第七話 赤い薔薇(バラ)
 それは静かに、けれども確実にやってきた。
 全き太陽にかげりが落ちた。
 少しずつ日が欠けていく。
 目に見える形で、運命の日がやってきたのだ。
 王宮前の広場では、成人の儀がクライマックスを迎えようとしていた。
 それを嘲笑うかのように、月が日を食む。
 遠めから見ても王子の顔色は悪くなっていく一方だった。
 微熱をおしての儀式への出席だった。
 群衆に紛れて儀式を見守っていた真夜の心臓は早鐘を鳴らし続けていた。
 ざわめきが大きくなっていく。
 誰も彼も不安なのだ。
 どんどん日が痩せ細っていく。
 けれども、粛々と行事は続いていく。
 王から王族の一員として、王太子として剣が授けられる。
 薄暗い光の中、少年はひざまずき、手のひらを上に両手を掲げる。
 輝石が散りばめられた鞘に治まった剣が手渡される。
 その瞬間、王子は崩れ落ちた。
 真夜は小さく悲鳴を上げた。
 どよめく群集をかきわけながら少女は走った。
 今日の花も想い花ではなかった。
 真心をこめたつもりだったけれども、足りなかった。
 目深に被った帽子が飛んでいった。
 黒く長い髪が広がる。
 黒き娘がいるぞ。
 悪魔の手先だ。
 誰かがそういう声を発していた。
 今の真夜には雑音にしか聞こえなかった。
 一刻も早く王子の元へと駆けつけたかった。
 昼がどんどん侵食されていく。
 ごったがえす人の群れの中、真夜は逆流する。
 王子が王宮に運ばれていくのが見えた。
 一つだけ試してみたいことがあって、少女は庭園に向かう。
 太陽がほとんど欠け、いつもとは違う雰囲気をかもしだしていた。
 まるで夜のようだった。
 元気を失った花たちの中で、光り輝く花を見つけた。
 赤いバラだ。
 無意識に避けていた花の茎に手を伸ばす。
 棘がチクリと真夜の指先に突き刺さる。
 にじんだ血をハンカチで拭うと、赤いバラを摘む。
 ナイフで棘を切ると、真夜はまた走り出した。
 神さまお願いです。
 あの人の命を奪わないでください。
 誰よりも大切な人なんです。
 そんなことを思いながら、王子の寝室に向かう。
 御典医と王と正妃が王子の枕元に侍っていた。
 室内は蝋燭の明かりで煌々としている。
 少女が室内に入ると、みな安堵した顔をして出て行った。
「僕の真夜。
 顔色がすぐれないね」
 かすれた声で翔陽は言った。
 昼空色の瞳はいつものように穏やかだった。
 真夜は赤いバラを差し出す。
 涙が零れそうだった。
「ずっと欲しかった花だ」
 紙のように白い顔をして翔陽は言った。
 赤い花弁を引きちぎる。
「愛しているよ」
 王子は花弁を飲みこみ言った。
「置いていかないでください」
 真夜は涙ながら言った。
「そんな勿体ないことはできない。
 真夜は僕のものだからね」
 はっきりとした口調で翔陽は言った。
「祝福をくれないかい?」
 お決まりの言葉に、少女は少年の額にキスをする。
 唇を通して、微熱を感じた。
 次から次へと涙が落ちる。
「泣かないで真夜。
 僕なら大丈夫だよ」
 風もないのに揺らめく蝋燭の炎のような王子が言う。
「カーテンを開けてくれないか?」
 のろのろと真夜はカーテンを開ける。
 薄暗い光が差しこむ。
 太陽が元のようにふっくらと輝き始めていた。
 日食が終わりを告げようとしていた。
「僕はこの通り、生きているよ。
 真夜」
 翔陽は言った。
 真心は届いたらしい。
 それとも占が外れたのだろうか。
 どちらにしろ良いことだった。
 少女は手の甲で涙を拭った。
 王子が生きていることが嬉しかった。
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