26.いくつもの言葉

 薔薇の研究院の自然区。緑の葉が自然光に近い人工光が照らされていて綺麗だった。
 食後の軽い散策中に、イールンがじっとヤナを見上げてきた。
「実はヤナに会いたがっている人がいるのですが、どうしますか?」
 イールンは淡々と尋ねてきた。
「どんな人なの?」
 不思議に思いながらヤナは訊いた。
「変わり者ですね。
 真珠の研究院に行くほどの才能がありながら、歓喜の研究院を選びました。
 今は歓喜の研究院のトップです。
 私よりも5才ほど年長で、名前はハオレン。
 専門は私と同じで宇宙生成学です」
 イールンはデーターでも読み上げるように言った。
「どうしてそんな人が僕に会いに?
 わざわざ休暇を使って」
 ヤナは驚く。
「変わり者だからです。
 私がヤナの話をしたら、正確にはメールでしたが、会ってみたいとメールが本日、届きました」
「イールンの先輩?」
 ヤナは質問をした。
 同じ専門分野をしていることとかなり詳細を知っているということは、そういうことだろうと思ったからだ。
 イールンは考えるように小首をかしげる。
 長い黒髪がさらさらと零れ落ちるように流れた。
「こういう関係は家族と呼ぶのでしょうね。
 同じ男性体と女性体の掛け合わせで作られた人です。
 私が真珠の研究院に行くまでは、比較的遊びに来ていました。
 自分の研究を放置してまで」
「つまり妹思いのお兄さんなんだね」
 ヤナは言った。
 つまり妹の交際相手が不思議になって見に来る、ということだろうか。
「そういう捉え方があるのですね。
 非効率なことをする変わり者だと思っていました」
 イールンは淡々と言う。
「できたら薔薇真珠の惑星に降り立ってみたいらしいのです。
 ヤナが嫌でなければ許可をいただきたいのですが」
「大歓迎だよ。
 それに二人で創った惑星なんだから」
 ヤナは微笑んだ。


