生徒会役員
「ほれ」
 北条夜来は紙切れを差し出した。
 中性紙には大きく『進路希望書』と書かれている。
 差し出された側は一瞥もしなかった。
 樋口華蓮は窓辺でMP3プレーヤーを聴いていたし、早川綺月はレース編みを続けていた。
 夜来はつかつかと窓辺まで歩を進めると、イヤホンのコードを引っ張る。
 それは呆気なく抜けた。
 冷淡な眼差しと共に。
「雑用は楽しいか?」
 皮肉げな言葉が鋭く飛んでくる。
「たまたまだ!
 第一、同じクラスじゃないのに、生徒会役員というだけで、一くくりだ。
 自分の面倒ぐらい自分で見ろ」
 夜来は言った。
「提出日には出した」
 進路希望書を受け取ると、華蓮は窓にかざす。
 女のように細く綺麗な指が、カードゲームを興じるように中性紙をもてあそぶ。
「未提出だと言ってたぞ」
 夜来は眉をひそめた。
「白紙は、お気に召さなかったらしいな」
 華蓮は聞かせる風でもなく呟くと、耳にイヤホンを差しこむ。
 窓の外へと視線が向かう。
「俺は渡したからな」
 夜来が念押しすると、華蓮は紙をヒラヒラとさせる。
「きーちゃんも」
 書記の少年の目の前に、突きつける。
「綺月だ」
 レースでモチーフを編み続ける少年は訂正する。
「何だって、出していないんだよ」
「興味がなかったから」
「……和歩とかの、言葉みたいだな」
「あれとは別だよ」
 綺月は平坦に言う。
 表情にも、声にも感情は見えない。
 それが一学年下の緒方和歩と良く似ているのだが、前はもう少しマシだったような気がする。
 と、夜来は思った。
「僕の未来は決まっているから」
「芽生ちゃんのお婿さんとか?」
 夜来は肩をすくめてみせた。
 編み棒がピタッと止まる。
 感情が見えない瞳が夜来を見上げた。
 女性的な容貌をしている同級生は、ビー玉に彩色したような目をしている。
「夜来」
 綺月は名を呼んで、進路希望書を受け取った。
「君は内部進学。
 先生が言っていた」
 編みかけのレースを机の上に置くと、綺月はペンケースを開ける。
「通う先を変えるのが面倒だったし。
 どこ通っても、そんな変わらないだろ?」
 夜来は言った。
 大学部まであるエスカレータ式の学校に入学したのだ。
 お目当ての学部もあることだし、と夜来は気楽に進路希望書を書いた。
 簡単なテストと面接だけで、進学できるだろう。
 綺月は書き始める。
 軸が木製のシャープペンシルだ。
 何となしげに目を追うと、整った文字は国一番の医学部を持つ大学名を書く。
 学年でも上位の成績を維持してきた人間だ。
 やってやれないことはないだろう。
「はい」
 綺月は夜来に進路希望書を返す。
「自分で提出に行けば良いだろう?」
「話にならない」
 独特の抑揚で綺月は言った。
 夜来は、ちらりと進路指導の教師を思い出す。
「なんかおごれよ」
 しぶしぶと夜来は受け取った。
「暇人」
 ふらりと気配が動いたかと思ったら、背を這いずるような声が忍び寄ってきた。
「はぁ?」
 夜来が振り返る間もなく、紙が宙を舞う。
 慌てて、夜来はそれを受け止める。
 樋口華蓮と書かれたそれには、第三志望まで几帳面に埋められていた。
 それを見て、夜来は「うげっ」とうめいた。
 自分と大学名、学部、学科まで被っているのだ。
「よろしくな」
 華蓮は冷たく笑うと、すたすたと歩き出す。
 その耳にはイヤホンはない。
「どこ行くんだよ」
「施錠」
 華蓮は備品のロッカーを開ける。
 そこから制服のジャケットを取り出し、羽織るとボタンを全部しめる。
 学校案内のパンフレットになるような完璧な学生スタイルになると、腕章を安全ピンで留める。
 目立つそれには、役職である『風紀委員長』と刺繍されている。
「だったら職員室に寄るだろ!」
「面倒ごとは、俺の担当じゃない」
 パタンと華蓮はロッカーを閉める。
「お前の得意分野だろ?」
 冷たい笑みを浮かべたまま、華蓮は夜来を見る。
「どういう意味だよ!」
「そのままだ」
 華蓮は生徒会室のドアを開く。
 入れ違いに、
「あ、華蓮先輩。
 おはようございます!」
「施錠ですか? 大変ですね」
「……」
 匠烈炎、畠山楽璃、緒方和歩が入ってくる。
 華蓮は軽く手を上げ、するりとドアを通り抜ける。
「夜来先輩。
 また、何かあったんですか?」
