恋に堕ちる

 人工生命体でも恋に堕ちるのか?
 その答えはイエスだ。
 人類は遺伝子レベルで人間を改造ができる時代になった。
 デザイナーベビーと人工生命体の違いはどこにあるのだろう。
 髪を染め、瞳の色を変え、肌の色をいじるのは、シャワーを浴びるように手軽にできる。
 そんな世の中で出自をこだわる人間は少数派になりつつある。
 それでもシンパシー持ちの青年と良き隣人である少女の恋に眉をひそめる人間がいた。
 純粋に地球由来の遺伝子だけで構成された肉体。
 それ故にもたらされた超能力。
 血を絶やすのはもったいないと思われる。
 それでも青年は少女を愛した。
 真っ直ぐすぎる想いに拍手を送りたいぐらいだった。
 前途多難だろうが応援したくなる。
 見守りたくなるような恋だった。
 歌うようにさざめく瞳には、生粋の人間はどう見えるのだろうか。
 自分たちよりも早く老い、死んでいく生命。
 夏の羽虫のように儚い魂。
 人工的に造られた体で、嫌悪されることもある。
 心があるとは思われていない。
 そう区別された人工生命体たちは人間をどう思っているのだろうか。
 紛い物の心に、造られた魂に、恋はどう感じるのだろうか。
 効率から離れた感情だ。
 それでも人工生命体は恋に堕ちるのだ、とディエンは思う。
 純粋に、真っ直ぐに、これ以上ないぐらい深く。
 たとえ子をなすことができない関係であっても。
 永遠を誓う日が来るのだろう。
 ただ一人と決めた生命に置いていかれて、永い時間を独り過ごすことになろうとも。
 二人で作った想い出たちを胸に、生きていくのだろう。
 痛みすら、与えてくれたことを喜ぶのだろう。
 独りでは知ることのなかった感情を教えてくれた。
 そのことを幸せだと感じるのだろう。
 人工生命体の恋は、ただの人間であるディエンには分からない尺度の長さだ。
 どれほどの覚悟を持って、恋に堕ちるのだろう。
 人として扱われながら、人間ではないされる生命体。
 恋に堕ちた人間の生命が終わる瞬間に、ついていきたいと思わないのだろうか。
 決して、生命を断つことができないとされている身で。
 見送るしかない体で。
 忘れる事のできない脳で。
 最後の呼吸が止まるまで覚えていなければいけない。
 そんな残酷なモノを造った人間の罪は重い。
 独りで取り残されたくなかったから、見送るモノが欲しかったならロボットでも良かったはずだ。
 どうして人間そっくりな生命体を生み出したのだろう。
 人間よりも清らかで、人間よりも穢れなく。
 機械作りのように間違いがなく。
 そんなものに心を教えたのだろうか。
 『恋』するような魂を与えたのだろうか。
 人工生命体がいるのが当たり前の時代のディエンには分からない。
 過去の人間たちの思考は読めない。
 分かるのは人工生命体であっても人間のように恋に堕ちることだった。
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