ハッピークリスマス♪
何事もなく、冬休みに突入した。
本当に何事もなく。
カレンダーが指し示す日付は、12月24日。
クリスマス・イブだ。
何がメリークリスマスだ。
独り身にとっては、ただの冬休みだ。
早めの夕食をとって、居間でかかっているテレビをなんとなくながめていたら、母が声をかけてきた。
「お隣の香澄ちゃんでも誘って、駅前のイルミネーションでも見てきたら?」
それができたら、苦労はしない。
妹は彼氏とデートで、父は部署での忘年会で夜遅くなると連絡があった。
母と二人きりのクリスマスを過ごすはめになってしまった。
「あんなに可愛い子に恋人がいないなんて、世の男たちは甲斐性がないわね。
お母さんだったら、放っておかないわよ。
香澄ちゃんがお嫁さんに来てくれればいいのに」
食べ切れなかったケーキを冷蔵庫をしまいながら、母が言う。
相変わらず理想が高い。
「来年は受験生なんだから、楽しんでいらっしゃい」
「へいへい」
俺は立ち上がった。
これ以上、小言を聞いていたら気が滅入りそうだ。
何もないから母と二人でケーキを食べるようなことになった。
それを察して欲しかった。
母の言葉に背中を押されて、コートを引っ掛けると、隣の家のインターフォンを鳴らす。
コートのボタンをはめながら、マフラーを結ぶ。
香澄は不在かもしれない。
その可能性が高かった。
香澄は俺よりも交友関係が広い。
だから、電話もしなかったし、メールも出さなかった。
程なく玄関のドアが開いた。
おばさんは笑顔で迎えてくれた。
「ちょうど良かった。
香澄ときたら、ふてくされて困っていたところの。
敬幸君が来てくれて助かったわ」
大歓迎を受けた。
これは神様がくれた今世紀最大のラッキーなのでは。
神様ありがとう!
キリスト教徒ではないけれど、今日ばっかりは信じてもいいかも。
「これから駅前広場のツリーを見に行くんだけど来るか?」
俺は言った。
「行く!」
香澄が飛び出してきた。
普段着の香澄は、それはそれで可愛かった。
学校では毎日、顔を合わせているが、休みの日に会うことは減っていた。
制服姿ではないのは新鮮だった。
「すぐに支度するから」
香澄は階段をどたばたと上がっていく。
「敬幸くん、お茶でもどう?」
おばさんは気を使ってくれた。
「大丈夫です」
俺は言った。
きっとニコニコ笑顔をしているんだろうな、と思った。
「じゃあ、香澄の支度を待っててくれる?」
おばさんの言葉に俺はうなずいた。
時計の秒針が5周した。
赤いダッフルコート姿の香澄が降りてきた。
他の男に見せるのがもったいないほど、可愛かった。
幼稚園の頃から仲良しこよしで、今もクラスメイトだったが、香澄の可愛さは別格だった。
本人を前にして言ったことはなかったが。
北風、吹きすさぶ中、恋人同士であふれかえっているだろう駅前広場に向かった。
「寒いねー」
香澄は当たり前のことを言った。
駅前まで道のりは、今日ばかりは煌々と明るかった。
電飾で飾られた家々を眺めながら、歩く。
「冬だからな」
ついついぶっきらぼうなこと答えかたになってしまう。
「いつも一緒にいる友だちは、どうしたんだ?」
てっきり友だち同士でクリスマス会をしていると思っていた。
「奈津美は彼氏とデートだって」
「いたのか」
「できたの、間違い。
最近になって告白されたんだって。
それで今頃は、楽しくデート中」
香澄が不機嫌だった理由がわかった。
親友を彼氏に取られたようで、寂しいのだろう。
俺にとっては幸運以外、何ものでもなかったけれども。
「香澄にできないのは、何でなんだろうな」
「幸ちゃんもいないじゃん」
「香澄がいるから、いらないな」
本心を混ぜて、俺は言った。
たぶん、香澄は気がつかない。
俺の心音が届かなくて良かったと思う。
「どういう意味?」
「面倒事はこれ以上、抱えこみたくないからな」
「幸ちゃんの甲斐性なし」
「はいはい」
似たような台詞を母からも聞いたな、と思った。
世の男性というのは、そんなにまめまめしいものだろうか。
いまいちピンと来ない。
