でも、突然、どうしたの?」
「シユイたち流に言うと『兄』が愛する女性と結婚して、子育てをするそうです。
 それで私も子どもが持つことに興味を覚えたのですが……ナチュラルであれば『結婚』が先であろうか、と仮説を立てたのです」
「あら、おめでとう。
 お兄さんが結婚するなんて。
 同じ研究員?」
「はい。歓喜の研究院のトップ研究員で、名前はハオレンです。
 この間、プロポーズをするために『薔薇真珠』から12本の薔薇を採取に来ました」
 イールンは答えた。
「そうなのね。
 じゃあ、イールンは結婚式に参加するのかしら?
 まさか研究院の制服で参列するの?」
「ケッコンシキですか?」
「知らないの?
 花嫁と花婿は白い服を着て、真っ赤な絨毯の上で、永遠の愛を誓うって約束をみんなの前でするの。
 で、参列してくれた家族や友だちから造花じゃない花びらをまいてもらうのよ。
 少なくとも私とディエンが育った船では、そんな感じで『結婚』を祝福してもらっていたわ」
「そのような習慣もあるのですね。
 ……地上出身のヤナでしたら、独特な行事がありそうですね」
 イールンは専門分野外の知識の狭さに恥ずかしい思いをした。
 子どもが欲しい、とはまだ言い出せそうにない。
 そもそもプロポーズのルールの半分も理解できていないのだ。
 映像ディスクでも、ハオレン自身もそうだが、男性体からするケースの方が多かったような気がする。
 あとで統計を取ってみなければならないだろう。
 この調子では前途多難すぎる。
 イールンは幸せが逃げる、とわかっていながらためいきをついた。
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