 楽璃が穏やかな笑顔で尋ねてくる。
「どういう意味だ!!」
「いえ。
 施錠しに行くには、ずいぶんと時間が早いから」
 楽璃は閉まったドアをちらりと見て
「体よく、逃げ出したのかと」
 言った。
「先輩、またケンカしたんですか?」
 歯に衣着せずに烈炎が言う。
「……無駄」
 和歩がぼそりと言った。
「お前たちには先輩の偉大さというのを教えないとダメなようだな」
 夜来は言った。
「たった一年しか、人生経験の差がないのに、優劣がつくというのもずいぶんと不思議ですね」
 人好きする笑顔のまま、楽璃が辛辣なことを口にした。
 それに夜来は目を丸くした。
「何かあったのか?」
「いいえ、何も」
 楽璃は席に着く。
「いつもの延長」
 和歩は楽璃とは、最も距離の開いた席に座る。
 図書室から借りてきたと思われる、厚い本を取り出す。
「え? 楽璃、好貴と何かあったの?」
 烈炎が尋ねる。
「どうして、そこで彼女の名前が出てくるのか。
 僕に理解できるように説明してくれると、嬉しいんだけど。烈炎」
 楽璃は言った。
「和歩が『いつもの延長』って言ったからさ。
 つい」
 朗らかに烈炎は言った。
 この場の楽璃以外の、誰もが考えたことを。
 夜来は興味深く、成り行きを見守ることに決めた。
 オブザーバーというのは、面白いものだ。
「君が短絡的な思考に陥るほど、僕は彼女とややこしい関係にあるのかな?
 同じクラスで。
 彼女が学級委員長で、僕が生徒会役員。
 確かに、顔を合わせる機会は、他の学生よりも多いだろうね。
 でも、それだけだよ」
「まだ付き合ってなかったんだ」
 爽やかに、烈炎は地雷を踏む。
 夜来は笑いをこらえるのに、必死になる。
「少し話をしているだけで、彼氏彼女の関係になるんだとしたら。
 この世界の人間関係はずいぶんと複雑になるだろうね」
 楽璃は穏やかに言う。
「臆病者には便利な世界だね」
 カタンっと席を立つ音に、かき消されるぐらい小さな声が笑う。
「素敵な世界だ」
 綺月は言った。
 楽璃は表現しづらい表情を見せる。
 怒ろうとした瞬間に、冷水を頭からぶっかけられて、文句を言おうと見てみたら。
 冷水をかけてくれた人間が、泣いていたような。
 いくつかの表情が通り過ぎて
「イライラしていたようです。
 すみません」
 楽璃は夜来に謝罪した。
「誰だって、そんな日はあるだろうよ。
 気にすんな」
 夜来は言った。
 意外に、綺月は親切だな。後輩には。
 と思ったが口には出さなかった。
「で、きーちゃん。
 どこに行く気だ?」
「綺月だ。
 自販機。
 ココアを買いに」
「まさか、おごりってそれ?」
「缶ジュースにしようと思ったけど、紙パックに変えたほうがいい?」
 綺月は小首をかしげる。
 明らかに割り引かれている。
「アイス・ココア」
 夜来は釘を刺す。
 綺月は「じゃあ」と呟いて、生徒会室から出て行った。
 同級生が二人そろって、この場から逃げ出したことに夜来は気がついた。
 が、手遅れだった。
 自分の代も、足並みが揃っていないが、その一学年下はもっと酷い。
 和歩は楽璃も烈炎も、色々な意味で嫌っていたし。
 楽璃は楽璃で、烈炎に対して劣等感がない交ぜになった感情を抱いているのが良くわかったし。
 烈炎は……救いがないほど鈍感だった。
 仕事だの、立場だの、といった公のくくりであっても、不協和を奏でてくれる。
 一年間、一緒に役員をしていて、それである。
 夜来は首を捻る。
 華蓮とは馬が合わないが、それは性格の違いと割り切れたし。
 仕事を一緒にやるのだったら、頼れる人間だった。
 綺月は何を考えているか、時折読めなくなるが、親交を深める必要はなかったし。
 意外に、調停役をしてくれるので、助かるときもある。
 二人とも夜来を無視することはあっても、八つ当たりの対象にしたりはしない。
 つまり、平和なのだ。
 早く一年生たちがやってこないかな、と夜来は思った。
 進路希望書を提出、という口実で出て行っても良かったのだが、三人にしておくのは何かと不安だった。
 つかみ合いのケンカはしないだろう、というのが怖い。
 夜来は貧乏くじを引いたな、とためいきをついた。
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