   ◇◆◇◆◇


 数日後。
 約束された日時に、歓喜の研究院のトップ、ハオレンがやってきた。
 直接、薔薇真珠の惑星に。
 20代と思われる青年はイールンのよく似た顔立ちで、身長もさほど高くなかった。
 黒髪は長く、邪魔にならないように襟元で縛っていた。
 肌の色も白く、さざめくような瞳も同じだった。
 瞳は良き隣人たちの特徴だった。
 造られた人類の証拠だった。
「元気で良さそうで良かったよ。
 論文だけでは味気ないからね」
 ハオレンは穏やかに言う。
「ご用件は?」
 イールンは切り出した。
 こちらはサイレント・ソングのような事務的な響きを宿していた。
「『恋人たちの惑星』の二つ名にあやかりに。
 プロポーズに行こうかと思って、薔薇の花を12本ほど譲って欲しいんだ」
 ハオレンは気にした風ではなく言った。
「結婚するんですか?」
 ヤナは驚いた。
「相手がうなずいてくれたのならね」
 ハオレンは穏やかに言う。
「初耳です」
 イールンは言った。
「振られたら恰好が悪いだろう?
 確信ができるまで内緒にしておいたんだ」
 ハオレンは言った。
 確かに同じ遺伝子を共有しているとはいえ、妹には話せないことだろう。
「お相手はどんな方なんですか?
 薔薇といっても色によって花言葉があります」
 ヤナはハオレンに尋ねた。
 もっとも12本の薔薇を用意すると言ったのだから、知っているだろう。
 それに結婚という概念は研究院でも珍しい。
 ナチュラルやヤナのように惑星出身でなければ、選択肢としてないだろう。
 子どもを作るにしても、まだ若すぎる。
 研究員の平均以下の年齢なのだ。
「深紅がいいかな」
 ハオレンは穏やかに言う。
「どんな心境の変化ですか?」
 イールンが尋ねた。
「愛する女性の子どもが欲しくなったんだよ。
 私たちとは違うからね。
 つまり忘れ形見があったら飽きないだろう?
 遺されても半分は彼女の遺伝子だ」
 ハオレンは研究をするように楽しそうに言った。
「今の研究を棒に振る気ですか?」
 イールンは硬い口調で尋ねる。
「そんなものは後でもいくらでもできる。
 子育ては有限の時間でしかできない。
 イールンも、そのうち分かるだろう。
 共に一緒にいられない、その苦しみを」
 ハオレンは穏やかに言った。
 確かに変わり者らしい。
 まるでヤナたちのような旧人類の考え方をする。
 造られた人類とは思えない発言の数々だった。
「ご案内します。
 それでご両親にご挨拶に行かれるのですか?」
 ヤナは舗装された道を歩きながら、尋ねた。
「ヤナ研究員はだいぶ柔軟な考え方をするんだね。
 実にユニークだ。
 遺伝子提供者には報告するつもりはあるけれども、嫌がられるだろうね。
 そもそも最良の遺伝子を掛け合わせただけで、利害の一致があると『上』が判断したんだ。
 君たちがいうところの『愛』というものがないからね。
 受精卵を、人工子宮の中で生育した。
 遺伝子提供者に育ててもらった記憶もない。
 おそらく奇妙な目で見られるだろう」
 ハオレンは気にした風でもなく言った。
「そこまで理解しているのなら、何故?」
 イールンには疑問らしい。
 ヤナも初めて知る情報に混乱していたけれども。
「女性にとって夢だろう?
 私が叶えてあげられることなら、何でもしてあげたいんだよ。
 彼女の幸せそうな顔を忘れずにおける。
 神に感謝したいぐらいだよ。
 よくぞ、私たちを造ってくれたってね」
 ハオレンは穏やかに言う。
 話しているうちに深紅の薔薇が咲く一角にたどりついた。
「確かに素敵な惑星だね。
 私も創ってみたいよ。
 永遠に残りそうだ。
 私が死んでもなお、語り継がれそうだ。
 彼女は銀河の方が楽しそうだから残念だ。
 実に模範的な研究員だからね」
 言葉とは裏腹に、ハオレンは楽しそうに笑った。
 ヤナは用意してきた鋏で12本の薔薇を切って手渡す。
「成功を祈っています」
 ヤナは心から言った。
 紅茶のように甘い香りがする大型の薔薇で棘が少ない品種だった。
 研究院の濃紺の制服にはよく映えるだろう。
「私も未来の弟に会ってみたかったから、有意義な時間だった」
 ハオレンは感謝するように言った。
「み、未来の……!?」
「違うのかい?」
 ハオレンはイールンとよく似た瞳で尋ねる。
「そうなったら素敵だと思いますが、まだ想像がつきません」
 ヤナは困りながらも、笑った。
「イールン。
 宝物は手放さないように。
 兄からの忠告だ」
「理解を超えます」
「幼いからだろう。
 もう少し大人になれば分かるだろう」
 ハオレンはイールンの黒髪を優しく撫でた。
 そうしていると良き隣人ではなく、本当の兄妹のようだった。
「ヤナ研究員、今日は感謝している。
 イールンのパートナーが親切そうで良かったよ。
 私たちは君たちよりも長く生きるからね。
 たくさんの想い出をプレゼントして欲しい。
 それは私たちにとっては幸福なのだからね」
 ハオレンは真剣に言った。
 置いていくのは自分なのだ。
 決して自ら生命を絶てない体で。
 絶対に忘れられない脳で。
 良き隣人たちは寄り添ってくれるのだ。
 きっと長い孤独の中で。
「頑張ります」
 ヤナは誠意をこめて言った。
 置いていかれるのすら幸福だというのなら、できるだけたくさんの話をしよう。
 今まで一緒に見られなかった景色を見よう。
 二人の時間を今まで以上に、大切にしよう。
 ヤナはそう思った。
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