他愛のない会話を続けていると駅前広場に着いた。
予想通り、恋人や家族連れで混雑していた。
もう夜も遅い時間だというのに、ご苦労なことだ。
「星が降ってきたみたい」
LEDに照らされた横顔は、きれいだった。
女の子らしい発言に意識する。
幼なじみという距離感が邪魔をする。
いつまでも一緒。
そんなことも、終わりが近づいてきている。
たとえ恋人ができなくても、進む進路が違うだろう。
高校までは同じでも、大学は別々になる。
ただのお隣さんになるのだ。
アルバムだけの存在になってしまうのだろうか。
「星が落ちてきたら、大惨事だな。
街が一つ分ぐらい吹っ飛ぶ」
「幸ちゃんは、どうしてロマンの欠片もないことを言うの。
たまにはその賢い頭をフル活用したら?」
香澄の声がとがる。
機嫌を損ねたようだ。
「香澄に使うのは今更だろう?」
ほくろの位置まで知っている関係だ。
言葉を飾って、機嫌を取っても意味がない。
そんな薄っぺらいこと言うようなつもりはなかった。
「だから、幸ちゃんには彼女ができないんだよ」
「俺に彼女ができたら、誰が香澄の面倒を見るんだ?」
「自分のことぐらい自分で、できるよ」
「そういうことにしておいてやるよ」
本当のところ、俺に彼女ができるよりも、香澄に彼氏ができるほうが早いだろう。
なまじっか可愛いから、男同士が牽制を張って、誰も告白ができない。
振られるのが怖い。
そんな女々しい理由が一番だった。
香澄の場合はそんな感じだった。
俺は幼なじみという特権を行使しているけれども。
ふいに強い風が吹く。
電飾が揺れ、光の洪水がまばゆい。
隣にいた香澄が小さなくしゃみをした。
「そろそろ帰るか」
駅前広場のツリーを見るというミッションはクリアした。
来年は恋人同士という関係で、見上げてみたい。
そんな野望を抱いてしまう。
実際は、受験でそれどころではないだろうが。
「来たばっかりだよ」
香澄は言う。
「仕方がないな。
風邪を引いてもしらないぞ。
あ、馬鹿は風邪をひかないか」
ついつい軽口を叩いてしまう。
好きな女の子に意地悪してしまう。
幼稚園児ではあるまいし。
そう思うが、考えるより先にしゃべってしまう。
「幸ちゃんの馬鹿!」
「聞き飽きたな。
他の罵倒言葉はないのか?
ワンパターンだ」
俺の言葉に、香澄は口をつぐむ。
しばらく考えこんでいたが、ためいきをついた。
白いためいきはLEDの輝きの前で、すぐに溶けていってしまった。
俺はマフラーを香澄の細い首に巻いてやる。
「ありがとう。
幸ちゃんのにおいがする」
「汗臭いか?」
「ううん。
幸ちゃん家の柔軟剤、好きだな」
香澄は笑った。
いつかは、失われるのかもしれない。
特等席は他の男のものになるのかもしれない。
そんな貴重な時間を過ごしている。
「風邪を移されたら嫌だからな。
家に帰るまで、貸しといてやるよ」
俺は照れ隠しに言った。
「幸ちゃん、優しいね」
「今頃、気がついたか」
俺の言葉に、香澄は笑顔を深くした。
それが本当に可愛くって、独占している幸運に胸がいっぱいになる。
やっぱり、他の男には任せておけない。
神様、勇気というものを俺にお与えください。
「だって、幸ちゃん。
いつも意地悪なんだもん」
「今日ぐらいは特別だ」
「明日からは通常運転?」
香澄が見上げてくる。
「冬休みの宿題は、自力で解けよ」
俺は話題をすりかえる。
クリスマスムードに酔って告白なんて俺らしくない。
香澄が俺を意識していないのは、わかりきっている。
無防備な笑顔だけで満足することにした。
「それぐらい自分で頑張るんだから」
香澄は言った。
「どうだかなー。
ツリーは、満足したか?」
「もうちょっとだけ。
こうしていてもいい?」
その声がとても小さかったから、ドキリッとした。
俺は無言でうなずいた。
クリスマス・イブらしいことをしているな。
そんなことを思いながら、電飾に飾られたクリスマスツリーを見上げた。
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